紀伊國屋書店新宿本店ブックフェア じんぶんや「〈概念分析の社会学〉からはじめる書棚散策」(2015.3.20-)

 このページは、酒井泰斗プロデュースによるブックフェア 社会のブックガイド*──ルーマンからはじめる書棚散策 をご紹介するものです。

 フェアは、勁草書房と朝日カルチャーセンター新宿 の企画協力を得て、紀伊國屋書店新宿本店三階にて2015年3月20日から一ヶ月間ほど開催されました。 紀伊國屋書店勁草書房の特設ページもご覧ください。

 趣旨文にも記したとおり、このブックフェアは(ルーマン理論の紹介ではなく)ルーマンの研究方針と成果を、ジャンルに拘らずに書棚を散策する読書人たちにも利用していただこう」という狙いで おこなったものです。 フェア開催中、店舗では、選書者たちによる解説を掲載したパンフレットを配布しました。このページにはその内容を掲載しています。
 また2014年、2016年には同様な趣旨のもと、

というフェアも開催しました。こちらも併せてご覧ください。
* © 三谷武司
更新情報
2015.07.16
福岡本店では15日から、グランフロント大阪店では 16日から、ブックフェアが始まりました。「フェア会場写真」のコーナーに、大阪店の写真を掲載しました。
2015.07.01
7月中旬より、同趣旨のフェアをグランフロント大阪店と福岡本店でも開催していただけることになりました。開催にあたり、パンフレットの内容を基本に新たに30点を選びなおしています。詳細は各店舗からのアナウンスをお待ちください。
2015.06.01
各項目の選書リストに、会場で配布したパンフレットでは「参考」扱いだった書籍を掲載しました。
2015.05.21
2-2「システム理論と社会理論」項目の解説文のうち、後半部分「社会理論:現代編」を公開しました。これで全てのパンフレット解説文が掲載されました。
2015.05.14
「社会の芸術」項目の解説文のうち、後半部分を公開しました。
2015.05.07
ブックフェア、大盛況のうちに昨日無事終了しました。ご来場いただきました皆さまに、あらためまして御礼申し上げます。会場で配布したブックレット記載の紹介文は、今後はこのページにて公開してゆきます。本日は「社会の法」項目の解説文の後半部分を公開しました。
2015.05.01
ブックフェアも残すところ五日、というところですが、明日 5/2 発売の図書新聞3206号にルーマン・ブックフェアを紹介する記事が掲載されます。見出しは「高額希少本の売切れ続出 既刊本の新販売法に注目」(!)。 フェアの意図と経緯、書籍の売上ベストが冊数別/金額別で掲載されています。
2015.04.29
いよいよブックフェア最終週となりました。このフェア以降はさらに入手の難しくなることが予想される僅少書など、どうかお見逃しなく。ゴールデンウィークにはぜひ会場にいらしてください。
本日は毛利康俊さん担当の「社会の法」項目の解説文のうち、前半部分を公開しました。
2015.04.24
本日からブックフェア6週目に突入いたします。
本日は北田暁大さん担当の「社会の芸術」項目の解説文のうち、前半部分を公開しました。
2015.04.21
今月末刊行予定の馬場靖雄さんの訳によるルーマン『社会の道徳』が、ブックフェア会場にて先行販売されることになりました。ぜひ会場にてご覧ください。
2015.04.16
フェア4週目最終日となりました。会期も残すところ2週間となりました。来週もよろしくお願いします。
本日は「社会構造とゼマンティク:方針」項目の解説文のうち、後半部分を公開しました。 「芸術」の項で推薦したメニングハウス『無限の二重化』の読書会を、駒場ドイツ文学・ドイツ思想研究会とルーマン・フォーラムの共催で開催します。ドイツロマン主義とヴァルター・ベンヤミン、あるいは構造主義とサイバネティクスの関係などに関心のある方はぜひ参加をご検討ください。
2015.04.09
フェア3週目最終日です。
本日は「社会構造とゼマンティク:方針」項目の解説文のうち、前半部分を公開しました。
2015.04.03
フェア3週目に入りました。今週もよろしくお願いします。
本日は「システム理論と社会理論」項目の解説文のうち、高橋担当箇所の前半を先行公開しました。
2015.04.01
小山裕さんと関谷翔さんのプロフィールを更新しました。
2015.03.30
フェア開始から10日。たくさんの方に訪れていただいているようで、ありがたい限りです。ルーマン『社会の経済』や石戸『ルーマンの教育システム論』、コリンズ&ピンチ『迷路のなかのテクノロジー』などなど、引き続き、各出版社から入手困難書の入荷が続いているようです。機会があればぜひ再訪をお願いします。なお、僅少書籍は破損や汚れがみられる場合もあります。店頭で商品の状態をよく確認のうえご購入ください。
本日は「システム理論と社会理論」項目の解説文のうち、酒井担当箇所を先行公開しました。
2015.03.25
4/6開催のトークイベント、満員に達しましたので募集を締め切りました。
2015.03.25
ブックフェア開始から一週間たちました。来週からはフェア開始時に間に合わなかった僅少書などが売り場に登場するはずです。引き続きフェアをよろしくお願いします。
本日は「社会の政治」項目の解説文を先行公開しました。
2015.03.25
山本貴光さんのブログ 作品メモランダム にてブックフェアを ご紹介いただきました。どうもありがとうございます。
2015.03.23
法政大学出版局のWEBサイトにブックフェア紹介を掲載していただきました。どうもありがとうございます。
2015.03.20
ブックフェア、いよいよ本日から開催です。会場の写真をいただいたので「フェア会場写真」に掲載しました。また解説文の中から一つ、「社会の教育」(山田哲也 選・執筆)を先行公開しました。
2015.03.17
勁草書房の紹介ページがオープンしました:「社会のブックガイド」
トークイベントのページも:「マイナー社会学の愉しみ方」の紹介ページも。
2015.03.14
紀伊國屋書店の紹介ページがオープンしました。トークイベントの受付も開始です。
2015.03.12
4/6 に開催を予定しているトークイベントの受付は14日(土)からとのことです。主催者アナウンスをお待ちください。
2015.03.05
選者からパンフレットに掲載する書籍リスト解説文の原稿が集まりました。パンフレットは 3/20 から店頭で配布されますが、こちらでは を先行公開しています。
2015.02.25
すべての書籍リストを掲載しました。
2015.02.20
「03. 社会の科学」までの書籍リストを掲載しました。
2015.02.16
選書リストを確定しました。
2015.01.16
ページ準備を開始しました。

趣旨

 社会学者ニクラス・ルーマンは「我々はどんな特徴を持つ社会に暮らしているのか」という問いを30年以上にわたって追求し続けました。ルーマン以前の社会理論の多くが、何らかの基本的で重要な契機──たとえば聖なるもの、法、契約、所有、生産、交換、権力、性などなど──から出発するものであったのに対して、ルーマンは〈互いに還元できない固有の形式をもった無数の局所的秩序の集積からなる社会〉というヴィジョンを提出しました。

 ルーマンの研究プロジェクトは最終的に『社会の理論』と『社会構造とゼマンティク』という二つの著作シリーズに結実しましたが、そこには現代社会の主要な機能領域──経済、科学、法、芸術、政治、宗教、教育──に関するモノグラフが含まれています。 『社会の理論』シリーズの第三部にあたるこれらモノグラフは、一冊だけを取り出して独立に読んでしまうと、「当該領域ではよく知られている事柄をすこし変わった仕方で再配置しただけのもの」のように見えるかもしれません。実際のところ そう述べてもそれほど間違いではないのですが、しかし、ここで行われているのが、

  • 当該領域に関する定番の基本文献を系統だった仕方でたどり直すことによって「諸領域の間の似ていないもの同士の構造的な比較」を可能にし、
  • それによって拡大された視野のもとで、当該領域の特徴を描く

という作業であることは、シリーズを通覧してみないと気づかないかもしれません。

 このブックフェアは、こうした寄食的な性格を持つルーマンの著作を、ジャンルに拘らずに日々面白い書籍を探索している書籍遊猟者たちにも利用していただくために企画したものです。ここには主として、ルーマンが参照している 特定領域の専門家にとっては定番だが一般にはそれほど知られていないかもしれない良書と、ルーマンが参照してもよかったはずの定番の良書を集めました。その多くは各領域における現代の古典と呼べるものです。これらには、分野を超えて広く読者を獲得するほどのポピュラリティはないかもしれません。そしてまたここで取り上げた領域に満遍なく通暁した読書人も そうはいないでしょう。だからこそ、これら諸領域に見通しを与えてくれるルーマンの著作をガイドに領域間を行き来してみることは、楽しい探書散策となるに違いありません。

 リストのどこかから出発してある書棚へと出かけ、ルーマンの著作に戻り、また他の書棚へと出かける。 ──そんな風に、書棚を「似ていないものの比較」の相において観るために このリストを利用していただけたら幸いです。(酒井泰斗)


[2015年7月6日追記]

グランフロント大阪店・福岡本店での開催にあたって

 このパンフレットは、2015年4月に紀伊國屋書店新宿本店で開催された「じんぶんや:社会のブックガイド」のために作成したもので、店頭でもこの内容をほぼ実現するかたちで100冊以上の書籍を展示しました。大阪・福岡でのブックフェア開催あたり、このパンフレットをもとに新たに30冊を選びなおしてあります。

 選びなおしにあたっては、新しく、ルーマンの4つの著作──『社会の科学』『社会の芸術』『リスクの社会学』『社会の道徳』──を軸とするかたちに組み替えました。ラブジョイやエリアスの著作など、パンフレットとは異なる項目に配置したものもありますが、これらはルーマンの様々な著作で広く繰り返し参照されているものです。またパンフレット作成後に関連書籍が立て続けに刊行されたために差替えたものもあります。

 なお今回は、このブックフェアのプロデューサである酒井編の論文集『概念分析の社会学─社会的経験と人間の科学』(2009年、ナカニシヤ出版)も本棚に並べていただくことにしました。本書は、専門的知識による行為や経験の可能性の変容を、マイケル・リンチ『エスノメソドロジーと科学実践の社会学』やイアン・ハッキング『知の歴史学』(2012年、岩波書店)などの示唆を受けつつエスノメソドロジー的に検討した論考を集めたものです。こうした研究とルーマンの研究プロジェクトとの繋がりについては「社会システムの経験的記述とはいかなることか」という論文*に記したことがあります。ルーマンの仕事を、これまでとは異なる仕方で評価していく一つの道筋を示したものとして、この企画とあわせてご覧いただければ幸いです。

* 酒井泰斗・小宮友根、2007年、ソシオロゴス31。この論文はその後、改稿されて小宮友根『実践の中のジェンダー法システムの社会学的記述』(2011年、新曜社)に収録されました。

書籍リストの構成と担当者

書籍リスト

1. 『社会のX』

1-1. 社会の科学
上野直樹・土橋臣吾 編
せりか書房、2006
ニクラス・ルーマン(徳安 彰 訳) 『社会の科学1』 法政大学出版局 2009
ニクラス・ルーマン(徳安 彰 訳) 『社会の科学2』 法政大学出版局 2009
ハンス・ブルーメンベルク(忽那敬三 訳) 『近代の正統性2―理論的好奇心に対する審判のプロセス』 法政大学出版局 2001
古川 安 『科学の社会史―ルネサンスから20世紀まで』 南窓社 2001
ハリー・コリンズ&トレヴァー・ピンチ(村上陽一郎ほか 訳) 『迷路のなかのテクノロジー』 化学同人 2001
ハリー・コリンズ&トレヴァー・ピンチ(福岡伸一 訳) 『七つの科学事件ファイル──科学論争の顛末』 化学同人 2001
上山隆大 『アカデミック・キャピタリズムを超えて: アメリカの大学と科学研究の現在』 NTT出版 2010
シーラ・ジャサノフ(渡辺千原・吉良貴之 監訳) 『法廷に立つ科学:「法と科学」入門』 勁草書房 2015
キャス・サンスティーン (田沢恭子 訳) 『最悪のシナリオ―巨大リスクにどこまで備えるのか』 みすず書房 2012
ロバート・マートン(成定 薫 訳) 『科学社会学の歩み―エピソードで綴る回想録』 化学同人 1983
デイヴィド・ブルア(戸田山和久 訳) 『ウィトゲンシュタイン―知識の社会理論』 勁草書房 1988
マイケル・リンチ(水川喜文・中村和生 監訳) 『エスノメソドロジーと科学実践の社会学』 勁草書房 2012
戸田山和久 「ウィトゲンシュタイン的科学論」 in 新田義弘ほか編『岩波講座 現代思想10:科学論』 岩波書店 1994
ブルーノ・ラトゥール(川崎 勝ほか訳) 『科学論の実在―パンドラの希望』 産業図書 2007
イアン・ハッキング(渡辺 博 訳) 『表現と介入―ボルヘス的幻想と新ベーコン主義』
『表現と介入―科学哲学入門』
産業図書/筑摩書房 1986/2015
戸田山和久 『科学哲学の冒険―サイエンスの目的と方法をさぐる』 日本放送出版協会 2005
井山弘幸・金森 修 『ワードマップ 現代科学論―科学をとらえ直そう』 新曜社 2000
伊勢田 哲治 『認識論を社会化する』 名古屋大学出版会 2004
松本三和夫 『構造災―科学技術社会に潜む危機 』 岩波書店 2012
加藤尚武 編 『ハイデガーの技術論』 岩波書店 2003
奥田栄 『科学技術の社会変容』 日科技連出版社 1996
マイケル・ギボンズ編 『現代社会と知の創造―モード論とは何か』 丸善 1997
中村征樹 編 『ポスト3・11の科学と政治』 ナカニシヤ出版 2013
>>解説文を開く

 希少な財を配分する仕組としての市場。支配の仕組としての民主制。紛争解決の仕組としての裁判などの制度や実定法。これらと同様に、新規性ある正しい知識を獲得・管理する仕組としての科学もまた、諸々の欠点を持っている。そして我々は、これらを凌駕する仕組みを持っていない。

 『社会の理論』シリーズ第三部はどの巻も、現代社会をかたちづくっているこうした主要な制度の成立可能性条件を、それを構成する当該領域に特有なコミュニケーションに差し戻し関連づける仕方で検討しようとするものである。本書『社会の科学』の場合、関心の焦点は「新規性を含む正しい知識の獲得・管理に指向したコミュニケーション」──以下「科学コミュニケーション」と呼ぶ──にある。

 ルーマンが最初に注意を促すのはたとえば、特定のものに持続的な好奇心を持つという態度の異様さであり[ブルーメンベルク『近代の正統性2』、時間を隔てて異なることを述べても 嘘や不誠実にならないことを可能にする真理シンボルの特別な力である。我々はすでにこうした態度や力に慣れすぎているために、これらの歴史的なローカル性に気づくためには歴史的知見の助けを必要とする。その上で、

  1. そうしたコミュニケーションはどのように営まれているのか
  2. それらは、それ以外のもの(科学的ではないコミュニケーションやコミュニケーションではないもの)をどのように扱うか

といったことを概念把握することが、本書の課題となる。

 こうした議論をフォローするためには、まずおおまかにでも 科学史 と 科学コミュニケーション の実際のあり様を知っておく必要があるが、導入には古川安『科学の社会史』とコリンズ&ピンチ『迷路のなかのテクノロジー』が適しているだろう(後者には前編『七つの科学事件ファイル』の邦訳もある)。

 主要な研究活動が実際に営まれる場である実験室やフィールド、過去200年ほどにわたって研究のインフラを担ってきた大学、科学が提供する知識や判断が参照・利用される場としての裁判などなどといった場はどれも、それ自体としては、科学コミュニケーションではない。科学コミュニケーションはこれらの場の中で(も)営まれるが、それらを作り出し・維持し・更新変容させるものでもあり、そしてまたどのような場においても、他のコミュニケーション や コミュニケーションではないもの と共に・錯綜したかたちで生じる。残念ながらルーマン自身はこうした腑分けも例示も丁寧にはおこなってくれないから、読者の側でこの点に注意しつつ、また事例を仕込みながらテクストに付き合う必要がある。大学については上山『アカデミック・キャピタリズムを超えて』、司法についてはジャサノフ『法廷に立つ科学』、政治的決定場面におけるリスク判断についてはサンスティーン『最悪のシナリオ』を、それぞれ推薦しておこう。

 『社会の科学』で主に参照されているのは、1960年代から1980年代にかけての科学社会学的研究であるが、この期間に科学社会学の主要関心は、専門職の社会学[マートン『科学社会学の歩み』から知識の社会学[ブルア『ウィトゲンシュタイン』へ、さらに知識生産の現場における活動の研究[ラトゥール『科学論の実在』、上野&土橋『科学技術実践のフィールドワーク』へと移行した(実験室のエスノグラフィは科学哲学者たちの議論も触発した[ハッキング『表現と介入―科学哲学入門』、戸田山『科学哲学の冒険』])。これらに関する紹介は、井山・金森『現代科学論』と伊勢田『認識論を社会化する』に譲る(後者は社会学を科学哲学の検討対象にした稀有な著作でもある)。また日本における最近の仕事の例として松本『構造災』挙げておく。

 ただし例外としてリンチ『エスノメソドロジーと科学実践の社会学』には触れておきたい。ブルア『知識の社会理論』は一時期社会学の中でも猛威を振るったクリプキ風ウィトゲンシュタイン解釈の最も著名な例の一つでもあるが、これと──社会学に対しては小さな影響しか及ぼさなかったが──より標準的なウィトゲンシュタイン解釈に近い線で進むリンチの議論を比較しながら読んでみると、科学社会学的にも社会学史的にも面白いはずである。 なお両書については次の解説論文も参照のこと: 戸田山和久「ウィトゲンシュタイン的科学論」、『岩波講座 現代思想10:科学論』、新田義弘ほか編、岩波書店、1994.

 こうした研究を素材として、ルーマンの議論は、科学論の成果と社会理論とを循環的に──つまりどちらか一方で他方を基礎づけようとするのではない仕方で──結びつける路線を進む。一例として「真理」をめぐる議論を紹介すると、ルーマンはたとえば「対応説、整合説、合意説のどれが正しいのか」といった議論はおこなわない。その代わりに、

  1. ふつう 科学コミュニケーション において真理シンボルは対応説的に使用されるが、にもかかわらず
  2. その他の(構成主義的な)真理概念が歴史のなかに繰り返し登場してきた

という事情から出発する。そして i については「真理が〈主張と事実との合致〉のシンボルとして使用されうるためには、コミュニケーションはどのような事情になっていなければならないか」といった仕方で真理の社会的可能性条件を問う[四章]

真理シンボルは、他己の体験を自己の体験に結びつけ・(たとえば知識を獲得するために投下された)行為を中和するようなかたちで用いられなければならない。 真理のこの性格はコミュニケーションへの参入制限そのほか多方面に深甚な影響をおよぼすが、そうした点は、行為と行為を結びつける権力メディアなど他のコミュニケーション・メディアとの比較の相のもとで検討される。

また ii については、三つの真理説が それぞれコミュニケーション上のどのような部分的な課題に注目した定式となっているのかを論じるのである。

 こうした議論を経て、ルーマンの考察は現代科学の技術的な性格へと向かう。一方で科学技術についての反省は技術的な性格を備えなければ力を持たないだろうとの見通しを語りながらも[五章]、他方で我々には的確な技術論が欠けていると述べつつ・〈技術的な問題への技術的対処〉という再帰性から零れ落ちるものへと眼をこらそうとする『リスクの社会学』五章]ルーマンのアンビヴァレンスには、ハイデガー技術論[加藤編『ハイデガーの技術論』の残響が聴き取れよう。(酒井泰斗・関谷 翔)

1-2. 社会の法
ハロルド・J. バーマン
(宮島直機 訳)
中央大学出版局、2011
ニクラス・ルーマン(馬場靖雄ほか訳) 『社会の法1』 法政大学出版局 2003
ニクラス・ルーマン(馬場靖雄ほか訳) 『社会の法2』 法政大学出版局 2003
太田勝造、ダニエル・H・フット、濱野亮、村山眞維編 『法社会学の新世代』 有斐閣 2009
和田仁孝 編 『法社会学』 法律文化社 2006
碧海純一 『法と社会─新しい法学入門』 中央公論新社 1967
毛利康俊 『社会の音響学:ルーマン派システム論から法現象を見る』 勁草書房 2014
リーベリッヒ・ミッタイス(世良晃志郎 訳) 『ドイツ法制史概説』 創文社 2001
F. ヴィーアッカー(鈴木禄弥 訳) 『近世私法史』 創文社 1995
田中成明 『現代法理学』 有斐閣 2011
木庭 顕 『ローマ法案内―現代の法律家のために』 羽鳥書店 2010
ハロルド・J. バーマン(宮島直機 訳) 『法と革命2:ドイツとイギリスの宗教改革が欧米の法制度に与えた影響』 中央大学出版局 2010
川島武宜 『日本人の法意識』 岩波書店 1967
ダニエル・H. フット(溜箭将之 訳) 『裁判と社会―司法の「常識」再考』 NTT出版 2006
ブロニスワフ・マリノフスキー(青山道夫ほか訳) 『未開社会における犯罪と慣習』 新泉社 2002
ハンス・ケルゼン(長尾龍一 訳) 『純粋法学 第二版』 岩波書店 2014
H.L.A. ハート(長谷部恭男 訳) 『法の概念 第3版』 ちくま学芸文庫 2014
R.パウンド(細野武男 訳) 『社会学的法学』 法律文化社 1979
カイム・ペレルマン(太田勝造ほか訳) 『法律家の論理―新しいレトリック』 木鐸社 2004
テーオドール・フィーヴェク(植松秀雄 訳) 『トピクと法律学』 木鐸社 1995
エリク・ポズナー(江口三角 訳) 『法と社会規範―制度と文化の経済分析』 木鐸社 2002
>>解説文を開く

 紛争当事者の言い合い、弁護士のクライアントに対する発言、裁判官の当事者に対する判決申し渡し、国会の国民に対する立法行為、行政機関の国民に対する行政行為・・・などなど。ルーマンが「法システムは法的コミュニケーションからなる」というときの「法的コミュニケーション」とは、これらのうちどーれだ? こう問われたら用心した方がよい。答えは、「どれでもあり、どれでもない」。法的コミュニケーションとは、これらのすべての行為・出来事の特定の側面・契機である。

 ただし、ルーマンは単にこれらの総称概念としてこの概念を立てているのではない。これらがいずれもルーマンの定義する意味での「法的コミュニケーション」であることによって、相互に連結し、かくして一つの法的世界(=法システム) が成り立つというのが、彼の基本的主張である。そしてまた、彼のもう一つの基本的主張はこうである。この一つの法的世界が存立することにおいて、社会全体にとっては、「人びとの、人に対する、簡単には撤回されない、期待の体系が調整される」という機能が果たされる、そして、その機能こそが、この法的世界(法システム) の全体社会に対する「唯一の」機能である。

 ルーマンは社会学者に分類されることが多いが、普通の社会学者とは少し異なる。ルーマンも、普通の法社会学者が研究している冒頭に上げたような法現象を念頭において、「法的コミュニケーション」と言っているのだが、上述のようにそれを見る視点が独特なのだ。超学際的分野である法社会学の普通とはなにかは難しいが、太田ほか編『法社会学の新世代』、和田編『法社会学』 は目を通して損はない。前者は社会調査法に重点をおいた概説書で、普通の法社会学者の仕事の現場が垣間見える。後者では、現在の法社会学者がどのような現象を、どのような関心からどのように見ているかを概観できる。普通の法社会学者が法現象として記述しているものを、ルーマン的に「連結」の観点から読み直したら、なにか有意義な知見が生まれるだろうか。また、上記のように法の機能は一つしかないと言い切るのも、相当に異質。碧海『法と社会』 は、むしろルーマンが法の機能ではないとして切り捨てた、「社会統制」や「社会化」などの機能の観点から、法と社会の全体像を描ききった古典的名著。もしこの書物の描き方に説得力を感じるならば、その分だけ、ルーマンの「法の機能」に対するかたくなな態度が謎めいてくるはずだ。こうして、ルーマンの『社会の法』が対象とする「機能システム」としての「法」は、普通の法律家がイメージするものからは少しズレている。毛利『社会の音響学』 は法律家の視点から『社会の法』を好意的に読む試み。

 ルーマンが『社会の法』を出したのは1993年のことだが、この書の叙述を下支えしているのは、該博な法史の知識と1980年代の法哲学への広い目配りである。法史に関しては、やはりミッタイス『ドイツ法制史概説』、ヴィーアッカー『近世私法史』が重要で、これらは若きルーマンにとっての基本書であり、現在でも古典として読み継がれている。田中『現代法理学』は1980年代の法哲学を総括したものとして世界的に見ても出色。ルーマンがとくに注目するのは古代から近代に至るローマ法の歴史だが、ローマ法を、それを成立させた歴史的条件とともに学ぶなら、木庭『ローマ法案内』が無条件に推薦できる。バーマン『法と革命』 は、宗教や教会が法の歴史に与える影響を論ずる際の、ルーマンの種本。法史への言及は、『社会の法』では、近代法の歴史的特徴づけのためになされている。近代法が機能システムだとしても、それがどの程度まで社会に根づいているかは、時と所により相当に異なるはず。日本では? 川島『日本人の法意識』は「根づいていない説」の古典的名著で、それに対しフット『裁判と社会―司法の「常識」再考』は「根づいている説」の近年の代表作。近代法と対比されるべきものに、人類学的社会における法があるが、ルーマンもマリノフスキー『未開社会における犯罪と慣習』をよく参照している。ルーマンがいう近代法の「自律性」とケルゼンがいう法の「純粋性」が似ているという人が多いが、ルーマンのケルゼンへのコメントは実はかなり辛口。ケルゼンの主著と目されるのは、『純粋法学 第一版』ではなく、『純粋法学 第二版』。ようやく二版の翻訳が出た。ハートの『法の概念 第3版』は、法とはなにかを考えるためのフレッシュなスタートを切り、その衝撃から現代分析法理学が生まれた。ターミノロジーはまったく共有しないのに、ルーマンは現代分析法理学に好意的に言及することが多い。法の社会学的研究は法の理解になにをもたらすか。パウンド『社会学的法学』は20世紀前半のアメリカ法学の巨峰の作だが、ルーマンはこの問にまったく別の角度から答えようとした。法律家とはほとんど定期的に自分たちの営みの合理性にたいする自信を失う人種である。哲学の世界でレトリック論・トピク論を復興させたペレルマン『法律家の論理』は、法律家の自信回復にも大いに寄与した。これとあわせてフィーヴェク『トピクと法律学』を読むと、トピク論の導入は、法律家にとっては伝統的な法律学像の革新であったことがわかる。ルーマンは『社会の法』の第8章で、レトリック論・トピク論を屈折した形で批判している。ルーマンは、システム論を選択した段階でゲームの理論を切って捨てているが、これは早すぎた見切りではなかったか。ポズナー『法と社会規範』はこの点を測る良い素材になるだろう。(毛利康俊)

1-3. 社会の芸術
ネルソン・グッドマン
(菅野盾樹 訳)
筑摩書房、2008
ニクラス・ルーマン(馬場靖雄 訳) 『社会の芸術』 法政大学出版局 2012
佐々木健一 『美学辞典』 東京大学出版会 1995
ヴィンフリート・メニングハウス(伊藤秀一 訳) 『無限の二重化―ロマン主義・ベンヤミン・デリダにおける絶対的自己反省理論』 法政大学出版局 1992
ヴァルター・ベンヤミン(浅井健二郎 訳) 『ドイツ・ロマン主義における芸術批評の概念』 筑摩書房 2001
田中 均 『ドイツ・ロマン主義美学―フリードリヒ・シュレーゲルにおける芸術と共同体』 御茶の水書房 2010
今泉文子 『ノヴァーリスの彼方へ:ロマン主義と現代』 勁草書房 2002
ウンベルト・エーコ(篠原資明ほか訳) 『開かれた作品』 青土社 2002
ジャック・デリダ(高橋允昭ほか訳) 『絵画における真理 上』 法政大学出版局 2012
ジャック・デリダ(高橋允昭ほか訳) 『絵画における真理 下』 法政大学出版局 2012
E.H. ゴンブリッチ(白石和也 訳) 『装飾芸術論』 岩崎美術社 1989
ジャン‐クリストフ・アグニュー(中里寿明 訳) 『市場と劇場―資本主義・文化・表象の危機 1550‐1750年』 平凡社 1995
レイモンド・ウィリアムズ(若松繁信ほか訳) 『文化と社会―1780‐1950』 ミネルヴァ書房 2008
イアン・ワット(藤田永祐 訳) 『小説の勃興』 勁草書房 1999
アーサー・ダントー(西村清和 監訳) 「アートワールド」 in 『分析美学基礎論文集』 勁草書房(予定) 2015
ロバート・ステッカー(森 功次 訳) 『分析美学入門』 勁草書房 2013
キャロリン・コースマイヤー(長野順子ほか訳) 『美学―ジェンダーの視点から』 三元社 2012
ローマン・インガルデン(滝内槙雄ほか訳) 『文学的芸術作品』 勁草書房 1998
クレア・ビショップ(星野太 訳) 「敵対と関係性の美学」 『表象』5、月曜社 表象文化論学会 2011
マイケル・フィンドレー(バンタ千枝ほか訳) 『アートの価値 マネー、パワー、ビューティー』 美術出版社 2014
ニコラ・ブリオー(辻 憲行 訳) 『関係性の美学』 水声社(予定) 2015
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 ルーマンが扱う様々な機能システムの分析のなかで、具体的な事例の参照の濃度が最も高いのが法であり、最も希薄なのが芸術である。『社会の芸術』 に登場してくる作家、批評家はかなり限定されており、法の分析でみられるような濃度は感じられない。デュシャンやジョン・ケージが度々登場するのをみると、アート好きのひとであれば苦笑してしまうだろうし、依拠している歴史文献も相当に限られている。また、いかにもルーマンらしく、統計を用いて芸術の社会被拘束性を突くということもしない。芸術史についての社会学的情報を得たいと思うひとであれば、退屈に映るであろうことは容易に予想される。

 しかし逆に、『社会の芸術』では機能領域の区分を超えて、ルーマン理論を貫く課題がもっとも明確に打ち出されている、と私は考える。ルーマンの理論的骨子をなす社会システムをめぐる理論の構造が芸術だからこそ前景化している、とでもいえるだろうか。 自律的な美という概念を媒介として、「作品」「作者」が有意味な単位として立ち上がり、「自律的である」という自己規定を再生産し続けるコミュニケーションの領域、それが芸術というシステムであるとすれば、それは過剰なまでに自律性に固執するシステムである。あらゆる機能システムの自律性を描き出すことを目指すルーマンのプロジェクトのなかでも、自らの自律性を殊更に主張する芸術は、特異な位置を与えられる。法や経済、教育、政治など「自律的にみえない対象の自律性を記述」するよりも、「自律的と自己記述する対象の(ルーマン的意味での)自律性」を描き出すことの困難が鮮明となる。芸術は、自律が鮮明な形で多重化されているという点で、ルーマンの分析精度が厳しく問われる分野なのである。

 というわけで、『社会の芸術』を読むうえで、一通りの美学についての知識を持っておくことは必要であるが(佐々木『美学辞典』、何よりもまず押さえておくべきなのが、ドイツロマン主義の系譜である。日本ではそれほど翻訳書・解説書が多くないのだが(田中『ドイツ・ロマン主義美学』、今泉『ノヴァーリスの彼方へ』、メニングハウス『無限の二重化』がいうように、自律性、作品・作家といった単位の生成といった論点に関して、シュレーゲルやノヴァーリスらロマン主義の芸術論はルーマンの理論そのものに大きな影響を与えている。ロマン主義というと誤解されることが多いのだが、「天才的作家の独創性に基づく唯一無比の作品」が目指されているのではない。むしろ、作品は後続する批評や作品によって事後的に・永遠に補完され続ける共同的プロジェクトであり、そのプロジェクトの連鎖のなかで「作者」が索出的に言及されるにすぎない。この連鎖そのものの自己生成がロマン主義のいう自律性であり、それは個人に帰属される美の自律性を否定する自律性である。 ベンヤミンの博士論文『ドイツ・ロマン主義における芸術批評の概念』はそのことを精密に分析しているわけだし、ルーマンがたびたびエーコの『開かれた作品』に言及しているのもそのためだ。メニングハウスがルーマンとロマン主義の媒介項としてデリダを挿入しているのもそう考えると納得がいく(デリダ『絵画における真理』 。ロマン主義は作品と作者を「開き」、そうすることによって自律的な芸術システムの自律性を正当化・実行化する。アメリカにおける脱構築批評の第一人者ド・マンが繰り返しロマン主義論を書いていることも想起されねばならないだろう。ロマン主義がルーマンにおいて特権的な位置を持つことの意味はけっして小さくない。

 言説的・意味論的というよりは制度的な自律化を示していくときに参照される文献は、有名どころが多く、未読の方にはおすすめだが、芸術に詳しいひとにはやや退屈かもしれない。ゴンブリッチ『装飾芸術論』、インガルデン『文学的芸術作品』、アグニュー『市場と劇場』、ウィリアムズ『文化と社会』は、芸術が市場経済へと解放されることより「自律」の自己規定を深めていく過程を追ううえでたとえばイアン・ワット『小説の勃興』と並んで重要な著作である。とくにウィリアムズの『文化と社会』は、『社会の芸術』のみならず、『社会構造とゼマンティク』シリーズを読んでいくうえでも必携の書だ。ルーマンの歴史記述の背後には、いつもウィリアムズのこの稀代の名著が控えている。

 ルーマンは社会的システムを、全体社会、組織、相互行為の三つの類型に区分している。『社会の芸術』では全体社会における芸術システムの描出が目指されているため、残念ながら組織、相互行為の水準での経験的分析は試みられていない。ルーマン的なロジックにおいて芸術の組織、相互行為を描き出していく、という課題は後世の私たちに委ねられている。

 この課題について参考になるのが、社会学者ベッカーの “Art Worlds” における制度論ともいえる視座である。「アートワールドの内/外がどのような仕組み・装置で区別されているか」という社会学的問題設定だ(フィンドレー『アートの価値』。そうした社会学的な方向性を考えるうえで、分析美学における「芸術/非芸術」の区別をめぐる概念の分析は強力な味方となる。グッドマンの古典的な著作『世界制作の方法』やダントーの “Art Worlds”、ステッカー『分析美学入門』を手がかりとして、その社会学的実践例としてコースマイヤー『美学:ジェンダーの視点から』を読んでみると、『社会の芸術』が提示する構図が見えやすくなってくるかもしれない。

 また芸術家自身が、芸術/非芸術の区別そのものを相対化する(ルーマン的にいえばその区別を再参入させる)試みとして、ブリオー『関係性の美学』に触発されたリレーショナルアートを挙げることができだろう。芸術/非芸術という区別を、「作者/鑑賞者」「作品/日常」という区別の相対化によって攪乱していく実践は昨今のワークショップの流行や、地域系アートなどでも注目されている。残念ながらブリオーの著作の翻訳はもう少し時間がかかるようなので、ブリオーを批判するビショップの「敵対と関係性の美学」を推薦しておきたい。相互行為を目指すアートにおいて生起する実際の相互行為をルーマンならどのように描き出したか。美学ではない社会学の課題はまだ達成されていない。 (北田暁大)

1-4. 社会の政治
T.H. マーシャル
(岩崎信彦ほか訳)
法律文化社、1996
ニクラス・ルーマン(小松丈晃 訳) 『社会の政治』 法政大学出版局 2013
ニクラス・ルーマン(今井 弘道ほか訳) 『制度としての基本権』 木鐸社 1989
ニクラス・ルーマン(今井弘道 訳) 『手続を通しての正統化』 風行社 2003
カール・シュミット(尾吹善人 訳) 『憲法理論』 創文社 1990
J.A. シュムペーター(中山伊知郎ほか訳) 『資本主義・社会主義・民主主義』 東洋経済新報社 1995
フランツ・ノイマン(中山伊知郎ほか訳) 『政治権力と人間の自由』 河出書房新社 1971
ハロルド・L.ウィレンスキー(下平好博 訳) 『福祉国家と平等―公共支出の構造的・イデオロギー的起源』 木鐸社 1984
ニクラス・ルーマン(徳安 彰 訳) 『福祉国家における政治理論』 勁草書房 2007
クラウス・オッフェ(寿福真美 訳) 『後期資本制社会システム―資本制的民主制の諸制度』 法政大学出版局 1988
ベルトランド・バディ、ピエール・ビルンボーム(小山 勉 訳) 『国家の歴史社会学』 日本経済評論社 1990
新川敏光 『福祉国家変革の理路』 ミネルヴァ書房 2014
小野耕二 『構成主義的政治理論と比較政治』 ミネルヴァ書房 2009
ロバート・ダール(高畠通敏ほか訳) 『ポリアーキー』 岩波書店 2014
グレアム T アリソン(宮里政玄 訳) 『決定の本質―キューバ・ミサイル危機の分析』 中央公論新社 1977
クリス・ソーンヒル(安 世舟ほか訳) 『現代ドイツの政治思想家―ウェーバーからルーマンまで』 岩波書店 2004
クリス・ソーンヒル(永井健晴 訳) 『ドイツ政治哲学―法の形而上学』 風光社 2012
エバーハルト シュミット‐アスマン(太田匡彦ほか訳) 『行政法理論の基礎と課題―秩序づけ理念としての行政法総論』 東京大学出版会 2006
和仁 陽 『教会・公法学・国家―初期カール・シュミットの公法学』 東京大学出版会 1990
佐藤成基 『国家の社会学』 青弓社 2014
毛利 透 『民主政の規範理論―憲法パトリオティズムは可能か』 勁草書房 2002
木村周市朗 『ドイツ福祉国家思想史』 未來社 1977
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 『社会の政治』は、ルーマンが最初期から一貫して取り組んできた政治理論の集大成である。最初期においては、基本権論[『制度としての基本権』] と 統治機構論[『手続を通しての正統化』]の社会学的検討という憲法学の標準的な枠組みに準拠していたルーマンであったが、システム理論の精緻化や民主主義論・福祉国家論への主題の本格的拡張を通じて、彼の政治理論を次第に深めていった。

 ルーマンにとってもまた、他の同時代の思想家と同様、カール・シュミット『憲法理論』との対決は、理論構築のための大きな参照点の一つであり続けた。たとえばルーマンの政治理論では、中心なき社会という「機能分化社会」の概念は、「代表」や「全面国家」といった概念との、また与党(統治者)と野党の「差異」という民主主義の概念は、統治者と被治者の「同一性」というルソーに依拠しつつ提起された民主主義の概念との、対抗関係を意識しつつ提示されている。

 人民による支配ないし人民の統治への参加を中心に据える概念化とは異なる民主主義の概念を提示した古典として、シュンペーターとノイマンの民主主義論がある。シュンペーター『資本主義・社会主義・民主主義』は、民主主義を統治者ないし与党を投票によって選出する「方法」と概念化し、その脱イデオロギー化を行った。この観点は、ルーマンの社会主義体制批判の背景をなすばかりでなく、与党と野党の二値コード化という彼の民主主義概念にも継承されていると見てよい。またノイマン『政治権力と人間の自由』は、被治者に対する中央政府の政治責任の有無こそ民主主義のメルクマールであるとし、民主主義を政治の領域へと限界づけた。これはルーマンが福祉国家を論じる際の重要な参照点の一つとなっている。

 福祉国家論、社会政策論の嚆矢としては、経済成長によって先進国の社会政策は拡充へと単線的に収斂するとする、いわゆる収斂理論を唱えたウィレンスキー『福祉国家と平等』、シティズンシップの歴史的発展を階級間不平等の拡大との関係で考察したマーシャル『シティズンシップと社会的階級』がいる。『社会の政治』でもこの文脈から福祉国家が捉えられている。たとえばマーシャルの「包摂」概念はルーマンの福祉国家論の軸にあり、システム論的な道具立てによってさらなる理論的発展が試みられている。ルーマンの福祉国家に特徴的なのは、ルーマンが同時代の(西)ドイツにおいてより一般的に用いられていた「社会国家 Sozialstaat」を福祉国家と概念的に区別したことである。すなわち前者を19世紀的な庇護に基づく「排除」の機制として特徴付け、後者を20世紀以後成立した人々の要求に絶えずさらされ、応え続ける「包摂」のメカニズムとした。このようなルーマン自身の福祉国家論『福祉国家における政治理論』は70年代後半の世界的な経済情勢の悪化に伴う「福祉国家の危機」が前提となっており、そこでは拡張的な政治に対する批判的なスタンスが窺える。

 同様の問題意識から国家論を展開した論者にオッフェ『後期資本制社会システム』がいる。彼は機能分化社会における政治の機能と限界というルーマンと同様の社会理論的関心を共有しつつ、福祉国家の脱商品化という関心が資本主義と相互依存状態にあり、これ自体が矛盾をはらんでいることを主張した。そこからオッフェの関心はポスト国家的な政治経済関係の調整・制御問題へと移っていく。機能システムの自律性と自己言及性というルーマンの社会理論の妥当性を考える上でも、このようなオッフェの福祉国家論との比較は有益であろう。

 他方でバディ=ビルンボーム『国家の歴史社会学』は機能主義的、社会分化的な国家論を批判し、文化的な規範など他の外的変数を考慮することを主張した。その背景にあるのは、「危機」以後の先進国間での政治過程の多様性である。従来の政治学においては権力資源動員論のような利害関心や、制度論のように政治制度の歴史性などに焦点を当てていた。現在においては既存の枠組みを補完する意図からさらに、政治過程における言説やアイディアに注目するなど、様々なアプローチから分析の精緻化が進められている[『福祉国家変革の理路』『構成主義的政治理論と比較政治』]。

 『社会の政治』ではあくまで政治システムの歴史的な展開と構造の普遍性が前面に出ているが、経験的な研究としての意義という点では、これらの議論との接続可能性も論点の一つとなりえよう。特に政治を国家的なものから解放し、むしろ市民社会や他の領域に積極的に見いだしていく今日の政治学的・社会学的諸研究に対して、社会構造の中に多数存在する機能領域の一つとして政治を位置づけた『社会の政治』がどのような貢献をなしうるかは、今後の課題として残されている。同様のことは民主主義論にもあてはまる。ルーマンは民主主義を政治システムの進化の非蓋然的な成果物と捉えているが、その論理展開の明晰さの一方で、史実による裏付けについては決して十分であるとは言えない。「ポリアーキー」に至る過程の複数性を「包摂性」と「自由度」という2つの変数を用いたシンプルなモデルによって整理したダールの古典的著作『ポリアーキー』は、ルーマンの政治進化論を批判的に検討する最初の手がかりになるだろう。

 その他の論点として、「決定」中心に据える組織理論もルーマンの政治理論の重要な一角をなす。決定ないし決断の重視という点でルーマンとシュミットが比較されることがあるが、この点については、むしろサイモン、パーソンズ、イーストンらのアメリカの社会科学の系譜をルーマンはより強く意識しているようである。たとえば政治組織における決定の機能の例解のために言及されているものとして、アリソン『決定の本質』などがある。(小山 裕・坂井晃介)

1-5. 社会の教育
フィリップ・アリエス
(中内敏夫ほか訳)
藤原書店、1992
ニクラス・ルーマン(村上淳一 訳) 『社会の教育システム』 東京大学出版会 2004
エミール・デュルケーム(小関藤一郎 訳) 『フランス教育思想史』 行路社 1981
天野郁夫 『増補 試験の社会史』 平凡社 2007
イヴァン・イリッチ(東 洋 訳) 『脱学校の社会』 東京創元社 1977
柳 治男 『〈学級〉の歴史学:自明視された空間を疑う』 講談社 2005
苅谷剛彦 『学校・職業・選抜の社会学─高卒就職の日本的メカニズム』 東京大学出版会 1991
ワツラウィック/ウィークランド/フィッシュ(長谷川啓三 訳) 『変化の原理』 法政大学出版局 2011
Dan C. Lortie Schoolteacher : A Sociological Study. University of Chicago 1975
Hugh Mehan Learning Lessons: Social Organization in the Classroom. Harvard University Press 2013
大村はま 『新編 教えるということ』 筑摩書房 1996
J・A・コメニウス(井ノ口淳三 訳) 『世界図絵』 平凡社 1995
石戸教嗣 『ルーマンの教育システム論』 恒星社厚生閣 2000
石戸教嗣・今井重孝 編著 『システムとしての教育を探る:自己創出する人間と社会』 勁草書房 2011
フィリップ・アリエス(杉山光信・杉山恵美子 訳) 『〈子供〉の誕生―アンシァン・レジーム期の子供と家族生活』 みすず書房 1980
ポール・ワツラヴィック、ジャネット・ベヴン・バヴェラス、ドン・D・ジャクソン(尾川丈一 訳) 『人間コミュニケーションの語用論―相互作用パターン、病理とパラドックスの研究』 二瓶社 2007
R.P.ドーア(松居弘道 訳) 『学歴社会 新しい文明病』 岩波書店 2008
ピエール・ブルデュー(石井 洋二郎 訳) 『ディスタンクシオン〈1〉─社会的判断力批判』 藤原書店 1990
ピエール・ブルデュー(石井 洋二郎 訳) 『ディスタンクシオン〈2〉─社会的判断力批判』 藤原書店 1990
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 人を育て・教える営みが徒弟制のように日常的な活動の中に埋め込まれた状態から分離し、独自の論理をもつ社会領域を形成する契機となったのは「子ども」の発見であった。ルーマンが『社会の教育システム』で言及するように、子どもの固有性を重視する観点から近代教育学の基盤となる思考財を提供した重要な著作は、ルソーの『エミール』である。アリエスの『〈子供〉の誕生』も、子どもをめぐる諸観念が社会に浸透するプロセスを人びとの心性の変化として描き出す。これらの著作は既に広く知られているので、ここでは教育に関するアリエスの諸論文を収めた『〈教育〉の誕生』を紹介したい。

 社会が人間を取り扱う際の形式である「人格」を形成する機能を教育が担うようになる過程は、特定の年齢段階にある子どもたちを収容し、意図的、計画的に教育を行う学校制度が普及・拡大するプロセスでもある。この点に関してデュルケームは『フランス教育思想史』で、ジェスイット(イエズス会)のコレージュが採用した教育方法、すなわち生徒を教育的な配慮に満ちた空間に囲い込み、厳しい規律と激しい競争を通じて人格を形成する試みが近代的な学校における教授学習様式の原型となったことを指摘している。教育と選抜は、教育する「善き意図」が生み出した双子である。学業をめぐる競争という発明が、学校の普及拡大と密接に関わっているという史実は、教育の営みが選抜と教育の両面を持つことを示すようで興味深い(日本の事例としては天野郁夫『増補 試験の社会史』を推奨する)。

 教育システムについて理解を深める際には、近代以降に教育の営みをほぼ独占した学校の特質を検討することが有効である。ここでは、学校教育制度が人をいかに無力にするのかを指摘したイリッチの『脱学校の社会』と、学校組織編成の基礎単位である学級に着目し、イギリスにおける原型と日本におけるその受容を論じた柳治男の『〈学級〉の歴史学』を取り上げる。前者は根底的な批判者の立場から学校の特質を鮮やかに描き出した著作、後者は、機能システムが地理的な偏差をともなって分節化される際に何が生じるのかを考える手がかりを提示する著作として読むことができる。

 国ごとの教育制度の展開過程の違いに加え、他の機能システムと教育が取り結ぶ関係を論じる際には、苅谷剛彦の『学校・職業・選抜の社会学』が示唆的である。学校から職業世界への間断無き移行を支えた教育と経済との「逆接的だが相補的な関係」を描き出した苅谷の議論は社会システム理論に即して展開されているわけではなく、「実績関係」に関する知見の一般性については後の研究で疑義が提示されてもいる。他方でこの著作は、教育が果たす選抜/社会化機能が就職というライフイベントにどのような影響を与えているのかを論じることで、ルーマンが教育を論じる際に充分に突き詰められていない問いを探求する際の導きの糸を提示しているように思われる。

 続いて、教育が果たす機能のうち、とりわけ社会化に関わる文献を紹介したい。ルーマンによれば、社会化と呼ばれる事態は厳密に言えば心的システムによる自己社会化である。教育的な関与は個々の学習者を刺激することはできても、直接かれらの心に介入してそのあり方を改変することはできない。医療と同様、人間の変化を主題とする教育的なコミュニケーションは、因果関係を統御する技術の不在という問題に対処する必要がある。

 ルーマン教育論とは参照するシステムが異なるが、家族療法にシステム論を応用したワツラウィックらの『変化の原理』は、家族が抱える問題を成員間のコミュニケーションが形成する恒常的なシステムが生み出すものと捉え、外部から刺激を与えることで家族が生み出す「問題」を別様なものへ変えてゆく試みが紹介されている。人を変える営みの難しさと、ひとたび関係が変化する時に生じるダイナミズムの双方を知ることができる好著である。

 学校における社会化の困難は、教師─生徒関係をめぐる諸問題と分かちがたく結びついている。LortieSchoolteacher で指摘するように、学校で教える仕事には高度の不確実性が付随する。こうした状況で教師たちは生徒との関係を何とか維持・調整しつつ教授─学習活動を主導することを求められ、そのため学校では他の社会領域とは異なる固有な秩序が形成される。ルーマンの言う「相互行為システムとしての授業」の具体的な諸相を知るうえで役立つのは、MehanLearning Lessons であろう。Mehanによる教室のエスノメソドロジーは、固有のやり方で行為を組織化することを通じて教師─生徒関係が形成される諸相を記述し、教育意図がどの程度達成されたのかを確認する評価の営みが教室では不可欠であることを明らかにした。

 ルーマンが主張するように、教育を他のシステムと分かつのは、その対象となる人びとの人格をより良い方向に変える意図である。教師がいかなる意図で社会化を促してゆくのかを知るために、国語教師、大村はまの『新編 教えるということ』を紹介したい。目標達成に相応しい教材を選び出し、子どもの生活経験や興味・関心に応じた学習のユニットを積み上げてゆく「単元学習」の優れた実践者して知られる大村がどのように学習者を観察し、教育的な意図のもとで社会化を促していたのかを知ることは、教育的な関与の特徴を理解するうえで助けになるだろう。世界初の子ども向け「教科書」とも言われるコメニウスの『世界図絵』もあわせて取り上げる。

 人の変化を助成する教育の営みの難しさを反映したためか、ルーマンの教育論は他の機能システムを論じる時よりも記述の一貫性がやや弱く、議論も錯綜しているようにも思われる。この点については、ルーマン教育論を総括した石戸教嗣『ルーマンの教育システム論』>、ルーマンに即して今日の教育状況を描く試みとも言える石戸・今井編『システムとしての教育を探る』を参照されたい。(山田哲也)

2. 『社会の理論』+『社会構造とゼマンティク』

2-1. ルーマンの研究構想
ニクラス・ルーマン
(馬場靖雄ほか訳)
法政大学出版局、2009
ルーマン&ベッカー(土方 透ほか訳) 『システム理論入門:ルーマン講義録1』 新泉社 2007
ルーマン&ベッカー(土方 透ほか訳) 『社会理論入門:ルーマン講義録2』 新泉社 2009
長岡克行 『ルーマン/社会の理論の革命』 勁草書房 2006
高橋 徹 『意味の歴史社会学:ルーマンの近代ゼマンティク論』 世界思想社 2002
ニクラス・ルーマン(佐藤 勉ほか訳) 『社会システム理論 上』 恒星社厚生閣 1993
ニクラス・ルーマン(佐藤 勉ほか訳) 『社会システム理論 下』 恒星社厚生閣 1995
ニクラス・ルーマン(馬場靖雄ほか訳) 『社会の社会2』 法政大学出版局 2009
ニクラス・ルーマン(春日淳一 訳) 『社会の経済』 文眞堂 1991
ニクラス・ルーマン(徳安 彰 訳) 『社会構造とゼマンティク1』 法政大学出版局 2009
ニクラス・ルーマン(馬場靖雄ほか訳) 『社会構造とゼマンティク2』 法政大学出版局 2011
ニクラス・ルーマン(高橋 徹ほか訳) 『社会構造とゼマンティク3』 法政大学出版局 2009
ニクラス・ルーマン(佐藤 勉ほか訳) 『情熱としての愛:親密さのコード化』 木鐸社 2005
ニクラス・ルーマン(馬場靖雄 訳) 『社会の道徳』 勁草書房 2015
ニクラス・ルーマン(馬場靖雄 訳) 『近代の観察』 法政大学出版局 2003
ニクラス・ルーマン(小松丈晃 訳) 『リスクの社会学』 新泉社 2014
ニクラス・ルーマン(庄司 信 訳) 『エコロジーのコミュニケーション―現代社会はエコロジーの危機に対応できるか』 新泉社 2007
ニクラス・ルーマン(林 香里 訳) 『マスメディアのリアリティ』 木鐸社 2005
ニクラス・ルーマン(大庭 健・正村俊之 訳) 『信頼―社会的な複雑性の縮減メカニズム』 勁草書房 1990
クラウディオ・バラルディ、ジャンカルロ・コルシ、エレーナ・エスポジト(土方 透ほか訳) 『GLU―ニクラス・ルーマン社会システム理論用語集』 国文社 2013
小松丈晃 『リスク論のルーマン』 勁草書房 2003
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 これまでのルーマン像は、次々に出版される特定の時期の著作群の内容に大きく左右され・変転してきた。しかし晩年に続々と刊行された『社会の理論』と『社会構造とゼマンティク』という二つの著作シリーズによって、これら膨大な著作群の多くが、30年をかけて追求された一つのプロジェクトを準備するものであったことが分かった。こうした事情について確認するには、まずルーマンの講義録を読むのがよい『システム理論入門』 。ルーマン社会システム論の概要については長岡『ルーマン』が、ゼマンティク論については高橋『意味の歴史社会学』が参考になる。

 このプロジェクトはシステム論を使った社会理論の構築を目指したものであり、最終的には『社会の理論』という総タイトルを持つ著作シリーズとして公表された『社会システム理論』 『社会の社会』 など]。基本的な作業は、概念史から素材を採り・それをシステム論と擦り合わせるかたちで進められたが、その際の副産物として得られたスケッチの集積が、論文集『社会構造とゼマンティク』である『社会構造とゼマンティク』 『情熱としての愛』>

    プロジェクトの骨格は、『社会の理論』の構成に示されている。ルーマンは、

  • まず、システム論・コミュニケーション論・進化論を綜合した理論の助けを借りて社会学理論をスケッチし[第1部 『社会システム理論 上下』]、その1セクションとして「社会理論」を位置づけた。
  • そして、「社会理論」の内実を社会分化論として与える準備作業として、分化した主要な機能的諸領域のモノグラフに取り組み [第3部 『社会の経済』『社会の科学』 など]
  • それを前提にして、本丸となる「社会理論」を『社会の社会』として刊行した。[第2部]


このうち、第3部のモノグラフ群はどれも、

  1. 或る機能領域X に関する主要トピックを、システム論を用いて再記述することによって他領域・他現象との比較可能性を確保し
  2. その「似ていないものの比較」を通して対象を検討する視野を拡張しつつ、
  3. 確保した道具立てによって、領域Xの特徴を把握する

という風に議論が進む。したがって、各著作において重要なこと──つまり、各領域についてルーマンが特徴的だとみなしたこと──は、著作の終わりの方で論じられていることが多い。このシリーズは各巻ともに大部であり、すべて読破するのはかなり大変だが、直前に記したことを踏まえれば、各巻の終わり数章を全巻に渡って比較しながら確認することで、シリーズの全体像をつかむ最初の一歩とすることはできるだろう。

 また の事情からして、これらモノグラフは、領域Xに関わる事柄を網羅的に取り扱おうとするものではなく、基本的に、その論題が「社会理論」に関わるものに絞られている点には注意が必要である(それ以前にそもそも、「社会理論」というものが、社会科学・社会哲学における非常に特殊な──しかもほとんどの研究者がそれに関心を持つことのない非常にマイナーな──一分野であることを踏まえておくべきだろうが)。多くのひとは、ふつうもっと具体的な水準にある事柄に関心をもつことが多いだろうし、その場合には 第1部(社会学理論)から出発したうえで、その関心ある論題に対して 第3部 の諸領域がどのように関わってくるかを考えたほうがよいだろう。

なお、2シリーズの周辺には関連する小著作が複数存在する。『近代の観察』は2シリーズ全体を概観する位置にあるし、『リスクの社会学』『エコロジーのコミュニケーション』は 特定のトピックを社会理論の観点から論じたものである。『マスメディアのリアリティ』は特定の領域を第3部と同様のスタイルで取り上げたものだといえる。
(酒井泰斗)
2-2. システム理論と社会理論
スティーヴ・J. ハイムズ
(忠平美幸 訳)
朝日新聞社、2000
ハーバート・A. サイモン(稲葉元吉&吉原英樹 訳) 『システムの科学』 パーソナルメディア 1999
グレゴリー・ベイトソン(佐藤良明 訳) 『精神と自然―生きた世界の認識論』 新思索社 2006
ドナルド・キャンベル(木山英明 訳) 「一認識論モデルとしての自然淘汰説」in 木山英明『文化人類学の方法と通文化研究』 明石書店 1999
ユルゲン・ハーバーマス(長谷川 宏 訳) 『イデオロギーとしての技術と科学』 平凡社 2000
イマニュエル・ウォーラーステイン編(丸山 勝 訳) 『転移する時代:世界システムの軌道 1945-2025』 藤原書店 1999
デヴィッド・ハーヴェイ(吉原直樹 訳) 『ポストモダニティの条件』 青木書店 1999
アンソニー・ギデンズ(門田健一 訳) 『社会の構成』 勁草書房 2015
ミシェル・フーコー(小林康夫ほか訳) 『フーコー・コレクション6 生政治・統治』 筑摩書房 2006
マニュエル・カステル (矢澤修次郎 訳) 『インターネットの銀河系―ネット時代のビジネスと社会』 東信堂 2009
ウルリッヒ・ベック (島村賢一 訳) 『ナショナリズムの超克:グローバル時代の世界政治経済学』 NTT出版 2006
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2-2-1. システム論・コミュニケーション論・進化論

進化論 システム論 コミュニケーション論 社会学理論
変異 要素 コミュニケーション 行為
選択 構造 (コード) 予期
(規範、役割、…)
 再安定化  システム  

ルーマンの仕事は、右表に示したようなもっとも基本的な概念的関連付けを出発点にしてシステム論・コミュニケーション論・進化論を結び合わせ、

  • それら諸概念のもとに様々な歴史的素材を包摂する試みの中で、
  • 歴史的素材が包摂可能であるように理論を彫琢する

というスパイラルを進む。

 このブックリストでは こうした側面については あまり取り上げることが出来ないが、ルーマンが利用している理論資源の多くについてはハイムズ『サイバネティクス学者たち』によって、その歴史的コンテクストも含めてフォローすることができる。ここでは初期から晩年にわたって繰り返し参照された論者の論考を三つだけあげておこう(サイモン『システムの科学』、ベイトソン『精神と自然―生きた世界の認識論』、キャンベル「一認識論モデルとしての自然淘汰説」

 こうした諸理論は、他分野からの学習能力の確保 や 多様な歴史的事象を包摂・記述しうるだけの抽象水準の確保 を狙って様々な場所から取り入れられたものだが、上述した作業の中で、かなり独特なものに統合・改鋳されている(たとえばルーマンの社会進化論には「適応」の概念がない(!))。(酒井泰斗)

2-2-2. 社会理論

2-2-2-1. 社会理論: 古典編

 ルーマンが長年にわたる研究によって構築しようとしたのが社会の理論であった以上当然のことであるが、彼の著作のなかでは折にふれて近現代の社会理論的著作が参照されている。そのなかでも主要な系譜の一つが社会契約論である。その代表的な著作が、ホッブズ『リヴァイアサン』 (岩波文庫、原著刊行1651年、以下同様)、ロック『統治二論』(岩波文庫、1690年)、ルソー『社会契約論』(岩波文庫、1762年)である。もっともこれらの著作が導き出している社会秩序像は、まったくといっていいほど異なっている。にもかかわらず、ある時期に社会契約論の論理構成で社会秩序像を描く著作群が登場していることにルーマンは着目する。彼はこの社会思想史上の現象を、宗教による社会秩序の基礎づけが不可能になった時代の移行期的現象と捉える。そしてそれは移行期的なものであるがゆえに、いわば仮想的な契約行為である「社会契約」という表象を用いた社会秩序の基礎づけは、実定法にもとづく法システムと民主制にもとづく政治システムの分化が進展し、両者が制度的に確立するにつれて説得力を失ってゆくのである。

 19世紀になると市民社会と国家が、社会秩序を考える際のキーワードとなる。その代表的な論者がヘーゲル(例えば、『法の哲学』 中公クラシックス、1821年)である。一貫してヘーゲルに学び、ヘーゲルを批判し続けたマルクスは、国家の諸形態や法的諸関係は市民社会と呼ばれる物質的生活の諸関係に根ざしていると考え、この市民社会の「解剖」学を経済学に求めた『経済学批判』岩波文庫、1859年)。市民社会/国家という区別は、国家と宗教の分離によって十全に成立する。マルクスはヘーゲルとともに、このような分離によってはじめて国家は独自の普遍性をもちうると考えたのである。人間の社会的解放は宗教からの社会の解放だと論じるマルクスの議論『ユダヤ人問題によせて/ヘーゲル法哲学批判序説』岩波文庫、1844年)は、依然として宗教問題に悩まされている現代社会にとっても興味深い。ルーマンの視点では、特定の一社会領域──経済(市民社会)、政治(国家)、宗教でのいずれであれ──が社会の中心領域とみなされることはない。彼はむしろそれらの分離と多極的な自律化を機能分化という構図のもとで描こうとしたのである。 (高橋 徹)

2-2-2-2. 社会理論: 現代編

 ルーマンが旺盛な著作活動を行っていた20世紀後半には、様々な同時代の論者がルーマンとは異なる視点で現代社会像を描き、現代社会への批判的視点を提示している。ルーマンとの論争を繰り広げたハーバーマスは、意思疎通に志向した相互行為と目的合理的行為の区別に早くから着目し、技術至上主義のイデオロギーがこの区別が持つ意味を覆い隠していると批判した『イデオロギーとしての技術と科学』。この区別は、後に大著『コミュニケイション的行為の理論』 (1981年)において生活世界とシステムという構図のもとで彫琢され、全面的に展開されることになる。

 ルーマンの仕事は近代初期から現代に至るおよそ500年にわたる文献を参照して進められている。そうした長期的な視座をもつことは、近代化が長期にわたる社会変動である以上必然であるともいえるが、決して容易なことではない。ある意味でルーマン以上に社会(世界システム)の長期的変動に目を凝らしたのが、ウォーラーステインであった。その視座は、同時代はもとより未来にも及んでいる『転移する時代:世界システムの軌道 1945-2025』。ルーマンは、中心/周辺という分化図式との関連でウォーラーステイン(の中核/周縁論)に言及している。

 中心/周辺という図式は、どちらかといえば時間論が中心的位置を占めるルーマン理論においては、めずらしく空間的な表象を含んでいる。現代社会理論の系譜のなかには、時間とともにこの空間に着目した理論家もいる。通信・輸送手段の発達がもたらす「時間による空間の絶滅」(マルクス)に示唆を受けて概念化した「時間-空間の圧縮」をキーワードとして、地理学者のハーヴェイは空間が実質的に縮小し、時間が加速する現代社会の条件を読み解こうとしている『ポストモダニティの条件』

 社会学において時間-空間という要素をその理論構想に積極的に組み込もうとしたのがギデンズである。彼の理論の中心的な概念である「構造化」は、時間-空間の広がりのなかで実践される社会的行為がそれを規定し、可能にする構造(規則や資源)を利用すると同時に、それらを再生産するような関係性にあることを示そうとしたものである『社会の構成』

 私たちが空間という条件を体験するのは、空間的局在性をもつ自分自身の身体をとおしてである。フーコーが着目したのは、この身体に対して加えられ、蓄積する権力作用(規律・訓練、監視・処罰など)であった。パノプティコン(一望監視施設)におかれた囚人という構図は、この作用を空間構成としてモデル化している。その後フーコーは、自己自身(道徳)、家族(経済)、国家(政治)にみられる「統治」の形式の複数性を17世紀の文献のなかにみいだしながら、「統治する=操舵する」社会的装置を対象化し、その歴史的な成立のプロセスを追跡しようとした『フーコー・コレクション6 生政治・統治』

 インターネット時代に突入した現代社会が、どのような社会生活、政治、ビジネスの変化に直面しているかという論点は、いま私たちにとってもっとも身近な問題設定の一つといえるだろう。カステルは、社会学者の視点からインターネット社会の大局的な見取り図を描く代表的な社会理論家といえる『インターネットの銀河系』。また、リスク社会論の主唱者として知られるベックは、グローバリゼーションが進展する現代社会が直面する諸課題について積極的な発言を続けてきた。彼は、環境問題や格差の拡大など世界は国民国家という枠組みだけでは対処しえない諸問題に直面しており、これらを克服するためにコスモポリタニズムの視点を採り入れることが必要であると主張する『ナショナリズムの超克』。(高橋 徹)

2-3. 社会構造とゼマンティク: 方針
ラインハルト・コゼレック
(村上隆夫 訳)
未来社、1989
カール・マンハイム(鈴木二郎 訳) 『イデオロギーとユートピア』 未来社 1968
オットー・ブルンナー(石井紫郎ほか訳) 『ヨーロッパ:その歴史と精神』 岩波書店 1982
フリッツ・ハルトゥング、ルドルフ・フィーアハウス(成瀬 治 編訳) 『伝統社会と近代国家』 岩波書店 1982
ヨアヒム・リッター(出口純夫 編訳) 『ヘーゲルとフランス革命』 理想社 2009
エルンスト-ヴォルフガング・ベッケンフェルデ(初宿正典 訳) 『現代国家と憲法・自由・民主制』 風行社 1999
ユルゲン コッカ(半沢孝麿ほか訳) 『国際比較・近代ドイツの市民―心性・文化・政治』 ミネルヴァ書房 2000
宮本直美 『教養の歴史社会学』 岩波書店 2006
ヴォルフ・レペニース(出口純夫 編訳) 『自然誌の終焉―18世紀と19世紀の諸科学における文化的自明概念の変遷』 法政大学出版局 1993
クェンティン・スキナー(半沢孝麿ほか訳) 『思想史とはなにか:意味とコンテクスト』 岩波書店 1999
アーサー・O. ラヴジョイ(内藤 健二 訳) 『存在の大いなる連鎖』 筑摩書房 2013
佐藤 俊樹 『近代・組織・資本主義―日本と西欧における近代の地平』 ミネルヴァ書房 1993
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 ルーマンの『社会構造とゼマンティク』シリーズを貫く命題は、近代社会への移行は、階層分化から機能分化への構造転換と概念化することができ、この転換はコミュニケーションの意味地平全体を変容させる、というものである。これは、その副題「近代社会の知識社会学研究」に示されているように、カール・マンハイム以来の知識社会学をオットー・ブルンナー以降のドイツ歴史学の展開を参照しつつ、刷新する試みと捉えることができる。マンハイム『イデオロギーとユートピア』は人々の思考が、それぞれに帰属する集団や生きた時代によって規定されていることを「存在拘束性」という形で示した。その上で「自由に浮動する知識人」のみがこれらから独立し、拘束性の差異を把捉し止揚するプロジェクトとしての知識社会学の担い手たりうるとした。これに対してブルンナー『ヨーロッパ:その歴史と精神』の出発点にあるのは、「国家」やそれと区別された「(市民)社会」といったカテゴリーを用いた歴史記述に対する批判である。そうした諸カテゴリー自体、近代社会という特定の時代の産物である以上、中立的な道具概念として無批判にそれ以前の時代に適用することはできない、というわけだ(なおこうしたブルンナーの方法に直接的な影響を与えたのは、カール・シュミットが明晰に定式化した憲法と憲法律の区別である)

 このブルンナーによって提起されたパースペクティブは、多くの歴史家に受容され、研究の多様な展開を見せた。その一端は『伝統社会と近代国家』所収の諸論文からうかがい知ることができる。こうした研究動向の中で、特に「国家」と「市民社会」の区別という図式と近代の関係性は、第二次世界大戦以降、実証史学のみならず、思想史的にも理論的にも深められた。歴史家のラインハルト・コゼレック『批判と危機―市民的世界の病因論』は、シュミットのホッブズ論を手がかりに、フランス革命の原因を国家から区別された私的領域としての市民社会に特有の思考の論理に求めた。この歴史理解は、ユルゲン・ハーバーマスの『公共性の構造転換』に決定的な影響を与えたばかりでなく、『社会構造とゼマンティク』 におけるルーマンの歴史理解の基礎にもなっている。また哲学者のヨアヒム・リッター『ヘーゲルとフランス革命』は、ヘーゲルの自由主義的な再解釈を通じて、後に「自由主義的保守主義」と名づけられることになる一連の思想の潮流を生み出した。憲法学者のエルンスト=ヴォルフガング・ベッケンフェルデの論文集『現代国家と憲法・自由・民主制』には、この流れに棹さしつつ、国家と社会の区別の憲法学上の意義を説く論考が含まれるが、そこには同時にルーマンの社会理論からの影響を見て取ることもできる。

 国家と区別された市民社会を手がかりに初期近代を再考するという試みは、市民層研究という形で実証史学の領域で推し進められており、コッカ編『国際比較・近代ドイツの市民―心性・文化・政治』は、その成果の一部である。こうした市民層研究の比較的新しい動向を強く意識した日本の社会学者の手による研究として、宮本『教養の歴史社会学』がある。

 ルーマンのゼマンティク研究に直接的な影響を与えたのは、コゼレックらが編集した『歴史的基本概念』やリッターらが編集した『哲学歴史辞典』に代表される概念史学の一連の展開である。特にコゼレックが中心的に取り上げたのは、近代への移行期(「鞍状期 Sattelzeit」と呼ばれる)の中で創出されたり新たな意味を付与されたりした概念である。そこでの関心の中心は、上述した近代を特徴づける社会構造と様々な概念の変化や偏差の発生の相補関係であり、諸概念の生成による人々の振る舞いや制度に関する歴史的制約である。この分野の詳細を邦語文献で知ることはまだ難しいが、ルーマンやコゼレックがゼマンティク研究やシステム理論研究で注目した時間化・時点化については、たとえばレペニース『自然誌の終焉―18世紀と19世紀の諸科学における文化的自明概念の変遷』が科学史を例に論じている。

 これらドイツ社会構造史の影響下におけるゼマンティク研究とは独立に発達したが近接する分野として、ケンブリッジ学派における思想史 History of ideas を挙げることができる。その代表的論者の一人であるスキナー『思想史とはなにか:意味とコンテクスト』は、伝統的なテクスト主義とコンテクスト主義の両者を批判した上で、その綜合の必要性を強調している。この方法の特徴は、オースティンが提唱した言語行為論が示すような、言語的な慣習のもとで、作者がいかなる意図を有して政治思想を展開していったかということに着目する点にある。これは、同時に、歴史上一貫して不変の理念型が常に出現することを前提として思想史を展開するラブジョイ『存在の大いなる連鎖』が陥る「解釈学的循環」への批判にもなっている。スキナーが重要視したのは思想の歴史におけるよりラディカルな不確実性である。そういった意味でスキナーの政治思想史とコゼレックの概念史は、政治的社会的生活における概念や理念の変化への着目という観点からみれば、方法や関心における共通点は多い。もちろん相違点もあり、たとえばスキナーは、言語的なレトリックにとりわけ注目しているのに対し、コゼレックは空間的な結びつきからの概念の離脱(時点化)に着目している。社会構造の転換を強く念頭に置くルーマンのゼマンティク研究の特性を考える上でも、これら二つのアプローチとの比較は有意義であろう。

 近年では、ミシェル・フーコーから示唆を受けた言説分析が知識社会学や歴史社会学へと接合されることが多いが、ルーマンのゼマンティク研究は、そうした試みを補完する可能性をもつ。ルーマンのゼマンティク研究を比較研究へと発展させた日本の先駆的研究としては、佐藤俊樹『近代・組織・資本主義―日本と西欧における近代の地平』を挙げることができる。佐藤は、マックス・ヴェーバー以降の理解社会学的アプローチに対する批判的検討にもとづきつつ、近代をめぐる人々の解釈図式の変容過程とその把捉というゼマンティク研究の課題を、特に西欧と日本の諸制度(企業・教育など)に着目する比較社会学として展開している。(小山 裕・坂井晃介)

2-4. 社会構造とゼマンティク: 素材
バルタサール・グラシアン
(東谷穎人 訳)
白水社、2011
ミヒャエル・シュトライス編(佐々木有司ほか訳) 『17・18世紀の国家思想家たち―帝国公(国)法論・政治学・自然法論』 木鐸社 2000
クエンティン・スキナー(佐々木有司ほか訳) 『近代政治思想の基礎:ルネッサンス、宗教改革の時代』 春風社 2009
ニッコロ・マキァヴェッリ(池田 廉 訳) 「君主論」『マキァヴェッリ全集1』 筑摩書房 2009
ニッコロ・マキァヴェッリ(永井三明 訳) 「ディスコルシ」『マキァヴェッリ全集2』 筑摩書房 2009
ジョン・G. A. ポーコック(田中秀夫ほか訳) 『マキァヴェリアン・モーメント:フィレンツェの政治思想と大西洋圏の共和主義の伝統』 名古屋大学出版会 2008
フリードリッヒ・マイネッケ(菊盛英夫ほか訳) 『近代史における国家理性の理念』 みすず書房 1976
ジャック・ル・ゴフ(大岡昇平 訳) 『もうひとつの中世のために:西洋における時間、労働、そして文化』 白水社 2006
ノルベルト・エリアス(赤井慧爾ほか訳) 『文明化の過程(上):ヨーロッパ上流階層の風俗の変遷』 法政大学出版局 2010
ノルベルト・エリアス(波田節夫ほか訳) 『文明化の過程(下):社会の変遷/文明化の理論のための見取図』 法政大学出版局 2010
ルイ・デュモン(田中雅一ほか訳) 『ホモ・ヒエラルキクス―カースト体系とその意味』 みすず書房 2001
ラ・ロシュフコー(二宮フサ 訳) 『ラ・ロシュフコー箴言集』 岩波文庫 1989
ミシェル・ドモンテーニュ(関根秀雄 訳) 『モンテーニュ随想録』 国書刊行会 2014
アルバート O.ハーシュマン(佐々木毅ほか訳) 『情念の政治経済学』 法政大学出版局 1985
アーサー・O. ラヴジョイ(鈴木信雄ほか訳) 『人間本性考』 名古屋大学出版会 1998
スタンダール(大岡昇平 訳) 『恋愛論』 新潮社 1970
ノルベルト・エリアス (島村賢一 訳) 『宮廷社会』 法政大学出版局 1981
ローレンス・ストーン (北本正章 訳) 『家族・性・結婚の社会史―1500年‐1800年のイギリス』 勁草書房 1991
ポール・ヴァレリー (清水 徹 訳) 『ムッシュー・テスト』 岩波書店 2004
ジョン・ダン (湯浅信之 訳) 『ジョン・ダン全詩集』 名古屋大学出版会 1996
ミッシェル・セール (及川 馥・米山親能 訳) 『パラジット―寄食者の論理』 法政大学出版局 1987
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2-4-1. 政治・宗教・商業、そして時間

 ルーマンのゼマンティク研究の対象領域は多岐にわたるが、研究の焦点があてられているのは、階層社会から機能的に分化した近代社会への移行を徴候的に示す思想や概念の変化である。例えば彼は、ジョヴァンニ・ボテロ(1544-1617)、ユストゥス・リプシウス(1547-1606)、クリスチャン・トマジウス(1655-1728)といった一般になじみの薄い16世紀から18世紀の思想家にもしばしば言及している。シュトライス編『17・18世紀の国家思想家たち』、スキナー『近代政治思想の基礎』は、これらの思想家が織りなす思想潮流の見取り図を提供してくれるだろう。近代初期の政治思想のなかでも、彼がしばしば引き合いに出すのは、マキァヴェッリである(『マキァヴェッリ全集1君主論』『マキァヴェッリ全集2ディスコルシ』)。マキァヴェッリが問題としたウィルトゥス(virtus)は、変転する状況のなかで政治的秩序を保持する力であるが、『君主論』を伝統や既得権益の網の目によって立つことのできない政治的改革者の研究と位置づけた『マキァヴェリアン・モーメント』は、ルーマンの研究にも示唆を与えている。このような君主の能力に関するマキァヴェッリの議論を、ルーマンは近代政治システムの分化に繋がる国家理性概念(このテーマにおける代表的著作が マイネッケ『近代史における国家理性の理念』である)の成立に向けた思想的変化の一契機として読み解こうとしている。変転する時の流れのなかで政治的決断を強いられるというこの問題は、宗教的な時間(「教会の時間」)に対する商業的な時間(「商人の時間」)という構図の出現(ル・ゴフ『もうひとつの中世のために』)といった他領域における変化とあわせて読むことでよりいっそう興味深いものとなるだろう。

2-4-2. 「近代的人間」の条件

 階層社会から機能分化した社会への変容を、ルーマンは社会的なコミュニケーションの変化として観察しようとしている。例えば、エリアスの『文明化の過程』 が描いた上流階層における感情や衝動の抑制も、彼はコミュニケーション過程を制御する条件の変化と位置づけたのである。階層秩序を構成する論理、またこの秩序における人間観についての基本書といえるのが、デュモン『ホモ・ヒエラルキクス』である。近代社会における人間観の変容は、ルーマンのゼマンティク研究における重要なテーマの一つである。階層秩序によって人間は、(例えばその出身階層によって)本質的規定を受ける。しかし、階層秩序が崩れ始めると、人間は本質的な規定によらず自らを社会的なコミュニケーションにおいて呈示しなければならなくなる。自己規定の問題は、自己呈示の問題になるのである。したがって、グラシアンの『処世の知恵』が描くような処世術が重要になるとともに、『ラ・ロシュフコー箴言集』が辛辣に行ったように自己呈示という仮面の背後に隠されたものを暴くことがいっそう意味を持つようにもなる。自らで自らを観察し、呈示する自己、すなわち近代的自己における自己言及性を、ルーマンはモンテーニュによる人間観察の書(『モンテーニュ随想録』)にもみいだしている。こうしたモラリストたちの人間観察は、人間の行為を強制や抑圧によって統御するのではなく、人間に内在する危険な情念を比較的無害な情念によって相殺させることで社会秩序を破壊する行為を抑制しようというアプローチに説得力を与えている(ハーシュマン『情念の政治経済学』)。名誉欲や高慢(pride)は後者の情念に属するが、ラヴジョイの『人間本性考』では称讃への欲望が道徳規範に代わって善行の誘因となりうるとみなされた17・18世紀の人間学が論じられている。階層秩序によって付与される本質ではなく、そのつど流通する観念・イメージが人びとの観察や行為を規定するのだとすれば、人間関係もそれらによって規定されることになる。スタンダールの『恋愛論』に現れた「オム・コピー(hommes-copies)」(翻訳では「紋切型の男」)という表現を引きながらルーマンが愛のゼマンティク研究において論じたのは、恋愛経験のコピー化であった。そこには、近代における人間の条件の変化が描かれている。(高橋 徹)

選書者紹介

酒井泰斗(さかい たいと)

会社員。ルーマン・フォーラム管理人(http://socio-logic.jp)。
社会科学の前史としての道徳哲学・道徳科学の歴史を関心の中心に置きつつ、このブックガイドの趣旨通りにルーマンを利用しながら日々書棚を散策しています。ここ10年ほどは、自分が読みたい社会学書を ひとさまに書いていただく簡単なお仕事などもしています。 >>業績

関谷 翔(せきや しょう)

東邦大学理学部非常勤講師。東京大学大学院総合文化研究科博士課程在学中。専門は科学技術社会論。特に、リスク論や行政に対する科学的助言に関心があります。>>業績
  • 論文: 「認知科学・脳神経科学がリスク論に与えるインパクト――個人的選択から社会的論争への変換」『脳科学時代の倫理と社会』189-213、2010年。
  • 著書(共著): 『科学技術と社会』(平川秀幸・八木絵香編)有斐閣、近刊
  • 訳書(共訳): シーラ・ジャサノフ『法廷に立つ科学』(渡辺千原・吉良貴之監訳)勁草書房、近刊

毛利康俊(もうり やすとし)

西南学院大学法学部教授。京都大学法学研究科博士後期課程単位取得退学。
今まではルーマンの理論を使って法概念論を膨らませるという仕事をしてきました。最近は法的思考論へ研究の重点を移しつつあります。>>業績

北田暁大(きただ あきひろ)

東京大学情報学環准教授。東京大学人文社会系研究科博士課程退学。博士(社会情報学)。
ルーマンには近寄りすぎず遠ざけすぎず、という距離を心がけてきましたが、何の研究をしても結局ルーマンの思考にどこか頼っています。現在はアメリカ社会学の歴史を調べています。アートにも少しだけ関心が…。>>業績

小山 裕(こやま ゆたか)

東洋大学社会学部講師。2012年東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(社会学)。
専攻は社会理論と歴史社会学。近年はルーマンの社会理論を比較歴史社会学へと展開させていくという課題に取り組んでいる。>>業績

坂井晃介(さかい こうすけ)

東京大学総合文化研究科国際社会科学専攻博士課程。
専門は社会理論、福祉国家論です。現在はルーマンのゼマンティク分析を19世紀ドイツにおける社会国家の成立問題に応用し、近代化の理論として再構成することに関心があります。 >>業績
  • 論文: 「福祉国家の意味論分析に向けて――N.ルーマンの理論構成を手がかりに――」『年報社会学論集』(27), 73-84, 2014.

山田哲也(やまだ てつや)

一橋大学大学院社会学研究科准教授。一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程単位取得退学
専門は教育社会学です。最近は、教育システムからの排除に関する諸問題と、教育改革が学校現場に与える影響に関心があります。>>業績

高橋 徹(たかはし とおる)

中央大学法学部教授、2001年東北大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。
専門領域は、社会学・コミュニケーション論。現代社会に対する大局的な視座を提供してくれる社会理論の可能性に関心を持ち続けております。特に現在は、現代のメディア環境において「政治的危機」を構築する観察図式の分析に関心を持っております。>>業績

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2015年3月20日から 5月6日まで

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