本がきちんと読めるようになりたい。そんな気持ちを切実に抱いている皆さんのために、この本をつくりました。
せっかく高校や大学を後にしたのだから、大人になった今では好きなものを好きなように読みたい、いまさら読み方の指南など受けたくない、という方もいらっしゃるでしょう。そんな皆さんには、本書は特にかける言葉を持ちません。しかし、いまあなたが「読書」をタイトルに含むこの本を手に取ったのは、日々の読書において何か困っていることがあるから、ではありませんか。そしてしかし、大人になってしまった今では(本を読む以外には!)そんな訓練の機会もアテもないから、ではないでしょうか。
「読んで感じた面白さや疑問点をひとに伝えることができない」
「目を通せはするが著者が何を言いたいのか実はわからない」
「本が読み通せない。途中で止まってしまう」
読書について、そして自分に対して、そんな不満を持っている皆さんに、本書は読むトレーニングの具体的なメニューを提案します。読書にはセンスが必要だ(そして自分にはそれが欠けている)と考えている方もいるかもしれませんが、少なくとも上に挙げたような困難であれば訓練によって緩和できますよ。
本書で紹介するトレーニングメニューは、社会学のマイナーな一流儀であるエスノメソドロジーに着想を得て考案したものです。著者の一人(酒井)は、エスノメソドロジーの教科書と論文集*の刊行準備を進めるなかで、エスノメソドロジストたちが共同で資料を観る会(データセッション)を頻繁に開いていることを知り、参加するようになりました。論文集刊行後には自分でも研究会や大学での講義において、各種分野の研究者や大学生たちと極めて多様な**資料を一緒に観る経験を積んできました。データセッションは資料分析の訓練としておこなわれるものですが、それを「本を読む訓練」へと転用したのが本書で紹介するトレーニングメニューです。この転用のギャップを埋めるのを助けてもらうべく、吉川浩満さんを共同主催者としてお誘いしました。著述家であり編集者でもある吉川さんは、読者・編集者・執筆者の三役をどれも引き受けられる立場から、トレーニングと読者の皆さんとを繋いでくれるはずです。
私たちが日常生活で接する文書は、実用書、ビジネス書、専門書、ガイドブック、官公庁の白書、小説や詩、地図やレシピ、インターネット上のコラムなどなど多岐にわたります。読み方のほうも「知識を得る」「裏をとる」「楽しむ」「味わう」など目的や状況によって様々です。資格試験のために参考書を読むとき、旅行計画のためにガイドブックを読むとき、商品開発の渦中で法律文書を確認するときでは読み方は大きく異なります。夕飯の準備のためにレシピを見るときと、料理の写真を愉しむためにレシピを観るときとでも、読み方は異なるでしょう。本書が提供する訓練メニューは、それら全てに同様に役立つわけではありません。
本書が紹介する読解方針は、抽象的な意味ではたった一つだけ──「その文章に即してその文章を読む」というものだけ──です。これは時間に余裕があるときにだけ採用できる反省的な方針ですから、特定の課題のために必要な最小限の情報を急いで取得したいときや、差し迫った試験のために効率的に知識を獲得しなければならないとき、或る作品世界に没入したいときに、そのまま直接に役に立つわけではありません。しかしこれは読み方のバリエーションの幅を拡げ、かつ、それを反省的に選択するスキルを身につけるための訓練ですから、迅速な情報の取得や効率的な知識獲得にも、没入的体験のためにも、間接的には役にたつはずです。
本書のトレーニングの大きな特徴の一つは、読解を〈要約的アプローチ/手続的アプローチ〉のセットで進めるところにあります。読解における「要約」と「手続」は、料理番組でいえば「完成品」と「作り方」に当たります。既存の読書論では、しばしば「作り方」の側面が欠けていました。ある文章が与えられ、「この文章はこう読むのだ」といった仕方で「正解」が示されますが、なぜそのようにいえるのか・どうしたらそこに到達できるのかが書かれていないのです。これでは、料理番組でいえば、完成品は見せてくれるが作り方は教えてくれないようなものです。そのような読書論では、読者にできるのは、著者の力量の素晴らしさを感嘆してみせるくらいでしょう(それでは読書論というよりファンブックです)。
これに対して本書は、トレーニングの基盤を〈考えなくてもできること・見れば言えること・誰にでもわかること〉に置き、それら素材に手を動かして働きかけながら、〈要約/手続〉ペアを把握することを目指して進みます。したがって本書のメニューに理解できないところはないはずです。むしろ簡単すぎるとか、バカバカしいとか、子どもっぽいといった印象を与えるかもしれません(それは「スクワットのやり方」の解説を見て「膝を曲げて伸ばしてるだけだな」という印象を持つのに似ていますが)。しかしそうではないことは、実際に取り組んでみればすぐにわかります。
本書のもう一つの特徴は、トレーニングのために読書会を使うところです。読書が独りでもできてしまうものであるがゆえに、それが「他人の表現を理解する」という活動の一種であることを私たちは忘れがちです。しかし自分にばかり寄りかかりすぎれば「他人の表現を理解する」ことができない(つまり本が読めない)のは当然です。独りで読んでいると、こんな簡単な罠ですら逃れるのが難しくなってしまいます。他人と読み・他人に向けて書くという環境を整えるだけで軽減される問題はたくさんあるのです。
手を動かすのも他人と関わるのも面倒なことです。子どもならやりたくないでしょう。
しかし皆さんは大人です。本書は、大人になって、いまや「自分はそれほど賢くなかった」という自覚を得た皆さんのためのもの、なかでも、「頭だけ」でなんとかしようとすること・「独りで」なんとかしようとすることを諦められる程度には切実な自覚のある方のための本です。それほど賢くない大人たち同士が助けあいながら、訓練によってそれなりに読めるようになること。──本書の最初の目標はここにあります。そして著者である私たちも、他の参加者と同じ資格で(つまり、それほどでもない大人たちの一人として)この読書会に参加します。
本書は「オリエンテーション」「読書会への準備」「コメントを書き直す」「読書会で本を読む」の4つのパートに分かれており、頭から順に読んでいただくことを想定しています。
第1部「オリエンテーション」では、本書の狙いを紹介したうえで、基本的な読解方針を導出します。
第2部「読書会への準備」では、本を読み始めた時点からすぐに実行できる準備作業を紹介します。作業は大きく「PDFを修飾する」「目次を読む」「コメントを書く」の三つに別れます。
第3部「コメントを書き直す」では、準備作業で執筆したコメントを、他の参加者とのやり取りを通してリライトする訓練をおこないます。
第4部「読書会で本を読む」では、準備作業の成果物を使って実際に書籍を読んでいくところを実演的にお見せします。
それではさっそくオリエンテーションから始めましょう。(酒井泰斗)
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* 前田泰樹ほか編『ワードマップ エスノメソドロジー』(新曜社、2007年)、酒井泰斗ほか編『概念分析の社会学──社会的経験と人間の科学』(ナカニシヤ出版、2009年)。書籍刊行に関わる経緯の一部を小文にまとめたことがあります:酒井泰斗「思想の管理の部分課題としての研究支援」(荒木優太編著『在野研究ビギナーズ――勝手にはじめる研究生活』 明石書店、2019年)
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