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作成 20190805|更新 20190805

佐藤俊樹『社会科学と因果分析』読書会
佐藤俊樹『社会科学と因果分析』

読書会配布資料集:第五章「社会の観察と因果分析」

 この頁には、佐藤俊樹『社会科学と因果分析:ウェーバーの方法論から知の現在へ』読書会(2019年3月~8月) における担当者の配布資料を掲載しています。
 読書会第五回(最終回)の開催日は2019年8月4日(日)、会場は東京大学本郷キャンパス、担当者は 瀧川裕貴さん(社会学)、小野裕亮さん(統計学)、高田敦史さん(美学)の三名でした。

このページ:第五章「社会の観察と因果分析」
[第一五回] 法則論的知識と因果推論
[第一六回] 社会科学と反事実的因果
[第一七回] 因果効果と比較研究
【コラム4】 三月革命の適合的因果と期待値演算
[第一八回] 事例研究への意義
[第一九回] ウェーバーの方法論の位置
[第二〇回] 社会科学の現在 閉じることと開くこと
※全資料
第一章 社会科学とは何か
第二章 百年の螺旋
第三章 適合的因果の方法
第四章 歴史と比較
第五章 社会の観察と因果分析
講 演:清水雄也「Johannes von Kriesの適合的因果論」
コメント:小野裕亮「「文化科学」論文の参照指示について」
論考:清水雄也・小林佑太「Kriesの適合的因果論をめぐる誤解」
読書会案内

[第一七回]因果効果と比較研究(pp.318-339)
担当:小野裕亮(SAS Institute Japan株式会社 JMPジャパン事業部)

評者注

発表では、最後にだけ大まかな疑問点を述べる。これまでの読書会にて誤りであろうとされた点も含め、個々の誤りや疑問点は発表では触れない。

17.1(pp.318-319) 文化科学論文と現在の統計的因果推論の関係性

17.2(pp.319-321) 独立性条件の紹介&大塚史学批判

17.3(pp.321-323) 独立性条件に基づく大塚史学批判

17.4(pp.323-326) 単一事例研究・計量分析・統計的因果推論の共通性

17.5(pp.326-330)佐藤流適合的因果同定の総まとめ

(1) 定義によって一回きり=リッカートの「個性的因果関係」
(2) 複数回観察可能 (2.1) 実際の観察が1回=因果を経験的には観察不能
(2.2) 実際の観察が2回以上 (2.2.1) 2回だけ観察(差異法)
(2.2.2) 3回以上観察(集団単位での判定可能)

17.6(pp.330-333)グローバル・ヒストリーにおける因果同定

17.7(pp.333-336)文化科学論文第2節の佐藤流解釈とグローバル・ヒストリーへの応用

17.8(pp.336-337)ウェーバー論文からの引用

担当者疑問点

  1. (ランダム化実験ぐらいでしか実現できないであろう)独立性条件を基準にして、歴史学の方法論を評価するというのは無理があるのでは?(佐藤流適合的因果の分類での (2.1) に対して、(2.2.2) の基準で批判していると思われるが、それは無理があるのでは?)。
  2. 大雑把に言うと、佐藤流適合的因果理論は、(2.1) 単一事例研究での反実仮想, (2.2.1) 比較研究での差異法、(2.2.2) 統計的分析に分け、3つそれぞれにおいて、その仮定や限界を明示しながら経験的な分析を行うといった枠組みだと思う。社会科学での因果分析の指針としてこの3分類は役立つか?
    (本書では、統計的因果推論については、Pearlのバックドア基準さえも触れられておらず、Rubinの傾向スコア法も言葉しか登場しない。本書を読んでも、統計分析に関しては、研究者は何もできないように思う。しかし、より広い視点では因果分析の指針にはなりうるか?)
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[コラム4]三月革命の適合的因果と期待値演算(pp.340-362)
担当:小野裕亮(SAS Institute Japan株式会社 JMPジャパン事業部)

評者注

本書と佐藤俊樹(2017)「データを計量する 社会を推論する」『社会学評論』, 68(3)では、記号の表記が間違えていると思われる(この間違いは第1回読書会の食事会での立ち話で小田さんによって指摘された)。P(E│C)は正しくはP(E│C,U)であり、P(E│¬C)は正しくはP(E│¬C,U)だろう。話が混乱するかもしれないが、以下では本書に書いてある表記をそのまま用いた。

IV.1(pp.340-342) 文化科学論文第2節に対する佐藤流解釈

IV.2(pp.342-345)平均因果効果の数式

IV.3(pp.345-347) von Kries論文における期待値

IV.4(pp.347-350)von Kriesにおける平均因果効果

IV.5(pp.350-354)Mill-Binding批判部分の佐藤流解釈

IV.6(pp.354-357)ベルリン三月革命の例に対する佐藤流解釈

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[第一八回]事例研究への意義
担当:高田敦史(美学)

18.1. pp. 363-366

  1. 因果同定の位置づけについて
    • 話の流れを確認すると
      1. 計量研究と事例研究で用いられる因果の同定手続きは理論的には連続したものとして扱える
      2. 〔隠れた前提〕計量研究も事例研究も、もっぱら因果の同定が中心的な作業となる
      3. 〔結論〕よって両者には程度の差しかない。
      (1)から(3)を出してくるためには、(2)の前提が隠れているように思う。
    • この前提が成り立たないとどうなるか。例えば因果の同定は事例研究にとって周辺的な作業だということになるなら、仮に因果の同定作業が両者の間でよく似ているとしても、「両者はどうでもいい部分で似ている」という帰結しか引き出せないだろう。
    • 一方、「計量研究も事例研究も、もっぱら因果の同定が中心的な作業となる」という前提は、私にはかなり論争的な主張に見える(というかほとんど同意できない)のだが、どこかでこの主張を擁護する議論はあっただろうか。
      • 一般的に、事例研究や歴史研究の大半は、それほど因果の特定にかかわっていないように見える。因果関係の特定がメインの目的である歴史研究というのはそれほど多くないのではないか。例えば、中世の農民の生活を可能なかぎり再現するという研究には因果関係も多少は出てくるだろうが、特にメインの目的ではないだろう。
      • また社会科学のうちの大きな部分は規範的研究で、これも因果の特定にかかわる必要はそれほどないように見える。
    • また、「科学的手法はどれも因果の同定にかかわる」と言っているようにも見えるが、これもかなり論争的な主張ではないか。
  2. 法則論的知識の位置づけについて
    • 「法則論的知識は「主観的」だ」と言っているように見えるが、なぜそうなるのか。
    • 私の理解では、法則論的知識というのは、「事象タイプAは事象タイプBの確率を高める」というタイプの知識だったはずだが、これは主観的なのか? どういう意味で主観的なのか?
    • 他の部分を確認すると、どうも以下の2つの「前提仮説への依拠」が「主観的」と呼ばれている(p.371, p.390など)。
      • 「事象タイプAは事象タイプBの確率を高める」という知識
      • 考慮する変数を限定せざるをえないというタイプの仮定
    • なぜこれが「主観的」なのか解釈に迷うが、おそらく気持ちとしては、「仮説」と「事実」(データ)を鋭く区別していて、「仮説」は主観的ということではないか。

18.2

18.3

18.4

18.5

18.6.

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[第一九回]ウェーバーの方法論の位置
担当:高田敦史(美学)

19.1

19.2

19.3

19.4

19.5

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[第二〇回]社会科学の現在 閉じることと開くこと
担当:高田敦史(美学)

20.1

20.2

20.3

20.4

20.5

20.6

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