日曜社会学 - ルーマン・フォーラム / エスノメソドロジー番外地

Sunday sociology - Luhmann Forum / Ethnomethodology: on the edge of nowhere

作成:20171019 更新:20171121

酒井泰斗「ルーマン解読6:小宮友根さんと『信頼』を読む」
(2017年10月18日・11月15日・12月20日、朝日カルチャーセンター新宿)

この頁には、2017年10月から12月にて朝日カルチャーセンター新宿にて開催する「ルーマン解読6」講義における質疑応答などの一部を収録しています「ルーマン解読」講座全シリーズの紹介。 小宮友根さんによる著作紹介、講義当日の応答の再録と、講義後にいただいた質問に対する回答が含まれており、署名のない項目はすべて酒井によるものです。

概要
第一回講義(2017.10.18)
第二回講義(2017.11.15)
  • Q201 ルーマンと人類学
  • Q202 古代文明以前
  • Q203 社会分化と個人
  • Q204 デュルケムの道徳
  • Q205 観察形式としての人格
  • Q206 安楽椅子社会学とは
  • Q207 ルーマンとゴフマン
第三回講義(2017.12.20)

概要

講義概要

 1968年に刊行された著作『信頼』は、特に日本では著名な倫理学者によって邦訳されたこともあずかって、ルーマンの著作の中では比較的広く読者を得たものです。しかし、なぜこの時期にこのような形で信頼を取り上げなければならなかったのか、そしてまた ルーマン理論のなかで信頼という論題がどのような位置にあるのかは、それほど判明ではありません。
 後期の著作群『社会の理論』の方から振り返ってみると、これが、ルーマン流の近代化論の内実を与える社会学的時間論を構築するための一論題として扱われていることが見えてきます。そこで本講義では、

紹介することで、この著作に新たな光を当ててみたいと思います。
ゲスト講師紹介
小宮友根(東北学院大学経済学部共生社会経済学科准教授)
東京都立大学大学院社会科学研究科社会学専攻博士課程修了。専門はエスノメソドロジー/会話分析、ジェンダー論、理論社会学。司法におけるジェンダー問題に関心をもち、現在は裁判員裁判の研究、とりわけ裁判員評議の会話分析研究に取り組んでいる。
著書: 『実践の中のジェンダー──法システムの社会学的記述』(新曜社、2011)、「評議における裁判員の意見表明」『法社会学』77号、2012)、「裁判員は何者として意見を述べるか」『法社会学』79号、2013)、「強姦罪における『被害者資格』問題と『経験則』の再検討」(陶久利彦編『性風俗と法秩序』尚学社、2017年)など。

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(小宮友根)
『信頼』著作概要

Q1. 本書で ニクラス・ルーマンが 取り組んだのはどのような課題ですか。

 本書でルーマンが取り組んでいるのは、「信頼」と彼が呼ぶものを機能分析の対象とするという課題です。ここで「信頼」と呼ばれるのは、「相手が然々の仕方で行為するならば何らかの利益が生じるが、手持ちの情報だけでは相手が然々の仕方で行為すると確実には言えないところで、しかし相手が然々の仕方で行為することをあてにして自分も行為する」ということです。たとえば待ち合わせ場所に急ぐとき、あるいは「国産」と書かれた高い牛肉を買うとき、私たちは待ち合わせ相手や売り手を「信頼」しているということになります。

 他方、「機能分析の対象とする」というのは、対象がどんな問題に取り組んでいるかに注目し、同様の問題に取り組んでいる他のものと比較しながらその特性をあきらかにするということです。ルーマンが本書で信頼の「働き」とみなしているのは「複雑性の縮減」です。複雑性の縮減とは、大雑把に言えば、可能性(ここでは特に他者がどう行為するかについて想定しうる可能性)が絞り込まれることです。たとえば道ですれ違う人が自分に殴りかかってくる可能性は理屈の上では常にあるわけですが、そうしたあらゆる可能性を想定して行為しなければならないとしたら私たちは社会生活を送れなくなります。逆に言えば、私たちの社会生活は、想定される可能性が絞り込まれる(複雑性が縮減される)ことで成り立っています。「信頼」には、そうした働きがあるとルーマンは言っているわけです。

 信頼のこうした働きを捉えるうえで、ルーマンは社会システム論を採用することで、複数の行為が繋がってまとまりが作られている(社会システムの存続)という事態から信頼について考えます。社会システムが存続するためには複雑性が縮減されなければなりませんが、複雑性を縮減する働きをもつものは信頼以外にもあります(ルーマンや法や組織を挙げています)。では、他ならぬ信頼によって複雑性が縮減されることは何を可能にしているのかと問うわけです。

Q2. それぞれの課題に対して、ルーマンが与えた回答はどのようなものですか。

 二つの側面を持つ回答を与えています。一つの側面は、信頼による複雑性の縮減は、社会が高度に複雑化すること(機能分化)を可能にしている、というもの。もう一つの側面は、機能分化が成立しているからこそ、信頼することが容易になっているというものです。

 機能分化というのは、経済、政治、科学などの領域ごとにそれぞれ独立の社会システム(機能システム)が成立することです。この機能分化の成立に「信頼」がどのようにかかわっているのかを論じるためには、ルーマンは「馴れ親しみ」「人格的信頼」「システム信頼」を区別して対比しています。

 「馴れ親しみ」とは簡単に言えば、「これまでやってきたとおりにやる」以外の可能性が意識されていないことですが、機能分化した社会ではある行為がどのシステムに属するかには常に複数の可能性があるので、馴れ親しみではコミュニケーションを支えられません。「人格的信頼」は相手の人格にもとづいて相手が然々の仕方で行為することをあてにすることですが、機能システムが成立するためには見知らぬ人どうしの行為も繋がることができなければなりませんので、人格的信頼も機能分化を支えるには不十分です。

 それに対して「システム信頼」は、象徴的に一般化されたコミュニケーションメディア(SGCM)に対する信頼です。SGCMとは、特定の機能システムにおいてどんな行為の繋がりが可能なのかを示してくれる象徴のことです。経済システムなら「貨幣」、政治システムなら「権力」、科学システムなら「真理」がそれにあたります。そうしたメディアは、「売買」「集合的意思決定」「知識・情報の獲得・伝達」にかかわる行為どうしの繋がりを仲立ちします。SGCMに対する信頼があると、見知らぬ相手に対してであっても、そうしたメディアのもとで相手が行為することをあてにできるようになります。こうして、「システム信頼」という特殊な信頼は機能システムの成立を可能にしているというわけです。

 他方、SGCMは当然のことながら機能分化とともに成立しているものです。従って、システム信頼という信頼――非人格的であるがゆえに学習が容易で、期待外れに強く、信頼しているということすら通常は意識されない強固な信頼――の様式の成立は、機能分化が準備したものでもあります。機能分化と信頼が相互に成立条件を提供しあっているこの関係への注目が、本書の醍醐味となっています。

Q3. こうした課題に取り組むことにはどのような意義がありますか。

 「どんな意義があるか」よりもまず、「何に使えないか」を確認しておくことが重要かもしれません。とりわけルーマンの議論から、日常的な意味での「信頼」について何か教訓めいたものが引き出せると考えることには慎重さが必要です。ルーマンを読んでも、どんな人が信頼できるのかや、どうやって他者と信頼関係を築いたらいいのかはまったくわかりません。ルーマン自身、そうした問い(「倫理学的問い」と彼が呼ぶ問い)と自分の仕事の違いを繰り返し強調しています。実際、ルーマンが「信頼」と呼ぶものは、日常的な意味での「信頼」よりも広いもので、ほとんどすべてのコミュニケーションにかかわるもののようにも見えます。そうであるなら、本書の「信頼」という概念はある種のインフレを起こしているとも考えられるでしょう。

 では、そうした議論から私たちはどんな意義を引き出せるでしょうか。ひとつの読み方は、ここには「社会秩序」についての(当時の)新しい視点があるのだと理解することだと思います。確かに私たちの社会ではたくさんの人がそれぞれ自分で選択しながら行為しているわけですから、そのたくさんの選択が噛み合って機能システムが成立しているなどというのは途方もなく複雑なことのように思えます。けれど上でも述べたように、複雑性の増大とその縮減相互に関連して生じているものです。すなわち、「社会はいまや単一の原理もとで皆が一様に行為しているまとまりではなく、各自が自分の選択で行為している人たちの集まりである」(奥行きのある分節化された人格を備えた・自由な個人からなる社会)というイメージは、それ自体機能分化した社会のもとで初めて出てくるものなのです。こうした視点は、たしかに行為の合理性や、価値規範の共有から社会秩序の成立について考える視点とは大きく異なるでしょう。

 こうした読み方は、たとえばジンメルの社会分化論、ゴフマンの自己呈示論、あるいはルーマン同様「信頼」について考えることから出発したガーフィンケルのエスノメソドロジ-とルーマン理論の関係を考える上で、興味深い手掛かりを与えてくれると思います。私たちはいわば、「社会学的思考の遺産」を比較検討する視点を手にすることができるわけです。

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第一回講義(2017.10.18)

講義概要

酒井 小宮講義
  • この講義シリーズの二つの方針について
    1. ドイツの論争状況とアメリカの行動科学
    2. 『社会の理論』の準備作業としての初期著作群
      • 2-1. 社会学と社会理論との関係
      • 2-2. 『社会の理論』シリーズにおける「馴れ親しみ/信頼」
      • 2-3. 現象学と『信頼』
  1. ルーマンは難しい
    • 「問い」が何なんだかわかりにくい。
  2. 「信頼」をめぐる問い
    • ルーマンの問いではないもの
      • 「倫理学的」問い
      • 「因果説明」の問い
    • ルーマンの問い
      • 信頼の機能に関する問い
  3. 機能分化した社会
    • 環節分化、階層分化、機能分化
  4. 信頼によって機能分化が可能になる
    • 見ず知らずの人とのコミュニケーションの必要性
    • SGCMへの信頼(システム信頼)
  5. 機能分化が信頼を要請し、成立させる
    • SGCMにもとづくコミュニケーション
    • 機能分化社会における「個人の人格」
  6. 社会学的思考の系譜 ・デュルケーム『自殺論』
    • ジンメル『社会分化論』
    • ゴフマン『集まりの構造』
    • ガーフィンケル「信頼」論文
  7. まとめ: 社会学的啓蒙?

[酒井講義 一部抜粋]
2. 『社会の理論』の準備作業としての初期著作群

2-1. 社会学と社会理論との関係

※表内と図内の丸数字は対応しています。
「社会の理論」シリーズ
第一部 1984年 社会システム:一般理論要綱
第二部 1997年 社会の社会
第三部 1988年 社会の経済
1990年 社会の科学
1993年 社会の法
1995年 社会の芸術
2000年 社会の政治(死後出版)
2000年 社会の宗教(死後出版)
2002年 社会の教育システム(死後出版)
社会学理論と社会理論との関係:ルーマン版
ルーマンにおける〈社会学/社会理論〉

2-2. 『社会の理論』シリーズにおける「馴れ親しみ/信頼」登場箇所

は上図・表と対応しています。
第一部(一般理論要綱) コミュニケーション単純化の標準図式としての道徳
第二部(社会の社会) 馴れ親しみ の空間からの宗教的シンボルの成立
第三部(社会のX) 象徴的に一般化したコミュニケーション・メディア(SGCM)のインフレ/デフレ

2-3. 『信頼』と現象学: 「馴れ親しみ」について

Q103 社会システムの三類型 へのメモを参照

[小宮講義 一部抜粋]
5. 機能分化が信頼を要請し、成立させる

象徴的に一般化したコミュニケーションメディア(SGCM)にもとづくコミュニケーション:SGCMへの信頼

  • 機能分化が成立している(SGCMにもとづくコミュニケーションがある)からこそSGCMを信頼することができる。

機能分化社会における「個人の人格」:「他人」の存在

  • 「信頼」という現象が成立する(「信頼する」ということが意味を持つ)ためには、「他人は こちらが思うようには行為しないかもしれない」という可能性が気にかけられていないといけない。cf. 「馴れ親しみ」
  • 「他人はこちらが思うようには行為しないかもしれない」≒「人というのはそれぞれ独自の人格をもっていて、各自が望むように行為する存在だ」
機能社会のもとで信頼は成立している
  • 機能分化した社会では人は複数の機能領域に参加する。
  • どの機能領域においても、そこに参加している人は「他の領域にも参加している(≒他の顔も持つ)」人。
  • 「AにもBにもCにもDにも…参加していないその人そのもの」という存在が反照的に立ち上がる。
  • 「個人の人格」という概念(「本当の私!」)

機能分化した社会と信頼の関係

機能分化と信頼は相互に支え合っている
機能分化した社会では人は「人格をもった個人」と理解されるようになり、どう行為するか見通せない存在となる
(「信頼」することが意味をもつようになる)
←→ どう行為するか見通せない相手とも「システム信頼」にもとづいてコミュニケーションができることで機能分化した社会が成立する。
  • 他人が「人格を持った個人」と理解されるから信頼が必要になるのだが、すでに「信頼」できてないと(機能分化が成立していないと)他人は「人格を持った個人」としてあらわれない。
    • 「複雑性の増大とその縮減は相互に関連して生じている」

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質疑応答

Q101 パーソンズとルーマン

パーソンズ(価値の共有)とルーマン(信頼)はどれくらい違うのか。
小宮
ルーマン理論は かなりの部分がパーソンズから借りたものでできているので、両者の重なるところ・重ならないところを腑分けするのはたいへん難しいのですが。また、「それぞれ自分自身の目的を持って行為している個人が、しかしなぜ、同じように行為したり協力し合ったりできるのだろうか」といった問いを立て、それに対して「共通価値を持っているからだ」とか「システム信頼があるからだ」といったかたちで答えを与えているところだけを見ている限りではあまり違うようには見えないでしょう。しかしルーマンには、加えて
  • 「自分自身の目的を持った個人がたくさんいる」という考え方を私たちが持っているというのはどういうことなのか
  • どういう社会のもとで私たちは そういう考え方を持っているのだろうか
という問いがあるわけです。パーソンズが「行為者同士の間にどのようにして秩序が成り立つのか」という問いを立てているところで、ルーマンは それに加えて「行為者(=人格を備えた自由な個人)なるものが存在しうるのは、どのような社会秩序のもとでなのか」という問いを立てていて、両者を切り離さずに考えていこうという姿勢がある、というのがお答えになると思います。
酒井
ちなみに、パーソンズが「価値」を 社会秩序を説明するための基礎概念として用いたのに対して、ルーマンは、『一般理論要綱』(1984)において、
  • 社会秩序の存立に資するものとして 規範・ルール・人格・価値などなどを挙げたうえで、
  • コミュニケーションの中で実際に使われている こうした観念自体を理論の基礎概念(~説明概念)として扱うことはやめて、
  • すべて「社会システムの構造」として・コミュニケーションの方から捉え直そう
という方針を提出しています。

Q102 ルーマンとギデンズ

ギデンズは伝統的な社会から再帰的社会への移行に関連付けてSGCMへの信頼を論じていますが、これはギデンズがルーマンを参考にしているのでしょうか。
酒井
そうだろうと思います。

Q103 社会システムの三類型

  1. 〈馴れ親しみ/信頼〉という区別は〈相互作用/全体社会〉に対応しているのでしょうか。
  2. 酒井さんと小宮さんの二人で、この三類型を批判する論文を書かれていたと思うのですが1、この三類型を使わない場合には、相互作用における馴れ親しみ・信頼というものをどう捉えたらよいのでしょうか。
ルーマンにおける〈社会学/社会理論〉
小宮
1 に対する答えは「違う」です。〈相互作用|組織|全体社会〉というのは社会システムの類型ですし、 〈馴れ親しみ/信頼〉というのは社会進化に関する理念的な区別です。「相互作用」「組織」「全体社会」のどれに対しても、「馴れ親しみ」も「信頼」も関わります。
 「馴れ親しみ」という表現が典型的にあてはまるのは、古代の部族社会のような、顔見知りの小さな集団が何世代も前からずっと同じような生活を続けていて、いままでやってきたように・これからも繰り返し同じやっていくという以外の選択肢がない生活に対してです。そうしたところでは「人格を備えた自由な個人」は登場しようもありません。
そういうわけで両者は独立の事柄なので──2. について答えると──、システム三類型を採用しないことで信頼について議論するときに何か困るかというと、そういうことはないだろうと思います。
酒井
「馴れ親しみ・親密性」は もともとは現象学用語なのですが、これについてはすぐ下にメモを記しておきましたのでお読みください(→『信頼』と現象学
 2. については「なぜ困らないと考えているか」を述べると話が早いかもしれません。我々の論文1
  • システム類型を立てて研究を始めるのを(・進めるのを)やめろ
と主張したものですが、もしもこれを
  • 人間の集団・人間の関係の作り方に関する類型を立てるな
  • とか
  • 「相互行為」・「組織」・「社会」のような言葉は使うな
といった主張だと理解してしまうと、たしかに相当困ったことになります。でもそう主張したわけではないのです。
 「顔を合わせてのやりとり」とか「組織」とか「社会」とかいった表現は、我々が普段の生活の中で ふつうに使っている(~自然言語に備わった)類型であって、社会学研究においても、それは そのようなものとして尊重すべきです。また研究の中で そのようなものとして(=研究を進める資源として)使ってもよいでしょう(というか、そうしないと社会学の研究はできません)。しかし、「社会システム」という新しい術語を導入し、しかもそれをコミュニケーションの繋がり方に即して使う場合に、その新たな術語で、自然言語の類型を置き換えても意味はないわけです。そうではなく、実際に生じているコミュニケーションの繋がり方を見た上で、「ここでなら〈社会システム〉という術語を使うことができる」というポイントを探すのでなければおかしいでしょう2
 というわけで、我々は、
  • 上記の様な仕事の順序こそが、ルーマン自身の推奨している方針にも適うはずであるが
  • しかしルーマンは実際にはそのようには仕事を進めず
  • 代わりに、その作業を省略して、システム類型を立ててしまった
と主張したわけですが、しかしついでに述べておけば、私が思うに、ルーマンは そこを省略するようにしか作業を進められなかったのだと思います。理由は簡単で、それはルーマンがアームチェア社会学者だからです(省略せずに実行しようとすれば、どこかフィールドに出かけていかねばなりません)
  1. 酒井泰斗+小宮友根「社会システムの経験的記述とはいかなることか一意味秩序としての相互行為を例に」ソシオロゴス 31、2007年).
    この論文はのちに、改稿のうえ 小宮友根『実践の中のジェンダー─法システムの社会学的記述』(新曜社、2011年)に再録されています。
    ちなみにこの論文は、もともとエスノメソドロジーの研究論文集 『概念分析の社会学─社会的経験と人間の科学』(酒井・浦野・前田・中村編、ナカニシヤ出版、2009年)の方法論的準備作業を目的として構想したものです。
  2. そのような順序で作業を進めた結果で見出されるまとまりは、自然言語の類型が指示するものと一致することも、一致しないこともあるでしょう。そして──常識的に考えて──そこで一致しないことがあるからこそ、新しい術語の導入は正当化されるわけです。

メモ:『信頼』と現象学

  • 『信頼』(1968)においてルーマンが、「信頼」を一括して規定するために「最初の一歩」の道具立てとして術語的に使っている Vertrautheit1、フッサールの生活世界論──と、それを改鋳したハイデガーによる日常性に関する議論──から借用されたものである2
    • ちなみに、少し前の時期(1964)にはオットー・フリードリヒ・ボルノウも同様に現象学に依拠した信頼論を提出しており3、ルーマンも当然ながらこれを横目に見ながら『信頼』を書いたであろう4。注目すべきは、ボルノウがハイデガーの情態性に関する議論を ほぼそのまま拡張するかたちで──信頼を情態性の契機の一つとして位置づけるかたちで──信頼論を展開したのに対して、ルーマンの方は、馴れ親しみの領域に亀裂が走るところにこそ信頼の必要性を見ていることである。ボルノウとルーマンの現象学へのコンタクト・スタイルを比較すると、ルーマンの現象学に対する──積極的な利用 と 限界確定・歴史化 を同時におこなおうとする──両価性が、特にはっきりと見て取れる。
  • 後年のルーマンはこの議論をさらに進め、馴れ親しみに関する議論を 特に宗教人類学的な論題領域でも活用した。たとえば「生活世界」論文(1986)5『社会の宗教』(2000年、死後出版)では、どちらも「馴れ親しみ」から出発して神話や宗教的シンボルについて論じられている
  • ここからもう一度振り返って『信頼』を読んでみると、「馴れ親しみ」という術語が後年と同様に、日常性にだけではなく「古代的秩序6」にも使われていることに気づく。つまり、ルーマンによる生活世界論へのコンタクト方針は
    • 生活世界に「地盤」としての機能を認めることは拒否しながらも、
    • 日常性、原初的秩序(環節分化)に関する議論において利用している
    という点で、『信頼』執筆時から晩年まで維持されているといえる。こうしたスタンスが可能なのは、「生活世界」概念よりも「馴れ親しみ」概念(=〈馴染みのある/馴染みのない〉という区別)の方を基礎的なものとして採用したからだろう。つまり、これによって、
    • 「馴れ親しみ」は、繰り返しが生じるところでなら どこにおいても・いつでも生じうる7ことに基づいて、その意味での普遍性を云々することができる一方で、しかし
    • そうする際に、「その普遍性は 他の秩序の土台である」というヴィジョンの方は受け入れない
    というスタンスが可能になっているのだと考えられる。
  1. 現象学関連の邦語文献では Vertrautheit は、「馴染み深さ」「親密性」「馴れ親しみ」「日常的な親しみ」などと訳されることが多い。
  2. 『信頼』本文では、「日常的な世界親密性 die alltägliche Weltvertrautheit」や「生活世界の親密性 Vertrautheit der Lebenswelt」といった あからさまにハイデガー風の表現も使われている。同様の理由で、〈不気味なもの〉なるハイデガー風の表現が「馴れ親しみ」と「信頼」に またがって使われている──そしてたとえば「他人の自由」が〈不気味なもの〉と表現されている──ことも注目に値する。
  3. ボルノウは「信頼」という論点を『気分の本質』(1945)や『新しい庇護性』(1955、訳書で提出し、『教育的雰囲気』(1964)などにおいて更に展開した。同時代の信頼論としてボルノウとルーマンを並べて紹介している丸山徳次(2013)「「信頼」への問いの方向性」 (『倫理学研究』 43, 関西倫理学会)も参照せよ。
  4. 『信頼』の参照文献にボルノウは挙がっていないのだが。ただしボルノウが依拠した小児科医ニチュケ(Alfred Nitschke)──幼児の発育に対する信頼の雰囲気の重要性を強調した──への参照はあり(第1章注3)、この箇所で実存主義と信頼論の関係に触れた際にはボルノウのことも念頭に置かれていた、というのはありそうなことである。
  5. Niklas Luhmann, 1986, "Die Lebenswelt: nach Rücksprache mit Phänomenologen," Archiv für Rechts- und Sozialphilosophie, LXXII(2).(1998/2001「生活世界──現象学者たちとの対話のために」青山治城訳、『社会学理論の〈可能性〉を読む』情況出版)
     ちなみに、この論文では「生活世界」概念そのものの再規定=分解の提案まで行われている。ルーマンは、「生活世界」に関してフッサールが「地平」と「地盤」というメタファーを使用している点に注目し、「地盤でありかつ地平であることは同時にはできない」とメタファーの破産を指摘したうえで、「生活世界」概念を「地平機能」と「地盤機能」に相当する二つの規定に分解することを提案している (そしてまさにここで「馴れ親しみ」概念を使っているわけである)
  6. 「archaische」は、ここでは環節分化──親族構造によって規定された社会──を指すために使われている。たとえば『信頼』と同時期に書かれた『法社会学』第3章「社会の構造としての法」でも、「環節分化」「階層分化・中心周辺分化」「機能分化」という社会分化の3類型に対応して、次のタイトルをもつ三つの節が用意されている:
    • Archaisches Recht
    • Recht vorneuzeitlicher Hochkulturen
    • Positivierung des Rechts
  7. この意味で、機能分化した社会においても「生活世界」的契機は残り続ける。たとえば 1975年に刊行された『権力』では、次のように言われている(下線は引用者による)
     フッサール以来しばしば書きとめられてきたように、人間の事実的な共同生活は、日常の相互行為のなかではあえて問われることのない世界確信の土台の上で、まったく問題のないものとして進められるか、そうでなくても非問題化される。撹乱はあくまで例外である。通常は、共同生活の基礎やその続行の条件についてあれこれ気にかける必要はないし、行為を正当化したり、動機をことさらに作り出したり、提示したりする必要もない。それらが問題化したり、主題化することが全く排除されているのではなく、そういうことはつねに可能であり続ける。しかし、この非顕在的な可能性は、通常はすでに相互行為の基礎として満たされているのである。誰もがこの可能性に訴えない場合には、すべては正常であるという次第である。
     日常生活の生活世界的な性格のこうした基礎条件を廃棄してしまうことはできない。この条件は、意識的な体験 処理のための能力が限られているということに基づいているのである。
    (ルーマン(1975→1986)『権力』第5章「生活世界と技術」(長岡克行訳、勁草書房)、訳書107頁)
    注目すべきは、引用文末尾において、現象学的な議論が「処理能力の限界」という観念のもとで捉え直されていることである。ルーマンの議論においては、この観念によって、現象学と行動科学──『信頼』の参照文献欄に登場するものでいえば、たとえばハーバート・サイモン、そしてその着想を行政学において展開した行動科学的予算編成理論──とが結びつけられる。

Q104 分出のメカニズム

新しい機能領域が分出するなどの変化がどのように生じるかという点に関心があるのですが、ルーマンがそういう議論をしているところがあれば教えてください。
小宮
ご質問は、「機能領域の分出はどのようなメカニズムで起きるのか」ということでしょうか。そうだとすると、ルーマンの議論の中を探しても答えはないかもしれません。ルーマンは生じた事実として分化を描こうとはしているとは思いますが、「なぜそれが生じたのか」という原因に関する問いには答えていないように思います。
酒井
「なぜそれが生じたのか」という問いに関しては、「(原因ではなく)ループの特定でもって答えよ」という方針を採っているのではないかと思います。
 「進化」は、ルーマンにとって (も)「逸脱の増幅(による多様性の成立)」を意味する観念であり、したがって「進化を記述する」というのは「逸脱を増幅させるループ(を構成する物事の特定の配置)を探して(それらの配置をセットで)特定する」という作業を意味しています1。 あからさまに進化論的な名前をもつ 機能分化 に関する議論がそうなっているのは もちろんですが、しかし他にも多くの議論が そうなっているように思います2
 そして、目下扱っているテクスト『信頼』におけるループについては、すでに小宮さんに提示していただきました。つまりこの本も、例えば、
  • 諸個人によるシステム信頼によって機能分化が存立する←→機能分化のもとで「個人」が存立する
というループ(を構成する配置)を扱っているわけです。
 この点を押さえておくことはルーマンの読者の側にとっても極めて重要です。つまりこれは、ルーマンのテクストを読むときには──「原因の提示」ではなく──
  • 「増幅される差異・逸脱」-と-「差異を増幅するループを形成する諸契機の配置」
を切り離さずに見て取ることが必要だ、ということを意味するからです3
  1. もう少し詳しくいうと、ここにあるのは
    • 逸脱はいつでもどこでも無数に生じている。 [変異]
    • それらの ほとんどすべては それ以上の効果をもたらすことなく消えていくが、ごくごく少数の逸脱はそこに何かが引き続くことによって反復的に生じることがある。 [選択]
    • 逸脱を繰り返し生じさせ・増幅させるループが生じると、そのなかには長期的に存続し・効果をもたらすものがある。 [選択]
    • 長期的に存続するもの同士には調整が必要になることがある。 [安定化]
    というヴィジョンでしょう。
  2. この議論構成法は進化論から得たものですが、またサイバネティクスから得たものでもあるでしょう。
  3. ちなみにこの議論構成法が、小宮さんが Q101 への回答で提示した
    • 行為者同士の間にどのようにして社会秩序が存立するのか
    • 行為者(=人格を備えた自由な個人)なるものが存立するのは、どのような社会秩序のもとでなのか
    という問いの立て方に対応していることは、容易に見て取ることができるはずです。

Q105 行為の連鎖

「行為の連鎖」とか「行為がつながってまとまりが作られる」というのはどういうことなのでしょうか。たとえば「質問をして答えを貰った」とき、これは一つの行為なのでしょうか。それとも「質問をした」というのが一つの行為で、「質問をして答えを貰った」が行為の連鎖なのでしょうか。
あるいはまた「朝カル講座を申し込むために電話をしたら「~~にお金を振り込んでください」と言われた」という場合、その時点では「申込」は完了していません。では、お金を振り込んで初めて「申込」という「一つの行為」が成立するのでしょうか。
小宮
ルーマンはそのあたりについてあまり具体的な話をしてくれないので、以下は私自身の考えを述べますが。
 私が『行為』や『行為の連鎖』という言葉を用いるときには、「質問をする」「答える」はそれぞれ一つの行為であり、「質問に対して答える」を「行為がつながる」という意味で使っています。
 ただ、或る発話が「質問である」ことができるのは、それが答えを要求するものとして組み立てられていると理解できる限りにおいてです。つまり、発話を〈質問 - 答え〉という関係に則って扱う(=発話したり・聞いたりする)ことが必要なのです。
 このように、「〈質問 - 答え〉構造」と「個々の発話」が相互的に可能にしあう関係にある、ということを踏まえておくことは、ルーマンを読むときにも重要だと思います。
酒井
「行為」は、特に20世紀アメリカの社会学では基礎語であり、ルーマンもずっとそのように使ってきた言葉です。 ところがルーマンは「コミュニケーション」という術語も基本語として使うわけです。では両者の関係はどうなっているのか。
 実は、この問題にルーマンが決着を付けたのは、なんと 1980年代に入ってからでした。つまりかなり遅くまで決め兼ねていた(と、のちにインタビューの中で語っている)のです。 では決着は どう付いたのか。
 1984年の『一般理論要綱』の中で提示されているのは、ごく簡単に述べれば次のようなヴィジョンです:
  • 社会システムの構成要素は「コミュニケーション」であり、「行為」はコミュニケーションが抽象(=分節化、縮減)されたものである。
    • 一方で、この抽象は──学的観察者ではなく──コミュニケーションの参加者たち自身が、〈意図・目的・動機・理由・原因 といったものを、動詞の主語 や 行為者カテゴリー といったものに帰属する〉という道具立てを使って 相互に行い合っていること(=帰属による行為の構成)であり、
    • 他方で、そうした 要所要所での行為への抽象によってコミュニケーションは「流れる」。
 ルーマンの議論の中に「行為への分節化」に関する議論が極めて乏しい──困惑するほど乏しい──理由も、ここにあるのだと思います。つまり、その分節化は理論家の仕事ではない(=コミュニケーション参加者たち自身の仕事である)から──したがってルーマンは、それが自分の仕事だとは考えていないから──なのでしょう。
小宮
いま「行為というものは、コミュニケーション参加者たち自身がおこなっている抽象なんだ」というお話がありましたが、「では、参加者たちは、実際にはどのように・どのような分節化を行っているのだろうか」という問いを立てて研究しようとすると、エスノメソドロジーという研究になります。ルーマンに関心を持たれた方は、エスノメソドロジーにも関心をもっていただければと思います。
酒井
「そこでエスノメソドロジーですよ」ということですね。

質問用紙から

Q106 人格信頼とシステム信頼

人格信頼とシステム信頼はどう区別できますか。後者には前者も多分に含まれるように思われます。
酒井
この点については第2講義か第3講義で触れましょう。

Q107 山岸俊男の「安心」

「馴れ親しみ」と山岸の「安心」が似ているように思った。
酒井
実際たしかに、そのように述べている文献もいくつかあります。しかし、現在、私と高 史明さんとで準備している論文の中では、ルーマンの〈馴れ親しみ〉 と 山岸の〈安心〉は異なる という結論を出しました。
 山岸が謂う「安心 (assurance)」は、
  • 監視やサンクションの可能性により あらかじめ社会的複雑性が低減された状況で生じる
という特徴によって「信頼 (trust)」とは区別されるもののことです1。 ルーマンの議論と明示的に対比して記せば、
  • ルーマンの謂う〈馴れ親しみ・親密性〉が、「繰り返しによる馴染み」によって成立するものであるのに対し、
  • 山岸の謂う〈安心〉は、「監視やサンクション」によって成立するものである
ということなわけですから、まず なにしろその点で両者が異なることについては、これ以上の敷衍は要らないでしょう2

なお、ルーマンと山岸の比較に関しては、指摘しておかねばならないことが少なくとも二つあります。
  1. 山岸『信頼の構造:こころと社会の進化ゲーム』は 冒頭で『信頼』に言及していますが、その内容はおかしなものです3。山岸さんは、ルーマンが『信頼』の冒頭で、信頼という言葉は 世の中では一般に 自然的秩序にも社会的秩序にも使われている と話を始めているところをつかまえて、対人的なもののみに限定して「信頼」概念を使う自分とはスタンスが違う、と主張しているのですが、しかし その後の議論を読めば、ルーマンが「信頼」の語のもとで議論しているのが もっぱら社会的な秩序に関する事柄であることは誤解なく分かるはずでした。目を通してさえいれば、ですが。
  2. そしてさらに
    • (第二回講義で紹介するように)ルーマンは『信頼』を書いた際にモートン・ドイチェによる実験的な社会心理学の知見に依拠していた
    • 山岸前掲書には ドイチェの研究と被る内容が 相当程度含まれている
    • 山岸前掲書は ドイチェをはじめとする社会心理学の古典的研究には なぜか触れていない(したがって、それらに対する評価がわからない)
    という事情が話をややこしくしています。
というわけで、ルーマン - 山岸 の関係は、山岸さん本人が考えているよりは はるかにずっと複雑なのです4
  1. 山岸の用語法が、「養育者の無償の愛情によって乳幼児期に生じる感覚」といった社会心理学の伝統的な(エリクソン風の3それと まったく異なっている点に注意が必要です。こちらは 、ルーマンの議論のなかでは、「身近な・知っているひとに対する、繰り返しの接触・愛着にもとづく信頼(の一部)に相当するでしょう (『信頼』の参照文献にエリクソンは登場しないのですが、言葉使いからいっても、ここではおそらくエリクソンを念頭に置いて議論を進めているのではないかと想像されるところです。この点に関連して、ふたたび前掲 丸山徳次(2013)「「信頼」への問いの方向性」をも参照のこと)
  2. そのうえで。両者の関係について考えてみたいなら、たとえば
    • 親密性の領域のメンテナンスはどのようになされているのだろうか
    • そこでは〈日々の繰り返し〉を成立させるために監視やサンクションが 利用されることはあるだろうか
    といった さらなる問いを立ててみることはできるでしょうが。
  3. 山岸さんは、『信頼』を最初の数ページしか読まなかったのだろう、と私は想像しています。
  4. エリクソンの術語では「基本的信頼感」(ただしエリクソンの場合には これは乳児期に対して用いられる術語ですが)。 この術語が登場するエリクソンの発達段階論を含むベストセラー『幼児期と社会』 (1) (2) が刊行されたのは 1950年(第二版は1963年)です。
  5. いくつかの論点については、下記論文内の高さん担当パートで取り上げました:
    • 酒井泰斗+高 史明(2018)「行動科学とその余波──ニクラス・ルーマンの信頼論(仮)」 in 小山 虎編『信頼研究の学際化(仮)』(勁草書房、いつかは刊行されるはずです)

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第二回講義(2017.11.15)

講義概要

  1. 前回講義と質疑の回顧
  2. 著作『信頼』の欠点
    1. ストーリーを構成するパーツが欠けている
    2. 類型化に不備がある
    3. 歴史的記述がない
  3. 欠点補正後の改定案
    1. オーソドックスな社会学的テーマ
    2. 建前の社会学
  1. 残りの時間で何を取り上げるか
    1. たとえばどんなものが「信頼」に関わる現象だと言われているのか
    2. 特に「他人の表現にもとづく他人への信頼」について
    3. なぜ実存主義が問題になるのか
    4. 時間現象の社会学: リスク、危険…
  2. 本日の講義
    • 例:『予算編成の政治学』

[酒井講義 一部抜粋]
2. 著作『信頼』の欠点

a. ストーリーを構成するパーツが欠けている

現行の『信頼』に書かれているのは次のようなこと。

現行の著作にも、「個々人のあいで信頼が生じやすくなるためには、個々人の環境世界が非人格的秩序によって構造化されている必要がある」というところまでは述べられている(第5章)。しかし本書をルーマンが執筆する際に(も)念頭に置いていただろう、これ↑をサイドストーリーとして含むもっと大きな構図は提示されていない。それを書き込むと次のとおり(欠けているパーツは c):
c が描かれているのは──ルーマンが初めて自分自身の「機能分化論」の骨子を提出した──『制度としての基本権』。これを踏まえて『信頼』にも記すべきだっただろうストーリーのパーツを省略せずに書けば次のようになるはずである(文中のabcは上図に対応している):
しかし、現行の『信頼』からこのストーリーを読み取ることは難しい。

b. 類型化に不備がある

本書は、多くの論者によって、下図のように描ける類型を提示したものとして読まれてきた。これによると『信頼』という著作は、馴れ親しみの中から(何らかの事情によって)「人格への信頼」が生じるが、近代社会ではさらに、それに加えて「システムへの信頼」も必要になる、と述べていることになる(たしかに、そのように読める箇所は複数ある)。
そしてたとえば本書の最終段落(第12章)の箇所も、上図を明細化したものとして、下右図のように描けるようにも読めはする。(改行、付番は引用者による。以下同様)
【引用文1】
歴史的にも内容的にも、信頼はさまざまな形態をとる。原始的な社会秩序と文明化された社会秩序では、信頼は異なった様式をもつ。信頼は、 (第12章「信頼と不信の合理性」訳書 175-176頁)
しかし、この解釈には二つの問題がある。 たとえば、第3章「馴れ親しみと信頼」の最後で、著作構成と課題を予告した箇所はその一つである。この箇所は、右下図のようにしか描けないだろう。
【引用文2】
以下の章について予告しておくと、かかる[信頼がより大きな複雑性を処理しうる様式(=システム信頼)に向かって変化していく、という]推測は、以下の順序で素描される。
この解釈のよい点は、 というところにある。
第3章最終段落 第12章最終段落
しかし、残念ながら、話はここで終わらない。
本書に頻出する〈人格的信頼/システム信頼〉なる対照ペアは、「人格システム」なる術語が登場した時点で、もはやほとんど使えなくなっている。何しろ図中に、二箇所ずつ「システム」と「人格」が出てくるのだから(0)、この区別でもって、下図の 1~4 のどれを指示しているのかが分からないからである。
ということで、ここから先に進もうとすれば、我々は一旦は「システム」という語を捨てたうえで、ルーマンが類型を構築した手続きを確かめてみるしかない。

質疑応答

Q201 ルーマンと人類学

という紹介がありました。では、これを論じる際に、ルーマンは どんな知見を参照しているのでしょうか。人類学でしょうか。
そのとおりです。ルーマンの著作の脚注には おびただしい数の人類学分野の文献が登場しますが、特にそれが印象的な著作として次の二つを挙げておきましょう。 どちらも基本的にヨーロッパのことしか論じていませんが、しかしそれ(実定法やキリスト教)を人類学知見の方から眺めるかたちの著作になっています。 またこの点については、第一回講義の補遺として記した 「『信頼』と現象学」も参照してください。なお三つ注記を付け加えておくと。
  1. 私がすぐに思いつくものを挙げると、 『ハンス・ケルゼン著作集 V』 『ハンス・ケルゼン著作集 VI』
  2. これは、具体的には、主として 1920年代に刊行されたマリノフスキーとラドクリフ=ブラウンの仕事のインパクトによるものだろうと思います。
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Q202 古代文明以前

結局、「古代文明以前」はこの著作にどう関係するのか
ルーマンが という人類史的な時代区分のもとで著作を書いている──そして本書『信頼』では、そのうちの〈古代文明以前|最近〉という区分しか登場しない──ことを述べたのは、ルーマンが どれくらいウルトラに大雑把な話をしているのか、イメージしていただきたかったからです。この大雑把さに見合うような読み方をしないと、ルーマンとはうまく付き合えません。

※グラフはイメージです。

紀元前1万年から西暦2000年までの世界人口。出典:Wikipedia「世界人口」

Q203 個人と社会

という紹介がありました。では、「社会よりの著作」というのにはどんなものがあるでのでしょうか。またほかの「個人よりの著作」にはどんなものがありますか。
  1. 別言すると、この当時まだ展開途上だった「象徴的に一般化したコミュニケーション・メディアの理論」を、展開途上のまま載せてしまっている、という印象です。特に7章の「政治システムと権力」について書いた部分は本当にラフなスケッチで、こんなものを売り物に載せるのは如何なものかと思います。

Q204 デュルケームの道徳に代わるもの

という紹介がありました。それではルーマンにとって、デュルケームの道徳の位置にあるものは、なんでしょうか。あるいは、そういうものはないのでしょうか。

Q205 観察形式としての「人格」とは

「人格システム」という術語は1980年代前半に消え、それ以後「人格」は観察形式として位置づけられるようになった、というお話がありました。この「観察形式としての人格」というのはどういうものなのでしょうか。
  1. 「文化システム」はタルコット・パーソンズの術語であり、ルーマンの論文にも 1970年代前半まではたまに登場していました。しかし1980年代前半における この理論的決定以降は、その位置には「ゼマンティク」という術語が置かれることになりました。他方、「人格システム」のあった位置には「心的システム」が置かれることになりました。
  2. 「人格性(パーソナリティ)」の方は(ルーマン理論の術語というよりは一般に流布した)術語として使われているように読めますが。

Q206 安楽椅子社会学とは

「ルーマンはアームチェア社会学者だ」という発言がありましたが、どういう意味でしょうか。
  1. ただし、ルーマンの研究目的は「社会理論の構築」なので、研究領域は「社会理論」・研究対象は「全体社会」だと言うべきでしょうが。そして、「社会理論」という研究領域や「全体社会」という研究対象が、これはこれで〈特定の・限定的な〉ローカルなものであることを押さえておくことも、ルーマン理論を理解するためには重要なポイントではあります。
    ちなみに、再三掲げているこの図は、その社会理論の構築という仕事のローカルな性格をルーマンがよく弁えていたことを示しているものであり、その意味でも重要なのでした。
    ルーマンにおける〈社会学/社会理論〉

Q207 ルーマンとゴフマン

というお話がありました。本書を理解するために読んでおくべきゴフマンの著作があれば教えてください。
  1. この事情について知るための参考書は数多くありますが、それらに代えてここでは、著名な哲学者の お勉強ノートを挙げておきましょう。 ちなみにこの著者は「役柄」を基礎術語として使用しており、このお勉強ノートもそのための準備作業として作成されたものです。成果のほうはこちら: この主著を準備するにあたり著者はもう一冊 社会学お勉強ノートを公刊しています。こちらはアルフレート・シュッツに関するもの:
  2. ゴフマン研究をめぐる寒い状況について書きましたが、薄井 明さんの一連の論文は、これまでのゴフマン像を(ついでにゴフマン研究状況も)書き換えてしまうかもしれません。「社会学史」に属する話題も話題も多いので、ゴフマンの仕事自体に対する強い関心のある方にじゃないと少しお勧めしにくいですが: わたしとしては、この一連の論文が ぜひとも どこかの出版社から単著刊行されることを期待しお祈りしております。

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第三回講義(2017.12.20)

講義概要

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質疑応答.

Q301

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