このページは、酒井泰斗プロデュースによる紀伊國屋書店ブックフェア
実践学探訪──
2014年5月21日 追記 2015年3月20日 追記 2016年6月 追記 2017年8月 追記 2018年8月 追記 |
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そこで何が行われているのか/それは如何にして可能なのか[★]。 ──社会学の一流儀であるエスノメソドロジー(EM)は、このシンプルな問いを丁寧に跡づけていこうとするものです。
一方でエスノメソドロジーは、研究者がその都度注目している場面において、そこに参加している人たちがどのように──他の局面でも使えるだろう一般的な仕掛けを/しかしその場特有の事情に合わせて用いながら──お互いの行為や活動を編みあげていくかを捉えよう[●]とします(これは、なるべく多数の現象・行為・活動に当てはまる──という意味で一般的な──知見の獲得を目指そうとする通常の社会科学の流儀とはずいぶんと違います)。
他方でエスノメソドロジーは、取り組んでいる課題★と方針●のシンプルさゆえに、多様な現象に広くアクセスしていける普遍性と柔軟性を持っています(そのせいで書店ではいろんな棚に散らばって置かれてしまうことにもなるのですが。このリストでは狭い意味でEMに属すると判断した書籍には先頭に◎を付けました)。
エスノメソドロジーのこの特徴は書籍遊猟者たちにも利用していただけるはずです。つまりエスノメソドロジーの様々な研究を手がかりにすることで それが属する本棚にある他の書籍と比較しつつ違いを読むとともに、方針●に乗っかりながら別の本棚にもアクセスしていける、という様に。
このブックリストは、そうした書店フロア散策のやり方を提案するために作成したものです。(酒井)
1 概念分析の社会学2 エスノメソドロジー・会話分析入門
4 源泉とその他 |
3 エスノメソドロジーの展開とその周辺
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論文集『概念分析の社会学』のタイトルは、扉に記した方針●に、より抽象度の高い表現を与えようとして編者たちがつくった暫定的な表現である。それは
という方針を述べている。この抽象化は三つの理由により必要だった: この論文集と重なる時期におなじ方針のもとで進められた仕事には、『心の文法』『性同一性障害のエスノグラフィ』『実践の中のジェンダー』 などがある。(酒井)
- 〈或る実践(~行為や活動)は どのような分節化のもとで生じえているのか〉という問い★に
概念連関の分析を介して接近することにより[←概念分析]、- 実践の記述的解明を遂行しよう[←社会学]
金子書房、1997 |
◎ | ジェフ・クルター (西阪 仰 訳) |
『心の社会的構成―ヴィトゲンシュタイン派エスノメソドロジーの視点』 | 新曜社 | 1998 |
◎ | マイケル・リンチ (水川喜文、中村和生 監訳) |
『エスノメソドロジーと科学実践の社会学』 | 勁草書房 | 1993→2012 | |
◎ | 酒井・浦野・前田・中村 編 | 『概念分析の社会学──社会的経験と人間の科学』 | ナカニシヤ出版 | 2009 | |
◎ | 前田泰樹 | 『心の文法―医療実践の社会学』 | 新曜社 | 2008 | |
◎ | 鶴田幸恵 | 『性同一性障害のエスノグラフィ──性現象の社会学』 | ハーベスト社 | 2009 | |
◎ | 小宮友根 | 『実践の中のジェンダー─法システムの社会学的記述』 | 新曜社 | 2011 |
人々の行為を理解するとはどのようなことなのか、という社会学的な問いを考えるなかで、エスノメソドロジーは、行為を理解するさいに用いられている概念の連関を記述するという方針を、ウィトゲンシュタインの『哲学探究』や『確実性の問題』から引き出してきた(ウィトゲンシュタイン自身の思考の変遷については『ウィトゲンシュタイン最後の思考』を、その社会科学への適用という点では『社会科学の理念』も参照)。この方針のもとで研究を進める際に、日常言語学派の哲学者たちの様々なアイデアは、概念使用の実践の論理を見ていくための強力な手掛かりを与えてきた。たとえば、行為を記述することによってどのように意図が帰属されるか(『インテンション』)、発話をすることが行為を遂行することでもあるのはどのようにしてか(『オースティン哲学論文集』)、時間の幅のある活動とその結果なしとげられる達成はどのように区別されるか(『心の概念』)、専門的概念と日常的概念の関係はどのようなものか(『ジレンマ』)、などがそうである。 (前田)
新曜社 |
ルートヴィッヒ・ウィトゲンシュタイン (藤本隆志 訳) |
『哲学探究』 | 大修館書店 | 1953→1976 | |
ルートヴィッヒ・ウィトゲンシュタイン (菅 豊彦 訳) |
『確実性の問題』 | 大修館書店 | 1969→1975 | ||
山田 圭一 | 『ウィトゲンシュタイン最後の思考―確実性と偶然性の邂逅』 | 勁草書房 | 2009 | ||
J.L. オースティン(坂本百大 訳) | 『オースティン哲学論文集』 | 勁草書房 | 1961→1991 | ||
ギルバート・ライル(坂本百大、井上治子、服部裕幸 訳) | 『心の概念』 | みすず書房 | 1949→1987 | ||
G.E.M. アンスコム(菅 豊彦 訳) | 『インテンション―実践知の考察』 | 産業図書 | 1957→1984 | ||
ギルバート・ライル | 『ジレンマ―日常言語の哲学』 | 勁草書房 | 1954→1997 |
私たちが何者としてどのような他人とどのような実践を行いうるのかという問いは、ともすると個々人の能力やその偶然的状況についての問いと考えられがちである。とはいえ、こうした「ある能力をもった」個人が、「何らかの人物」として、「特定の実践」を行いうるためには、こうした能力や人物、実践、さらにはそれを支える制度についての理解可能な概念が存在していなければならない。概念空間というすこし奇妙な用語は、このような個々の実践をその前提として支えている一連の概念連関のことを指している。そして M. フーコーや I. ハッキングの行ってきた仕事は、歴史的でローカルな具体的実践に着目しながら、そのつどの概念空間を掘り起こしていく作業だったと言うことができる(『言葉と物』『監獄の誕生』『確率の出現』『偶然を飼い慣らす』 Rewriting the Soul.)。ちなみに彼らがその作業を名指すのに用いた「歴史的存在論」という用語が、具体的実践のなかにあるものとしての概念連関がもつローカリティを強調したものであることを踏まえるならば(『知の歴史学』)、彼らの作業は、現在の実践をフィールドにして行われている実践学の作業と緊密な結びつきをもっていることに気づくことができるだろう((1)、『エスノメソドロジーと科学実践の社会学』)。 (浦野)
(1) M. Lynch, 2002, "The Contingencies of Social Construction," Economy and Society, 30(2), pp. 240-254.
新潮社、1966→1974 |
M. フーコー (田村俶訳) | 『監獄の誕生――監視と処罰』 | 新潮社 | 1975→1977 | |
I. ハッキング(広田すみれ・森元良太訳) | 『確率の出現』 | 慶應義塾出版会 | 1975→2013 | ||
I. ハッキング(石原英樹・重田園江訳) | 『偶然を飼いならす―統計学と第二次科学革命』 | 木鐸社 | 1990→1999 | ||
I. Hacking | Rewriting the Soul: Multiple personality and the Science of Memory. | Princeton U.P. | 1995 | ||
I. ハッキング(出口康夫・大西琢朗・渡辺一弘訳) | 『知の歴史学』 | 岩波書店 | 2002→2012 |
1960年代にアメリカの社会学者ガーフィンケルは、「エスノメソドロジー」という奇妙な名前の 新しい社会学研究方法論を生み出した。『エスノメソドロジー』『日常性の解剖学』の二冊には、その奇妙さと難しさ、そして面白さが詰め込まれている。他方、エスノメソドロジーが社会学の伝統の中から生まれたことには、やはりそれなりの理由がある。『相互行為分析という視点』や『社会理論としてのエスノメソドロジー』からは、エスノメソドロジーが社会学における伝統的問いに独自の仕方で取り組もうとするものであることが読み取れるだろう。より平易な解説を読みたければ、『ワードマップ エスノメソドロジー』『エスノメソドロジーを学ぶ人のために』を手にとってみてほしい。また『エスノメソドロジーへの招待』からは、そのように登場してきたエスノメソドロジーという研究の独自のエッセンスがどこにあり、多様な研究対象へのアプローチがどんな共通のステップを踏んで進められるのかを知ることができるだろう。 (小宮)
せりか書房、1987 |
◎ | G. サーサス・H. サックス・H. ガーフィンケル・E. A. シェグロフ (北澤裕・西阪仰訳) | 『日常性の解剖学――知と会話 [新版]』 | マルジュ社 | 1997 |
◎ | 山崎敬一 | 『社会理論としてのエスノメソドロジー』 | ハーベスト社 | 2004 | |
◎ | 前田泰樹・水川喜文・岡田光弘編 | 『ワードマップ エスノメソドロジー』 | 新曜社 | 2007 | |
◎ | D. フランシス・S. ヘスター(中河伸俊・岡田光弘・是永論・小宮友根 訳) | 『エスノメソドロジーへの招待――言語・社会・相互行為』 | ナカニシヤ出版 | 2004→2014 | |
◎ | 串田秀也・好井裕明編 | 『エスノメソドロジーを学ぶ人のために』 | 世界思想社 | 2010 |
「会話分析」はエスノメソドロジーとの深い関係のもとで誕生し、いまや独立の一大領域を作り上げている研究分野である。「他人と言葉を交わす」ことが、それ自体研究に値する営みだということを実感するには、まず『会話分析基本論集』、それから『日常性の解剖学』に収められている「会話はいかにして終了されるか」をじっくり読んでみてほしい。残念ながら翻訳はないが、会話分析の創始者の一人であるシェグロフの Sequence Organization in Interaction は、会話の中で「行為をする」ことの精巧さと複雑さを教えてくれる。会話分析についての解説としては、やや古いがレヴィンソンの『英語語用論』も参考になるだろう。さらに、会話分析が人間のコミュニケーションの研究にとって持つ重要性を深く考えるためには、『相互行為秩序と会話分析』『分散する身体』の二冊をすすめたい。会話分析が単に「言葉」の研究ではないことがよくわかるはずだ。また、『活動としての文と発話』『「単位」としての文と発話』『時間の中の文と発話』のシリーズ三冊、それから『講座社会言語科学6 方法』からは、会話分析が言語学領域に与えている影響を知ることができる。さらに、医療、ケータイメディア、震災ボランティアといった、社会の多様な領域の研究への応用を知るには『女性医療の会話分析』『モバイル・コミュニケーション』『共感の技法』がそれぞれ面白く読めるだろう。 (小宮)
世界思想社、2010 |
◎ | Schegloff, E. A. | Sequence Organization in Interaction. | Cambridge University Press | 2007 |
S. C. レヴィンソン(安井稔・奥田夏子訳) | 『英語語用論』 | 研究社 | 1990 | ||
◎ | 串田秀也 | 『相互行為秩序と会話分析――「話し手」と「共‐成員性」をめぐる参加の組織化』 | 世界思想社 | 2006 | |
◎ | 西阪 仰 | 『分散する身体――エスノメソドロジー的相互行為分析の展開』 | 勁草書房 | 2008 | |
串田秀也・定延利之・伝 康晴 編 | 『活動としての文と発話』 | ひつじ書房 | 2005 | ||
串田秀也・定延利之・伝 康晴 編 | 『「単位」としての文と発話』 | ひつじ書房 | 2008 | ||
串田秀也・定延利之・伝 康晴 編 | 『時間の中の文と発話』 | ひつじ書房 | 2007 | ||
伝 康晴・田中ゆかり 編 | 『講座社会言語科学6 方法』 | ひつじ書房 | 2006 | ||
◎ | 西阪 仰・高木智世・川島理恵 | 『女性医療の会話分析』 | 文化書房博文社 | 2008 | |
◎ | 山崎敬一 編 | 『モバイル・コミュニケーション――携帯電話の会話分析』 | 大修館書店 | 2006 | |
◎ | 西阪 仰・早野 薫・須永将史・黒嶋智美・岩田夏穂 | 『共感の技法――福島県における足湯ボランティアの会話分析』 | 勁草書房 | 2013 |
エスノメソドロジストがフィールドで何をしているのか表立って書かれることはあまりない(それが主題になることはそうないからだ)。では何をしているのだろうか。会話や身振りに関心を持っている場合は、ビデオカメラを記録媒体として用いることがある(『AV機器をもってフィールドへ』 『フィールドワークと映像実践』 『語る身体・見る身体』)。対象や目標によってはビデオカメラは必須ではない。オーソドックスなフィールドノート主体の研究もあるし(『方法としてのフィールドノート』)、両者が併用されることもある。重要なのは記録媒体の種類ではなく、何に注目するかだ。マンチェスター大学のシャーロックを中心にした学派は、複数の調査事例紹介を通して、そこに通底している視点――すなわち、当該フィールドでの日常的な実践を通して、人びとは何をどのように成し遂げているのかという点に注目するということ──に特に配慮した教科書を出している(Studies of Work and the Workplace in HCI)。 (秋谷)
Morgan and Claypool Publishers, 2009 |
石黒宏昭 編 | 『AV機器をもってフィールドへ―保育・教育・社会的実践の理解と研究のために』 | 新曜社 | 2001 | |
南出和余・秋谷直矩 | 『フィールドワークと映像実践─研究のためのビデオ撮影入門』 | ハーベスト社 | 2013 | ||
◎ | 山崎敬一・西阪仰 編 | 『語る身体・見る身体』 | ハーベスト社 | 1997 | |
エマーソン・ショウ&フレッツ(佐藤郁哉・山田富秋・好井裕明 訳) | 『方法としてのフィールドノート―現地取材から物語作成まで』 | 新曜社 | 1995→1998 |
社会秩序の探究をおこなうエスノメソドロジーにとって、「法」は重要な研究テーマである。『もめごとの法社会学』では、社会秩序の探究と法現象の探究の重なりあいが深く考察されている。また『実践の中のジェンダー』では、刑事裁判の判決文の分析をとおして、法的実践において常識的知識が果たす役割の再考がおこなわれている。海外の中心的研究については、論文集『社会的実践としての法』が今年中に刊行予定である。ほか、エスノメソドロジーの中心からは外れるが、物語という視点から法廷を描く『法廷における〈現実〉の構築』も面白い。さらに、法哲学にも関心がある読者には、自らの法哲学を「記述社会学の試論」とも呼ぶハートの『法の概念』、および「裁判活動の現象学」という観点から法実証主義を批判したドゥウォーキンの『権利論』を、両者の論争を念頭におきつつエスノメソドロジーの視点とも比較するのはエキサイティングな読書になるだろう。 (小宮)
弘文堂、1997 |
◎ | M. トラヴァース・J. F. マンゾ編(北村隆憲・池谷のぞみ・岡田光弘・小宮友根 訳) | 『社会的実践としての法――エスノメソドロジ―/会話分析による法と裁判へのアプローチ(仮)』 | 新曜社 | 2014(予定) |
W. L. ベネット・M. S. フェルドマン(北村隆憲 訳) | 『法廷における〈現実〉の構築』 | 日本評論社 | 2007 | ||
H. L. A. ハート(矢崎光圀監訳) | 『法の概念』 | みすず書房 | 1976 | ||
R. ドゥウォーキン(木下毅・小林公・野坂泰司) | 『権利論〔増補版〕』 | 木鐸社 | 2003 |
科学という領域は、社会的事実の客観的リアリティを根本的現象とみなすエスノメソドロジーにとって格好の分析対象である。『エスノメソドロジーと科学実践の社会学』では、エスノメソドロジーと科学社会学の関係を再構成しながら新たな研究プログラムが提案されている。また科学知識の社会学(『数学の社会学』 『ウィトゲンシュタイン』 『排除される知』)が科学の実質的内容を分析の俎上にのせたことを評価しつつ、その懐疑主義的方法論の問題点を指摘している。さらに(会話分析も含めた)エスノメソドロジーの研究態度に関しても、学問的探究の基盤として科学の特権的地位の正当化から離れ、日常的な理解可能性を解明する方向性(「認識トピックの探究」)を打ち出している。
また本書はマンハイムの知識社会学やマートン流の科学社会学までさかのぼって学説検討を行っており、エスノメソドロジー的な観点からの社会学史講義としても読むことができる。『科学と知識社会学』 『社会理論と社会構造』や、より最近の議論(『科学がつくられているとき』)と併せて、比較しながら読んでみてほしい。 (中村)
勁草書房、1993→2012 |
マイケル・マルケイ(堀 喜望 訳) | 『科学と知識社会学』 | 紀伊国屋書店 | →1985 | |
ロバート・マートン(森 東吾ほか 訳) | 『社会理論と社会構造』 | みすず書房 | 1949→1961 | ||
デイヴィド・ブルア(佐々木 力、古川 安 訳) | 『数学の社会学―知識と社会表象』 | 培風館 | →1985 | ||
デイヴィド・ブルア | 『ウィトゲンシュタイン―知識の社会理論』 | 勁草書房 | →1988 | ||
ロイ・ウォリス編(高田紀代志 ほか訳) | 『排除される知─社会的に認知されない科学』[絶版] | 青土社 | 1979→1986 | ||
ブルーノ・ラトゥール(川崎 勝、高田紀代志 訳) | 『科学がつくられているとき―人類学的考察』 | 産業図書 | →1999 |
心理学の知識を構成する一連の基礎概念は、どのような意味をもち、私たちの日頃の経験や行為とのあいだに実際にはどのような関係をもっているのだろうか。こうした問いに対してはいくつかのアプローチがあるように思われる。
ひとつは、歴史的な社会状況へと立ち戻りながら、これらの概念が構成されるに至る歴史過程を記述するアプローチである(Constructing the Subject 『心を名づけること』 『脳を繙く』)。実験方法や実験状況を構成する社会関係、測定技術、研究者コミュニティ、さらにはその外側にある社会生活などと、歴史的社会状況のなかにどの範囲までを収めるかの相違はあるものの、これらの研究が明らかにしているのは心理学の知識を支えている一連の概念の論理的関係である。
もうひとつのアプローチは、心理学の主題となる視覚などの事象について、それらを相互行為的実践のなかに差し戻しながら、これらの事象がどのように組織された実践のなかで現れるのかを記述していくものである(『心と行為』 Conversation and Cognition)。こうした二つのアプローチは、その見かけは大きくかけ離れてはいるものの、いずれも複雑な実験的方法の成果である心理学の知識がどのような概念連関に支えられて存在しているのかを明らかにしている。 (浦野)
岩波書店、2001 |
◎ | K. Danziger | Constructing the Subject: Historical Orgins of Psychological Research | Cambridge U. P. | 1990 |
K. ダンジガー(河野哲也 監訳) | 『心を名づけること——心理学の社会的構成』上・下) | 勁草書房 | 2005 | ||
M. R. ベネット・P. M. S. ハッカー(河村 満 訳) | 『脳を繙く――歴史でみる認知神経科学』 | 医学書院 | 2010 | ||
H. Molder and J. Potter eds. | Conversation and Cognition | Cambridge U. P. | 2005 |
精神障害というと 私たちは、まずはそれを持つとされる個人の心理や身体の問題と見なし、これらの内にその原因を求めようとする。あるいはこれとは反対に、精神障害は社会によって作りあげられたものであるとの主張もかつてなされてきた。しかし、これらのいずれの見方からも見落とされてきた事実がある。それは、「誰かが精神障害をもっている」という推測や事実は、文化的に組織された日常生活状況の細部のなかにおいて、そしてそれを不可欠な背景とすることによって、はじめて成立するということである。言いかえるならば、精神障害の概念は、日常生活の組織された状況とのかかわりにおいて意味を得ているということである。こうした視点はゴッフマンによって明確に導入された(『アサイラム』 『集まりの構造』)。以後、精神障害について行われてきた実践学的研究は、このゴッフマンの視点を重要な導きのひとつとしながら進められてきている(Approaches to Insanity 『心の社会的構成』 『エスノメソドロジー』 『ダルクの日々』)。またハッキングが精神障害について提起した「エコロジカル・ニッチ」というアイデアも、その射程の範囲は異なってはいるものの、こうしたゴッフマンの視点と同じ狙いをもっているように思う(Mad Travelers)。 (浦野)
Blackwell Publishers, 1973 |
E. ゴッフマン(石黒毅訳) | 『アサイラム——施設被収容者の日常世界』 | 誠信書房 | 1984 | |
E. ゴッフマン(丸木恵祐・本名信行) | 『集まりの構造——新しい日常行動論を求めて』 | 誠信書房 | 1980 | ||
ダルク研究会 編著 | 『ダルクの日々——薬物依存者たちの生活と人生』 | 知玄舎 | 2013 | ||
I. Hacking | Mad Travelers: Reflections on the reality of transient mental illness | University of Virginia Press | 1998 |
医療現場の調査にもとづく社会学的著作の古典の一つが、病院における「死と死にゆくこと」の問題を扱った『死のアウェアネス理論と看護』である。公刊されたエスノメソドロジーの最初の著作である『病院で作られる死』は、このテーマを受け継ぎ、それが病院組織における日常の実践においていかに成し遂げられているのかについて、記述したものである。また、「悪い知らせ」をいかに伝えるか、という問題に対しては、『医療現場の会話分析』において、洗練された分析が施されている。こうした医療現場のエスノメソドロジー的研究は、「STによる言語療法」(『心の文法』)や「産婦人科における問診や触診」(『女性医療の会話分析』 『分散する身体』)、「ヘルスケアにおける患者参加の問題」(『患者参加の質的研究』)といった様々な領域に広がっている。また、病い経験の語りについての研究という意味では、エスノメソドロジーから離れていったフランクの『傷ついた物語の語り手』と比較してみるのも面白い。 (前田)
新曜社、2008 |
グレイザー&ストラウス(木下康仁 訳) | 『死のアウェアネス理論と看護―終末期の認識と臨床期のケア』 | 医学書院 | 1988 | |
◎ | デヴィッド・サドナウ(岩田啓靖、山田富秋 訳) | 『病院でつくられる死―「死」と「死につつあること」の社会学 | せりか書房 | 1992 | |
◎ | ダグラス・W. メイナード(樫田美雄・岡田光弘 訳) | 『医療現場の会話分析―悪いニュースをどう伝えるか』 | 勁草書房 | 2004 | |
◎ | コリンズ、トンプソンほか編(北村隆憲・深谷安子 監訳) | 『患者参加の質的研究──会話分析からみた医療現場のコミュニケーション』 | 大阪大学出版会 | 2009 | |
アーサー・W. フランク(鈴木智之 訳) | 『傷ついた物語の語り手―身体・病い・倫理 』 | ゆみる出版 | 2002 |
人類学者サッチマンの『プランと状況的行為』は、人間の振舞いがなんらかのプランや構造、情報処理モデルにもとづいていると捉える認知科学の発想に対して、そのつど振舞いや やり取りは 状況や その場の環境の状態に即して 組み立てられていくという、エスノメソドロジー的な観点からの批判を行ったエポックメイキングな本である。この本の発刊をきっかけとして、エスノメソドロジーの観点から認知科学のトピックの諸前提の問い直しを促す流れが生まれた。たとえば、認知(『状況のインタフェース』)、学習(『仕事の中での学習』)、道具の使用(『認知的道具のデザイン』)、人工知能(『インタラクション』)などである。(秋谷)
大修館書店、2000 |
◎ | ルーシー・サッチマン(佐伯 胖 監訳) | 『プランと状況的行為─人間‐機械コミュニケーションの可能性』 | 産業図書 | 1987→1999 |
上野直樹 編 | 『状況のインタフェース(状況論的アプローチ1)』 | 金子書房 | 2001 | ||
上野直樹 | 『仕事の中での学習─状況論的アプローチ(シリーズ人間の発達9)』 | 東京大学出版会 | 1999 | ||
加藤浩・有元典文 編 | 『認知的道具のデザイン(状況論的アプローチ2)』 | 金子書房 | 2001 |
エスノメソドロジーによる認知科学等の諸前提の問い直しの動きは、認知科学に依拠していた情報工学の取り組みにも影響を与えることとなった。最もその動きが顕著だったのは、「コンピュータに支援された協調作業(CSCW)」という国際的な研究コミュニティである(『現代社会理論研究第5号』)。サッチマン以降、協調作業を可能にしている人々の様々な方法や方法論の解明およびそれに基づいた情報機器のデザインに指向した取り組みが増えた(Doing Design Ethnography.)。こうした動向は、情報工学におけるインタフェースデザイン(『人の視点からみた人工物研究』『ヒューマンインタフェース学会論文誌第8号』)や、職場で用いられているアナログな道具(『ペーパーレスオフィスの神話』)までその射程を広げている。(秋谷)
Springer, 2012 |
◎ | 現代社会理論研究会 | 『現代社会理論研究第5号』(小特集Ⅱ:エスノメソドロジーの現在ーCSCW研究の現状と課題) | 1995 | |
原田悦子 | 『人の視点からみた人工物研究』 | 共立出版 | 1997 | ||
ヒューマンインタフェース学会 編 | 『ヒューマンインタフェース学会論文誌第8号』(特集:エスノメソドロジーのススメ) | 2006 | |||
セレン&ハーパー(柴田博仁、大村賢悟 訳) | 『ペーパーレスオフィスの神話―なぜオフィスは紙であふれているのか?』 | 創成社 | 2007 |
学習や発達を文化的なものや歴史的なものと不可分のものとする考えは、1920年代以降のソビエト心理学の文化・歴史学派のヴィゴツキー『思考と言語』から始まり、80年代以降のコール『文化心理学』、ワーチ『心の声』 『行為としての心』、ロゴフ『文化的営みとしての発達』、エンゲストローム『拡張による学習』らの研究群で大きく展開した。日本でもこれらの理論群が「社会文化的アプローチ」「状況論的アプローチ」等として紹介されてきた(『実践のエスノグラフィ』)。
各理論の入門は数多くあるが、これらの概要をつかむ解説としては『状況と活動の心理学』が手軽である。現在ではそれぞれの理論を用いた研究が数多く展開しており、理論と研究の展開が紹介されている入門書として、ヴィゴツキーでは『社会と文化の心理学』 『ヴィゴツキーと教育学』、エンゲストロームでは『活動理論と教育実践の創造』などがある。 (五十嵐)
新読書社、2001 |
マイケル・コール(天野 清 訳) | 『文化心理学―発達・認知・活動への文化‐歴史的アプローチ』 | 新曜社 | 2002 | |
ジェームス・V. ワーチ(田島信元、佐藤公治、茂呂雄二、上村佳世子) | 『心の声―媒介された行為への社会文化的アプローチ[新装版]』 | 福村出版 | 2004 | ||
ジェームス・V. ワーチ(佐藤公治、黒須俊夫、上村佳世子、田島信元、石橋由美 訳) | 『行為としての心』 | 北大路書房 | 2002 | ||
バーバラ・ロゴフ(當眞千賀子 訳) | 『文化的営みとしての発達―個人、世代、コミュニティ』 | 新曜社 | 2006 | ||
ユーリア・エンゲストローム(山住勝広、松下佳代、百合草禎二、保坂裕子、庄井良信、手取義宏 訳) | 『拡張による学習―活動理論からのアプローチ』 | 新曜社 | 1999 | ||
茂呂雄二ほか | 『実践のエスノグラフィ』 | 金子書房 | 2001 | ||
茂呂雄二ほか | 『社会と文化の心理学ーヴィゴツキーに学ぶ』 | 世界思想社 | 2011 | ||
ハリー・ダニエルズ(山住勝広、比留間太白 訳) | 『ヴィゴツキーと教育学』 | 関西大学出版部 | 2006 | ||
茂呂 雄二 ほか | 『状況と活動の心理学―コンセプト・方法・実践』 | 新曜社 | 2012 | ||
山住勝広 | 『活動理論と教育実践の創造』 | 関西大学出版部 | 2004 |
学習の社会性に着目する研究には、心理学だけでなく人類学の学習研究(『状況に埋め込まれた学習』、『日常生活の認知行動』)としても展開しており、認知に関わるエスノメソドロジーの研究の成果(『エスノメソドロジーと科学実践の社会学』、『プランと状況的行為』、『心の社会的構成』)とともに、心理学の研究の展開に影響を与えている(『仕事の中での学習』)。このように、心理学の状況論的アプローチ、人類学の学習研究、エスノメソドロジーの成果が、学習のあり方や特徴を論じるにあたって、活動や環境・道具、コミュニティなどに着目する見方を提供し続けている。
こうした見方は、従来の教授・学習観を見直そうとする研究(『共同行為としての学習・発達』、『文化と実践』、『社会文化的アプローチの実際』)に展開するとともに、学校現場に限定せずに学習や発達を捉えようとする組織やワークプレイスの研究(『学習のエスノグラフィー』、『コミュニティ・オブ・プラクティス』、『学習の生態学』)として、さらにフィールドワークに基づく文化的実践の研究(『デザインド・リアリティ』)として展開している。(五十嵐)
産業図書、1987→1999 |
レイヴ&ウェンガー(佐伯 胖 訳) | 『状況に埋め込まれた学習―正統的周辺参加』 | 産業図書 | 1993 | |
ジーン・レイヴ(無藤 隆、中野 茂、山下清美、中村美代子) | 『日常生活の認知行動―ひとは日常生活でどう計算し、実践するか』 | 新曜社 | 1995 | ||
田島信元 | 『共同行為としての学習・発達─社会文化的アプローチの視座』 | 金子書房 | 2003 | ||
石黒広昭ほか | 『文化と実践―心の本質的社会性を問う』 | 新曜社 | 2010 | ||
石黒広昭ほか | 『社会文化的アプローチの実際―学習活動の理解と変革のエスノグラフィー』 | 北大路書房 | 2004 | ||
川床靖子 | 『学習のエスノグラフィー―タンザニア、ネパール、日本の仕事場と学校をフィールドワークする』 | 春風社 | 2007 | ||
エティエンヌ・ウエンガーほか(櫻井祐子 訳) | 『コミュニティ・オブ・プラクティス―ナレッジ社会の新たな知識形態の実践』 | 翔泳社 | 2002 | ||
福島真人 | 『学習の生態学―リスク、実験、高信頼性』 | 東京大学出版会 | 2010 | ||
有元典文&岡部大介 | 『デザインドリアリティ[増補版]―集合的達成の心理学』 | 北樹出版 | 2013 |
メディア研究は、メディアを通じた社会的行為や経験の理解そのものを考察対象とする点で、本来としてエスノメソドロジーと関係が深い。これまでも特定のメディア・イベントを対象に、その理解の実践に用いられる概念・装置についての緻密な分析がなされてきた(The Spectacle of History、The Montreal Massacre)。
逆にメディア研究の方からも、日常的な経験の視点からメディアのあり方を捉え直した研究(『なぜITは社会を変えないのか』、『なぜメディア研究か』)が展開しており、それらに加えて、日本では北田暁大が広告について歴史的な視点から独自の理解実践を析出した研究(『広告の誕生』)に、エスノメソドロジー的な研究視点との関連を見いだすことができるだろう。(是永)
Duke University Press, 1996 |
◎ | P.Eglin and S.Hester | The Montreal Massacre: A Story of Membership Categorization Analysis. | Wilfrid Laurier University Press | 2003 |
J.S.ブラウン&P.ドゥクッド(宮本喜一 訳) | 『なぜITは社会を変えないのか』 | 日本経済新聞社 | 2000→2002 | ||
R.シルバーストーン(吉見俊哉、土橋臣吾、伊藤 守 訳) | 『なぜメディア研究か―経験・テクスト・他者』 | せりか書房 | 1999→2003 | ||
北田暁大 | 『広告の誕生―近代メディア文化の歴史社会学』 | 岩波書店 | 2000/2008 |
エスノメソドロジー創始者のガーフィンケルは、『エスノメソドロジー』に抄訳が収められている有名な「アグネス」論文で、「女であり続ける」ための「パッシング」の実践に焦点をあてている。この視点を引き継ぐ現代的研究に『性同一性障害のエスノグラフィ』がある。また『概念分析の社会学』の中の「化粧と性別」論文は、女性の「素肌」なるものがいかに「社会的な」ものであるかを教えてくれる。他方、どうしても政治的論争の主題となりやすいジェンダー研究と、エスノメソドロジー研究の間には相性の良くない部分もある。この問題を乗り越えようとしながら刑事司法におけるジェンダー問題を分析した著作として『実践の中のジェンダー』を挙げることができる。また『相互行為の社会心理学』に収められている「涙は女の武器」発言を分析した「相互行為と性現象」論文も面白く読めるだろう。ジェンダーに関する現象を対象にした会話分析的研究の嚆矢としては『美貌の陥穽』がある。さらに、『女性医療の会話分析』はより専門的な会話分析の立場から女性医療の特徴を描き出している。 (小宮)
新曜社、2011 |
伊藤 勇・徳川 直人 編著 | 『相互行為の社会心理学』 | 北樹出版 | 2002 | |
山崎敬一 編 | 『美貌の陥穽――セクシュアリティのエスノメソドロジー 第2版』 | ハーベスト社 | 2010 |
1960~1970年代、とくに英米の教育社会学では、不平等の再生産メカニズムをそれまでブラックボックスにされてきた学校の内部過程に焦点を当てて明らかにしようとする潮流が生まれた。イギリスで生まれた潮流の代表的な成果が労働者階級出身生徒の「文化」に照準したウィリスの『ハマータウンの野郎ども』であり、この流れは学校の「その後」も含めた検討へと進んでいったり(『ぼくにだってできるさ』)、再生産を乗り越えるポテンシャルをもった学校の内部過程の検討へと舵を切ったりと(『効果のある学校』 『「力のある学校」の探究』)、その対象を拡大する方向へと汲みとられていった。他方アメリカで生まれた潮流は、生徒の進学の可否を決定する分類作業や(『だれが進学を決定するか』)、教育過程の構造を構造化する教師‐生徒の共同作業に着目するなど(Learning Lessons)、学校の内部過程において人びとが実際におこなっていることへの距離を縮めていく方向で展開していった。後者の流れが教育を対象とする現在のエスノメソドロジー研究ヘとつながっていくが、とりわけミーハンの仕事はそこに大きな影響を与えた。 (森)
Harvard University Press, 1979 |
ポール・ウィリス(熊沢 誠、山田 潤 訳) | 『ハマータウンの野郎ども』 | 筑摩書房 | 1996 | |
ジェイ・マクラウド(南 保輔 訳) | 『ぼくにだってできるさ―アメリカ低収入地区の社会不平等の再生産』 | 北大路書房 | 2007 | ||
鍋島祥郎 | 『効果のある学校―学力不平等を乗り越える教育』 | 部落解放人権研究所 | 2003 | ||
志水宏吉 編 | 『「力のある学校」の探究』 | 大阪大学出版会 | 2009 | ||
◎ | アーロンV・シコレル&ジョン・Iキツセ(山村賢明、瀬戸知也 訳) | 『だれが進学を決定するか―選別機関としての学校』 | 金子書房 | 1963→1985 |
自身の経験をだれか他の人に伝えたり、これを共有する多くの場合、私たちは物語りによってそれを行っている。相互行為のなかで物語りを行うことによって、経験は意味のあるまとまりとして姿を現し、またそれゆえにこの経験は他人とも共有可能なものとなるのだと言ってもよいかもしれない(Lectures on Conversation 『相互行為秩序と会話分析』)。ところで、普段は何気なく行っている物語りだが、時として私たちは理解困難な経験に出会うことがある。そしてこのような場合、私たちは、理解可能な仕方で物語を作りあげるという実践的課題に取り組むことになる。物語りの実践の研究は、物語の真偽の問題とは異なる、こうした経験の理解可能性の問題をめぐる実践についても取り組んできた(『人は不思議な体験をどう語るか』 『憑依と呪いのエスノグラフィー』)。もちろんこうした課題は、相互行為における物語りに限ったものではない。テキストの構成におけるこうした課題を扱った研究としては、Analysing Practical and Professional Texts と『日常的実践のポイエティーク』が参考になるはずである。 (浦野)
Blackwell, 1992 |
◎ | R.ウーフィット(大橋靖史・山田詩津夫 訳) | 『人は不思議な体験をどう語るか——体験記憶のサイエンス』 | 大修館書店 | 1998 |
梅屋潔・浦野茂・中西裕二 | 『憑依と呪いのエスノグラフィー』 | 岩田書院 | 2002 | ||
◎ | Rod Watson | Analysing Practical and Professional Texts: A Naturalistic Approach. | Ashgate | 2009 | |
M. ド・セルトー(山田登世子 訳) | 『日常的実践のポイエティーク』 | 国文社 | 1987 |
1960年代に犯罪・非行や精神医療の社会学的研究のパラダイム変換をもたらしたラベリング論(『アウトサイダーズ』)と、その社会問題の社会学の分野での徹底化を試みた社会問題の構築主義的研究(『社会問題の構築』 『社会問題の社会学』 『方法としての構築主義』)は、人やそれにまつわる事象のカテゴリーの社会的実践の中での使用をテーマ化したという点で、エスノメソドロジーの発想と親和性が高いものだといえる。この系統の経験的研究は、教育(『だれが進学を決定するか』)、家族(『家族とは何か』 『概念としての家族』 『子育て支援の社会学』)、感情(『文化としての涙』)といった他の社会学のトピックをめぐっても蓄積され、さらには、フーコーやハッキングの視点と呼応するような、カテゴリーの使用とその知的基盤の変遷の歴史的研究を目指す動きを生み出してもいる(『精神疾患言説の歴史社会学』)。 (中河)
金子書房、1963→1985 |
ハワード S. ベッカー(村上直之 訳) | 『完訳 アウトサイダーズ』 | 現代人文社 | 2011 | |
J.I.キツセ・M.B.スペクター(村上直之・中河伸俊・鮎川潤・森俊太訳 訳) | 『社会問題の構築―ラベリング理論を超えて』 | マルジュ社 | 1977→1990 | ||
赤川 学 | 『社会問題の社会学』 | 弘文堂 | 2012 | ||
中河伸俊・赤川 学 編 | 『方法としての構築主義』 | 勁草書房 | 2013 | ||
グブリアム、ホルスタイン(中河伸俊、鮎川 潤、湯川純幸 訳) | 『家族とは何か―その言説と現実』 | 新曜社 | 1997 | ||
木戸 功 | 『概念としての家族―家族社会学のニッチと構築主義』 | 新泉社 | 2010 | ||
松木 洋人 | 『子育て支援の社会学―社会化のジレンマと家族の変容』 | 新泉社 | 2013 | ||
北澤 毅 編 | 『文化としての涙─感情経験の社会学的探究』 | 勁草書房 | 2012 | ||
佐藤雅浩 | 『精神疾患言説の歴史社会学──「心の病」はなぜ流行するのか』 | 新曜社 | 2013 |
エスノメソドロジー的な関心をもって様々なフィールドに入っていく人類学者や社会学者がいる(たとえば、京都大学の人類学者を中心にした「コミュニケーションの自然誌研究会」の参加者の手による『コミュニケーションの自然誌』 『コミュニケーションとしての身体』 『インタラクションの境界と接続』など)。社会学でも、病院(『病院で作られる死』 『女性医療の会話分析』)やピアノを弾くという自身の経験(『鍵盤を駆ける手』)といったものを探究の対象とした数多くの研究が積み重ねられてきている。これらのエスノグラフィーは、 会話や身振りに焦点化したもの、組織活動に注目したものなど、その対象や粒度は様々である。だが一方で、フィールド先の人びとがどのように世界を理解し、実践のなかで意味付け、分節化しているかを探求しているという点においては共通した課題に取り組んでいると言える。 (秋谷)
新曜社、→1993 |
谷 泰 編 | 『コミュニケーションの自然誌』 | 新曜社 | 1997 | |
菅原和孝、野村雅一 編 | 『コミュニケーションとしての身体』 | 大修館書店 | 1996 | ||
木村大治・高梨克也・中村美知夫編 | 『インタラクションの境界と接続―サル・人・会話研究から』 | 昭和堂 | 2010 |
EMの始祖ガーフィンケルはパーソンズの教え子であったが、ウェーバーに端を発する理解社会学をめぐるパーソンズの論争相手であったシュッツからも大きな影響を受けつつ思索を発展させた(ウェーバーについては『理解社会学のカテゴリー』を、パーソンズについては『社会的行為の構造』を、シュッツについては『社会的世界の意味構成』を、論争の消息については『社会的行為の理論論争』を、またシュッツの生涯と教説については『アルフレート・シュッツのウィーン』を参照)。
ガーフィンケルの重要な知的源泉としてデュルケームとフッサールの名も挙げておこう。デュルケーム晩年の著作『宗教生活の原初形態』では、 宗教的観念-儀礼の実践-社会的秩序 の間の構成的な関係をめぐる考察が展開されており、「概念分析の社会学」の一つの起源とみなせるものである。フッサールについては俊英ザハヴィによる優れた概説書『フッサールの現象学』を挙げておく。ガーフィンケル以降のEMの展開については『エスノメソドロジーの可能性』が参考になる。 (酒井)
岩波文庫、1912→1975 |
マックス・ウェーバー (海老原明夫、中野敏男 訳) | 『理解社会学のカテゴリー』 | 未来社 | →1990 | |
タルコット・パーソンズ(稲上 毅、厚東洋輔 訳) | 『社会的行為の構造』 1、 2、 3、 4、 5 | 木鐸社 | 1937→1976 | ||
アルフレート・シュッツ(佐藤嘉一 訳) | 『社会的世界の意味構成─理解社会学入門[改訳版]』 | 木鐸社 | →2006 | ||
W.M.スプロンデル(編)(佐藤嘉一 訳) | 『社会的行為の理論論争―A・シュッツ=T・パーソンズ往復書簡』 | 木鐸社 | →2009 | ||
森 元孝 | 『アルフレート・シュッツのウィーン―社会科学の自由主義的転換の構想とその時代へ』 | 新評論 | 1995 | ||
ダン・ザハヴィ(工藤和男、中村拓也 訳) | 『フッサールの現象学』 | 晃洋書房 | →2003 | ||
◎ | 椎野信雄 | 『エスノメソドロジーの可能性──社会学者の足跡をたどる』 | 春風社 | 2007 |
社会学には、行為の編成をシステム論の道具立てを使って捉えようとしてきた潮流がある。なかでも現象学の影響下で展開してきたニクラス・ルーマンの議論には、EMと系統立った比較検討が可能な論点がいくつも存在する(『来るべき知』所収の西阪論考、『実践の中のジェンダー』第2章を参照)。すでに70年代初頭におけるハーバーマスとの論争『批判理論と社会システム理論』には、行為と知識の関係の捉え方に問題があるせいで 社会学は〈行為システム論〉と〈知識社会学〉に分断されてしまっているという趣旨の診断がなされており、この分断に抗して、諸行為の編成を それに構成的な概念や知識との関わりで把握しようという方針の萌芽も見られる。のちにルーマンは、この着想を──対象を「全体社会」に絞り・作業のための素材を概念史に頼るという限定的なかたちではあるが──二つの巨大な著作シリーズとして具体化した(『社会の法』『社会の政治』など+『社会構造とゼマンティク』)。近年続々と邦訳公刊されているこれらの著作をEMの諸研究と並べて読めば、類縁性だけでなくそれぞれのプロジェクトの特徴のほうも見えやすくなるはずである。こと比較という目的からすると ルーマンによる研究対象の限定は残念なことではあるが。
なおルーマンの議論の概略を知るには、『ニクラス・ルーマン講義録』や『社会の理論の革命』が便利である。 (酒井)
木鐸社、1971→1984 |
土方 透 (編) | 『ルーマン 来るべき知』 | 勁草書房 | 1990 | |
ニクラス・ルーマン | 『社会の法』1、2 | 法政大学出版会 | 1993→2003 | ||
ニクラス・ルーマン(訳) | 『社会の政治』 | 法政大学出版会 | 2000→2013 | ||
ニクラス・ルーマン(訳) | 『社会構造とゼマンティク』1、2、3 | 法政大学出版会 | 1980,1981,1989 →2011,2013,2013 |
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ディルク・ベッカー 編 | 『ニクラス・ルーマン講義録』1、2 | 新泉社 | →2007,2009 | ||
長岡 克行 | 『ルーマン/社会の理論の革命』 | 勁草書房 | 2006 |
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会社員。ルーマン・フォーラム管理人(http://socio-logic.jp)。 社会科学の前史としての道徳哲学・道徳科学の歴史を関心の中心に置きつつ、このブックガイドの趣旨通りにエスノメソドロジーを利用しながら日々書棚を散策しています。ここ10年ほどは、自分が読みたい社会学書を ひとさまに書いていただく簡単なお仕事などもしています。 >>業績
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東海大学准教授。一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(社会学)。 >>業績
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三重県立看護大学教員。慶應義塾大学大学院法学研究科後期博士課程単位取得退学。博士(社会学)。 科学的な知識と生活経験との関係について、自閉症と自閉症者、その家族を中心に据えながら学んでいる現在です。 >>業績
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明治学院大学社会学部付属研究所研究員。東京都立大学大学院社会科学研究科社会学専攻博士課程修了。博士(社会学)。 >>業績
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京都大学物質-細胞統合システム拠点科学コミュニケーショングループ特定研究員。2009年埼玉大学大学院理工学研究科博士後期課程修了。博士(学術)。専門はエスノメソドロジー。 >>業績
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青森大学社会学部教員。1999年明治学院大学大学院博士後期課程単取得満期退学。 >>業績
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上越教育大学大学院 准教授。2009年一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了、博士(社会学) >>業績
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立教大学社会学部教員。1995年東京大学大学院博士課程単取得退学。 >>業績
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東京大学社会科学研究所助教。2013年東京大学大学院教育学研究科博士課程修了。博士(教育学)。 >>業績
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関西大学総合情報学部教授。1983年京都大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(文学)。 >>業績
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紀伊國屋書店新宿本店 3F F26 |
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2014年3月17日から |
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紀伊國屋書店新宿本店 03-3354-5703 ※3F直通 |
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紀伊國屋書店 グランフロント大阪店 |
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2014年5月26日から6月30日まで |
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祭りの会場はこちら。写真を取るときには店員さんにひと声かけて。ほかのお客さんが写り込まないようにしましょう。