非哲学者による非哲学者の為ののための 非哲学の講義 ──大人の為の哲学演習──

酒井泰斗・吉川浩満

口上
 大人は現実的であるよう求められます。大人は、過去の経緯を踏まえ・未来を見据えたうえで、時間的制約のなかで行動しなければなりません。他人への影響を度外視するわけにはいかないし、自分の選択が他人からどのように見えるかも無視できません。だから、大人の生活の背後には、たくさんの「考えないでおくことにしたこと」が控えています。
 「考えていると話が進まない」「考慮すると面倒なことになりそうだ」「いろいろ考え直さないといけなくなるかも」……。そうしたものについて考えることは、たいていは役に立ちませんし、しばしば危険でもあります。そのせいで仕事が進まなくなったり、混乱が生じたりするかもしれません。深甚なダメージを食らうことだってありうるでしょう。
 しかし、それらは黙っておとなしくしてくれるわけでもありません。たとえば疲れているとき、暇なとき、気が緩んだときに、それらはときおり大人の生活に闖入してくるのです。
 では、そうしたものとどう付き合えばよいのでしょうか。これがこの講座の課題です。
 この課題に答えるために特に行いたいのは、素朴で漠然とした直感的な疑問を、継続的に掘り進めたり部分的に解消したりできる問いに変換する練習です。そのために、毎回、受講生から疑問や論題を募り、「どうしたら より安全な仕方で、危険なものと まともに付き合えるか」に配意しながら、実演的に講義を進めていきます。積み上げ型ではなく、その都度特定の論題を使った演習型の講義なので、過去講義に来ていない方でも問題なく参加していただけます。
 この講座で「哲学」と呼ぶのは、こうした、解けるかどうかわからない問題への対処のことです。そして、この意味での「哲学」に無縁な人は誰もいないはずです。私たちは、「これだけが・これこそが哲学だ」とまで述べる気はありません。しかしこれを哲学的だと呼んでよいだろうことまでは──哲学の専門家も含め──大方に認めてもらえるだろうと考えています。ゆっくりと考えていきましょう。(講師記)

更新

2020.07.12
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講義録

2019年4月から2020年8月にかけて 朝日カルチャーセンタ新宿教室にておこなった連続講座の記録を、酒井の責任でまとめたものです(未遂)。 セミナーの趣旨、運営方針、目標などをご紹介する意味も込めて、全9回の講義の骨子を(そのうち)公開します。

第一講義──なぜ哲学的お悩み相談のための互助会なのか

1. この講座の出発点と基本性格──お悩み相談のための互助会

  • 講師の一人である酒井はこれまで「A:お悩み相談のための場の設置による研究者同士の互助活動の支援」を行ってきました。それに対してこの講座では「B:お悩み相談のための場の設置による非研究者同士の互助活動の支援」を行いたいと考えています。
  • A は、酒井が、研究者たちの互助活動を、一人の非-研究者として・側面から支援するかたちでおこなってきたものです。 それに対して B は、非-研究者たちの互助の場を、講師二人もまた同じ資格において、運営しようとするものです。

2. 何をするか(をどうやって決めるか)

  • 我々講師は、この講義で具体的に何を行うかを、次の三点の摺合せによって決めることにしました(別の言い方をすると 具体的に何を行うかを、事前に詳細には決めませんでした)。
    1. 哲学の講義とは何を提供すべきものか
    2. 受講生は何を望んでいるか
    3. 講師には何が提供できるか
     特に重要なのは b で、これはつまり、実際に集まってくれた受講生の意向を聞きながら講義計画を進める、ということです。 このような面倒で時間のかかる手続きをとったのは、我々講師二人が、哲学に関して何か特別な自分たちなりの主張をしたくてこの講義を始めたわけではないためです。

3. この講義で主要には行わないこと

  • この講座では、主要には以下のことは行いません。
    • この講座では、「哲学に関する知識の教授」を行いません。
    • この講座では、哲学に関心のないひとに関心を持ってもらおうとしたり、哲学の良さや有用性をアピールして説得したり、といった活動はおこないません。
      • 受講生として想定しているのは、すでに哲学が自分にとって何らかの意味で必要であると考えており、何らかの関わりを持っている(もしくは必要かもしれないと想像・直感しており、これから持とうとしている)方だけです。
    講師二人は哲学教師でも哲学研究者でもありませんので、この講座でもそのような役割では振る舞いません。この講座で我々は、「非哲学者にとって、哲学に関して検討すべきことは何か」という問いに、受講生の皆さんと同じ資格で、いっしょに取り組んでみたいと考えています。その意味で、この講義は全体として「相談」の場という性格を──そして講師は、その場の主催者・管理者という役割を──持つことになります。
受講生からの質問
受講生から集める「問い」が人生相談と区別がつかなくなるのでは? 哲学に関する相談と人生相談はどう違うのでしょうか。
講師からの回答
この講座にとっては、その違いは重大なものではありません。
「口上」に記したとおり、この講義は、受講生に提供していただいた「問い」「疑問」を使って進めますが、その際、「哲学とは何か」という定義について事前に議論することなく、受講生の「これは哲学的な(哲学に関わる・哲学に属する)疑問なのではないか」という直感に依拠して始めます。
したがって確かに、いわゆる「人生相談」に(も)属するものが少なからず集まる可能性はありますが、それらについて哲学的な検討ができないというわけでもないでしょう。また吟味を進めた結果として、一部の問いについては──「それは哲学というよりは〜が担当すべき問題だ」といった仕方で*──この講座で扱うものから除外することはありえます。しかしいずれにしても、そうした検討のなかで、〈哲学的である/哲学的ではない〉という区別が あわせて検討されることになるでしょうし、そのプロセスはこの講座の主要コンテンツにふさわしいものとなるだろうと考えます。
* また逆に、一部の問いについては、すでに専門的な哲学研究のなかで取り扱われていることが判明して この講義の論題からは除外するかもしれません。

4. 講座の狙い

4-1. 本講義のもっとも大枠となる目標──思想からの自由

  • 「哲学・思想を学ぶ」というときには、しばしば「学史・学説に関する知識を学ぶ」ことや「(哲学的に)考えるやり方・考え方を学ぶ」といったことが想定されているでしょう。
    • そしてまたしばしば、両者は対立的に捉えられて「哲学史・学説・理論ではなく哲学的に考えるやり方を学ぶべきだ」と言われたり、「哲学する仕方を学ぶためにも哲学史を学ぶべきだ」とか言われたりします。さらには両者のあいだで、どちらがより重要なのか・本質的なのか 争われたりすることもあります。
    それはそれとしてしかし、哲学・思想を学ぶにあたっての目標は、「知識の獲得」とか「自分の頭で考える」といったこととは別のところに置くこともできます。ケインズの次の言葉を手がかりにしましょう。
    経済思想や政治哲学は、それが正しい場合にも間違っている場合にも一般に考えられているよりもはるかに強力である。事実、世界を支配するものはそれ以外にはない。自分は現実的であってどのような思想からも影響を受けていないと信じている者も、いまは亡き学者の奴隷であるのが普通だ。権力の座にあり、天の声を聴くと称する狂人も、それ以前に書かれた学者の悪文から錯乱した経済思想を導き出している。私は既得権益の力は思想の漸次的な浸透に比べて著しく誇張されていると思う。もちろん思想の浸透はただちにではなく、ある時間をおいた後に行われるものである。なぜなら経済哲学および政治哲学の分野では、25歳ないし30歳以後になって新しい理論の影響を受ける人は多くはなく、したがって官僚や政治家や さらには煽動家でさえも、現在の事態に適用する思想はおそらく最新のものではないからである。しかし遅かれ早かれ、良かれ悪しかれ危険なものは、既得権益ではなくて思想である。
    (ケインズ『雇用、利子および貨幣の一般理論』、東洋経済新報社、1983年、384頁)
  • たしかに我々は、自分で思い立って哲学や思想を学ぼうとする以前に、すでにもう過去の哲学や思想とともに生きてしまっています。何かを観て把握し、判断して行動するとき、そのすべてには、もはや誰から聴いたのかどこで得たのか自分でも覚えていないような、「他人が過去に述べたこと」が関わっているでしょう。損得だけにもとづいて思想など無関係に合理的判断を下そうと努めるときですら、何が損/得であるかの把握には思想が効いています。自分がどのような誰であるのかの少なからぬ部分は「過去に他人が述べたこと」によってできているのです。
  • だとすればここで、哲学や思想に関わる重大な課題として──しかも、「哲学や思想にはまったく関心がない」と考えている人たちすら含めて その課題に無縁な人など誰もいないような課題として──、自分が知らず知らずのうちに すでに依拠してしまっている前提を自分自身で解明すること、そしてものによっては、また必要ならば、それらから自由になること、というものを考えてよいはずです。
    • この課題は自己反省の一種です。反省は特に哲学がずっと取り組んで来た課題ですから、この課題は「哲学の講義」というタイトルにふさわしいものだと考えます。そしてまたケインズの指摘は、一方では、思想史という分野の特別な重要性を、また他方では、思想や哲学というものが 「単に知的なこと」だけにではなく 経済や政治も含む 我々の社会生活全般に関わる事柄でもあることを示唆しています。この講座で哲学について考えるときにも、そうした幅のなかでそれを扱っていきたいと思います。
  • というわけで、この講座では それ──思想からの自由──を、もっとも大枠となる目標とすることにしましょう。

4-2. 本講義の主要な目標──事柄に即して考える

  • この講義では、哲学がとりうる様々な目標のうちでも、特に「事柄そのものについて考える」をピックアップしたいと思います。
    • 前項と合わせると、「事柄そのものについて考えることにより-思想からの自由を目指す」ということ。
  • ある事柄について疑問を持ったときに、まず目指されるのは、その疑問の解決・解消でしょう。しかし疑問というものは、その事柄が置かれた状況や、その問いを立てた人がどのような前提や判断基準を用いているかに応じて生じるものです。したがって、「事柄について問う」ときに、あわせて「その疑問はなぜ生じたか」を問うことで、「事柄の検討」と「反省」をセットで進めることができるはずです。

4-3. 事柄に即して考えるために必要なこと──ゆっくりと考える

  • ある疑問が生じるとき、そこには疑問を持つ側の先行的な前提が介在しており、それを取り出すことがここでの目標でした。しかし「それだけ」を取り出すのは難しいですし、そもそもそんな必要はありません。むしろ「事柄を問う」こととあわせて・そのなかで部分的に反省をおこなう方が 無理はないでしょう。
  • いずれにしても、こうした反省は、単に問いに取り組むよりも面倒な作業です。特に、疑問を生じさせる前提が一般的な通念に従っているために取り出しにくかったり、あるいはさらに、そこに自分自身が表立っては認めることができない偏見が含まれていたりすれば、作業はずっと面倒なものに──というだけでなく危険なものにすら──なりえます。
  • そして、この状況を、どこか外から判断基準を持ち込んで簡単に解消したりしないためには、ゆっくりと作業を進める必要があるでしょう。

4-4. ゆっくりと考えるためにおこなうこと──他人と考える

第二講義──なぜ哲学は危険なのか

ゆっくりと考える──その危険性と意義

  1. 或る事柄について、その事柄に即して、出発点に繰り返し立ち戻りながら考えることは なぜ危険なのか

第三講義──なぜ対話は危険なのか

哲学のインフラとしての対話──その危険性と意義

  1. 対話はなぜ危険なのか
  2. なぜ哲学者たちの議論はあんなにもこわいのか
    • なぜ哲学者たちは議論はよいものだと信じて疑わず、他人にもむやみに薦めたがるのか
  3. なぜ対話はうまくいかないのか
    • なぜ議論のための格律「意見と人格の分離」はうまくいかないのか
    • 哲学的活動の社会学的考察──道徳について
  4. 代替案:対論モデルから交渉モデルへ。

第四講義──「ゆっくりと考える」ための準備

問いの展開と技法──その危険性と意義

  1. 問題に輪郭を与える(〜整理する)ための最初の区別:「前提にすること」と「話題にすること」
  2. 問題の分割
  3. 知識取得ポイントの探索──どこで調べ物を開始するか
  4. 合理性基準の移動──調べて得た知識をどう使うか。
    • 批判的に考えない
    • 常識を疑わない
      ──では代わりに何をするか
  5. 問題に照らした比較対照物の探索

会員制セミナー

(考案中。まだなんにも決まってません。)

講師紹介

  • 心脳問題
  • 問題がモンダイなのだ
  • マインド
  • ワードマップ エスノメソドロジー
  • 概念分析の社会学
  • 理不尽な進化
  • 脳がわかれば心がわかるか
  • 概念分析の社会学2
  • 人間の解剖はサルの解剖のための鍵である
  • 先史学者プラトン
  • 信頼を考える
  • 『フィルカル』 4-1 ポピュラー哲学特集
  • 在野研究ビギナーズ
  • その悩み、エピクテトスなら、こう言うね。

酒井泰斗

会社員。ルーマン・フォーラム管理人。哲学雑誌『フィルカル』編集委員。
横浜市生まれ。大阪大学大学院理学研究科(物性物理学専攻)修士課程中退。音楽制作会社を経て現在は金融系企業のシステム部に勤務。専門はインターフェース・デザイン。関心分野は道徳哲学・道徳科学・行動科学の歴史、社会科学方法論争史など。
著書:  論文:

吉川浩満

1972年3月、鳥取県米子市うまれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。
国書刊行会、ヤフーを経て、文筆業。関心領域は哲学、卓球、犬猫鳥、ロック、映画、単車など。
著書:
  • 『心脳問題──「脳の世紀」を生き抜く』(山本貴光との共著、朝日出版社)
  • 『問題がモンダイなのだ』(山本との共著、ちくまプリマー新書)など
訳書:
  • 『マインド──心の哲学』(山本との共訳、ジョン・R・サール著、朝日出版社)など。

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