0. 本発表の目的:2つの質問
- 本発表の目的は、Winch の Idea of a Social Science and Its Relation to Philosophy (1958)(以下Idea)に関する2つの質問に、哲学史から一定の回答を与えようと試みることである:
- なぜ哲学者の Winch が社会学を問題にし、それを哲学として扱っているのか?
- なぜ「概念分析(conceptual analysis)」を社会学=哲学の方法として提示しているのか?
1. WinchのIdeaとその時代:なぜ社会学なのか?
- Winchは1949年にOxfordで哲学を専攻し、その後同BPhilを修了。1951年に、University of WalesのUniversity College, Swanseaの講師となり、同所属のRush Rhees(Wittgensteinの弟子・友人で後の文献管理人。Rheesの死後、Winchはこの身分を引き継ぐ)と親交を深めるとともに、Wittgensteinの哲学に傾倒する。
- WinchがIdeaの中で言及する20世紀の哲学者は基本的に、Oxford在籍者とWittgensteinとその弟子筋のCambridge関係者。例外は、M. Cranston (Oxford出身、London School of Economics所属)とP. Laslett(Cambridge出身・所属の政治哲学者だが、Wittgensteinと無関係)、A. G. N. Flew(Cambridge出身でOxfordを含む様々な場所に所属。Ryleの影響を強く受け、日常言語学派の論文集を編纂する)だけ。
- Oxford在籍者:A. J. Ayer, R. G. Collingwood, G. Ryle, T. D. Weldon(A. G. N. Flewもここに含めても良い。故人のColligwood以外全員日常言語学派)
- Cambridge関係者:P. Geach, N. Malcolm, R. Rhees, L. Wittgenstein
- WinchのOxford在籍からIdea執筆の時期は、日常言語学派の勃興期から最盛期であり、Ryleの影響を受けたと言われている。彼の最初の論文(Winch 1953)は、Ryle (1949)を参照している。次節で述べるように、「概念分析(conceptual analysis)」という用語は、Ryle、Austinの創始した日常言語学派の哲学の方法を表す用語であった。しかし、この50年代末は日常言語学派の終わりの始まりの時期である。Idea刊行の翌年には、日常言語学派を含む言語的哲学 (linguistic philosophy)を過激に攻撃し、大きな社会的影響力を持つとともに、その衰退の一因になったとされる、Gellner (1959/2005)が刊行される1。
- 同時に、Idea刊行の時期は、イギリスで政治哲学が衰退していた時期にもあたる。Winchの言及しているLaslett (1956b)は、17世紀初頭(Hobbes)から20世紀初め(Bosanquet)まで、イギリスは政治哲学の中心地であったが、「当座の間、いずれにせよ、政治哲学は死んだ」(vii)という状況を受け、イギリスの論者を中心に編集された、政治哲学復興・刷新のための論集の第1巻(2016年第9巻出版、継続中)。Laslettは序文で、政治哲学の苦境の理由として、(a) 第二次世界大戦の暴力(広島、ベルゼン)に対する無力さと(b) 社会学がその座を奪ったことを挙げつつ[Laslett引用]、最終的に政治哲学を殺したのは、(c) 論理実証主義が言語理解可能性の厳密な基準を設け、形而上学的言明とともに、倫理的言明を無意味として哲学の対象から除外したことであるとする。ただし、言語分析の方法自体を政治哲学に適用することは除外されておらず、むしろそれを政治哲学刷新のために用いることがLaslett (1956b)の目的の1つ2。
- (c)に関して、Laslettは論理実証主義者として、なぜかRussell, Wittgenstein, Ayer, Ryleを挙げている。筆者の見立てでは、これには2つの理由がある。第1に、彼の念頭にあったのは、論理実証主義の検証主義的な意味の理論を使って政治哲学の言説を無意味か、経験的言明に過ぎないと主張したT. D. Weldonであり、彼の所属するOxford日常言語学派、論理実証主義を包摂する言語的哲学が提唱した形而上学、政治哲学の哲学からの追放。1962年刊行の同論集の第2巻の序文では、「1956年の序文は、編者の1人(Laslettと思われる:筆者注)が、「Weldonismの全盛期」と呼ぶ時代の頂点に書かれた。この時期には、政治学について理論化するということを巡って大いに動揺が走り、その未来についての懐疑は、Weldon氏と言語の哲学的分析家たちにとって最も重要な場所であるOxford以外の多くの場所でも表明された。」(Laslett & Runciman 1962: vii)と述べている。
- 第2に、Oxfordの日常言語学派隆盛が、政治哲学の冷遇につながっているという認識は、当時Laslett以外の人にも共有されていた。1955年にBBC主催で開催、放映された「形而上学の本性」と題された会議(書籍化され、Pears (1957)として刊行された)では、同様の認識が、A. Quintonと記録されている人物から発せられている(ibid.: 161-2)。このQuintonとされる人物は続けて、政治、歴史、法を含む社会科学の方法論的、概念的問題に取り組むことで、人間社会を主題とする哲学を再生する可能性に言及する[Pears引用]。
- 興味深いことに、Gellner (1959/2005: 230)は、この人物がQuintonではなく、P. GardinerかWinchであるかもしれないと推測している。筆者の読むところでも、この発言は、「現実や人間的な事柄を哲学が無視することへの批判的態度」、「方法論的探求、概念的探求による社会学の哲学の再生への肯定的態度」、「Collingwoodの批判的歴史学への賛意」とIdeaと重複している考えが多く、Winchの発言である可能性はかなり高い。
(1)の質問への回答:
社会科学の哲学のイギリスでの衰退は、実証的社会学の台頭と、Russell, Moore, Wittgenstein, 論理実証主義、日常言語学派による言語的哲学にあるという認識が当時のイギリス哲学界には存在した。これに反対し、政治哲学を復興させようという運動が50年台中期に勃興する。Winchは、(a) 社会学を哲学として刷新することでこの上下関係を反転させ、同時に(b) 哲学が「人間的」、「現実的」事柄を扱うこともできると示すことで、この運動に加わり、社会科学の哲学を復興させようとした3。
- Gellnerは哲学者として出発したが、社会人類学で著名な存在となる。Winchとは生涯で何度も論争することになり、その最初の批判としてIdeaの書評も執筆している。Gellner (1959/2005)の日常言語学派批判の1つは、言語の使用を調査する研究は、哲学ではなく、実証的調査を行う社会学であるべきであるというものであった。WinchのIdeaは、社会学もアプリオリな哲学であると主張する点で、この批判への返答にも見える(Gellnerの批判の一部は、1957年に、BCのラジオ放送Third ProgrammeでD. Pears、G. Warnockを討論者として話され、同年に雑誌Listenerにも収録されており、Winchが意識していた可能性がある)。
- イギリス政治哲学におけるPhilosophy, Politics and Societyの重要性は、Wolf (2013)を参照のこと。
- なお、WinchはWinch (1956)ですでに、Paretoの批判や、Collngwoodへの賛意を示しつつ社会学についてIdeaと同じアイデアを展開しているが、それと哲学を関連付けることはしていない。
2. 概念分析と言語分析:なぜ概念分析なのか?
- まず、「概念分析」という名称は50年台後半に、日常言語学派の方法を指すために生まれた。この名称は、Flewが1956年に編纂した日常言語学派の論集(Flew 1956)『Essays in Conceptual Analysis』で用いられ、Grice (1958/1989)でも日常言語学派の方法を指すために用いられる。それ以前には、言語的哲学の方法は、「論理分析(logical analysis)」、「言語分析(linguistic analysis)」、あるいは単に「分析」と呼ばれる。
- Winch (1955)は、すでにIdeaに見られるのとほぼ同じ形で、MooreとWittgenstein(とRussell)の哲学方法を記述しているが、それを「言語分析」と呼んでいる。この名称の変化は、単に流行りに従ったに過ぎないのかもしれない。しかし、同時にIdeaは日常言語学派批判の書としても読むことができる。Winchは下働きとしての哲学理解(the underlabourer conception of philosophy)を批判し、その現代版の支持者として、Ayer, Flew, Ryle, WeldonというOxford日常言語学派の哲学者と、Laslettを挙げる。
- Winchの考える下働きとしての哲学理解は、以下の特徴を持つ:
- (a) 哲学の無主題性:哲学は主題ではなく、概念の解明という方法によってのみ、他の諸科学から区別される⇒形而上学、認識論といった自律的な学問は存在しない。
- (b) 哲学の認識論的非重要性:哲学は現実、世界についての知識、理解を増大させず、諸科学がそれを行うことを妨げるものを除外する役割を持つのみ⇒哲学の仕事は、概念的混乱の解消にあるだけに過ぎず、哲学の方法論的整備は諸学の概念の解明のためだけに重要である。
- (c) 世界と言語の二分法:世界と言語は探求対象として明確に区別される⇒世界は経験的探求の対象であり、言語は概念的探求の対象である。
- Winchのこの日常言語学派批判は、相当に奇妙。そもそも、(a)、(b)、(c)に含まれる論点の多くはWittgensteinのTractatusに由来し、後期Wittgensteinにも受け継がれている。Wittgensteinの影響下にある、論理実証主義や日常言語学派以外のイギリスの言語的哲学に等しく当てはまる見解。
- また、Mooreを例にした、哲学は現実、外在性といった概念を解明するというWinchの理解は、(b)を部分的に肯定しており、さらに「概念の解明は大部分、言語的混乱の解消である」(Idea: 11)と述べている。Winchの主要な批判点は(c)にあり、Rheesの当時未刊行の論文を参考にしつつ、現実の理解可能性という言語と現実の関係を探求する点で、哲学は現実自体も探求対象にすることが強調される[Rhees引用]4。
- Winchが批判対象として挙げている著作を見ても、Ryle (1954)はそもそも、哲学が諸科学に対する二次的重要性しか持たないという見解をとっておらず(formal logicに比べて、informal logicを探求する哲学が劣っているということをむしろ否定している)、(b)にコミットしていない。しかし、Ryle (1932)以来、一貫して従来の形而上学に批判的であり、従来の形而上学が何か現実への含意を持つことを否定すると考えている点で、部分的に(a)、(c)にはコミットしている(上述のWinchかもしれないQuintonの発言も、対話者の一人はRyleである)[Ryle引用1]。
- Winchは下働きとしての哲学理解を、参考文献に挙げていないが、Ayer (1947)を参照しつつ記述しており、Ayerの見解はある程度(a)、(b)を肯定するものである。しかし、彼は言語的哲学者の中では例外的に、明示的に哲学が現実にも関わることを認めていた哲学者であり、Winchが(a)の例として引用するAyer (1956)の箇所の直後にこの点の肯定が述べられる[Ayer引用]5。
- 最も理解困難なのがWinchのLaslett批判。前節で述べたように、Laslettは言語的哲学の倫理的言説批判が政治哲学の衰退を招いたと考えつつも、言語的哲学の方法を用いてそれを復興することを意図していた。つまり、(a)、(b)、(c)に批判的である点で、Winchと軌を一にしている。WinchのLaslett批判は、Leslettが認識論を軽視しているという点にのみある6。しかし、Laslett (1956a)を読んでも、そのような箇所はなく、むしろ言語的哲学が「認識論的探求に正確さを与えた」(xiv)と述べている。
- Winchの批判の最大の対象はWeldonであり、その主要批判点は(c)。Weldonは検証主義的な意味の理論を用いて政治的語彙を分析することで、伝統的政治哲学の問題が、何がその正解の証拠となるのかが特定されないために回答不可能か、分析の結果特定されれば、単に経験的な問題であることが明らかになると論じる。後者の場合、その問題に取り組むのに適切な人は、哲学者ではないと主張した(Weldon 1955: 192)。
- Winchは、(c)に反対し、概念的探求は言語だけを対象とするものではなく、世界を対象とするものであることを主張する。そして、概念分析はこの意味で、形而上学的含意を持つ。さらに、概念分析が、こうした含意を持つという説明自体は、言語と世界の関係についての解明であり、認識論的意義を持っている。
- 「言語に属すとはどのようなことか」を哲学は探求するというRheesの言葉を、Winchは「世界に属すとはどのようなことか」と置き換えている(Idea: 15)。
- Dinneen (1962: fn. 7, 118)は、Ayer (1932)と他の文献を引きつつ、Ayerについて、「Ayerはほとんどの分析家とこの点で異なっている。というのも、哲学は命題と現実の関係について語ることを許されるべきだと、彼は感じているからである」と述べている。
- Winchは、「認識論」という言葉を、(a) 世界と言語、心の関係の解明と (b) 学問論 という異なる意味で使用している。ある学問が(a)の認識論的含意を持つと論じること自体が、(b)の意味での認識論となるため、両者を明確に区別することは学問論の文脈では難しくなる。Laslettの批判に現れる「認識論」は、このように(a)、(b)の合わさった意味であると思われる。
Winchの考える概念分析の形而上学的・認識論的意義:
- Winchは、言語分析、概念分析の方法自体を批判しているわけではない。その形而上学的、認識論的含意についての見解を批判している。Winch (1955)は言語分析についての解説論文だが、Moore, Russellに触れつつ、前期、後期Wittgensteinを連続的視点で捉えるという独自の視点をとっている7。そして、「現代哲学の諸方法はそれが生じた文脈とは独立に理解できず、その文脈は認識論的本性を持っている」と述べられる。
- この論文の主張は以下の4点:
- Mooreの言語分析は、言明の真偽ではなく、言明の意味に関わるものである。ある概念が使用される標準的条件を明らかにするのであり、日常的言明を否定する者は、その使用を否定している。Mooreは言語分析の正しさをRussellに即して考えている。
- Russellの論理分析は、言明の隠された論理形式を明らかにする。したがって、正しい論理分析は、その言明に対応する現実の構造を明らかにするものである。
- 前期Wittgensteinは、Russellの論理分析の考えを発展させたが、文は論理形式を共有する現実の構造を写像するという言語の機能(論理)そのものは言語が示すことができるだけで、語りえないとし、それを語りうるとする立場を形而上学と呼んで忌避した。同時にTractatusの立場は、語り得ないものを語るというパラドクスを含むものとなった。
- 後期Wittgensteinの立場は、写像理論を放棄し、このパラドクスを回避する方法を提供する。言語使用の際に従われている規則と言語が生の中で果たす機能を記述することにより、言語の機能は語ることが可能。様々な生に対応した現実が存在する。形而上学は忌避されるが、それは唯一の実在に対応する特権的な言語使用が存在しないため。
- このような理由で、WinchはRussell, Moore, WittgensteinというCambridge関係者の言語分析の形而上学的・認識論的含意を強調する。Ideaの「概念分析」についての立場は、Oxford言語分析=日常言語学派の「概念分析」に、これらのCambridge的言語分析の意義を接合しようとした試みとしても理解できる。
- 実際に、Cambridge派、特にRussellの言語分析から形而上学的含意を取り去ったものとして、当時のOxford派言語分析は1950年台中頃に理解されていた8。Oxford出身のJ. O. Urmsonが在籍中に書いたUrmson (1956)はまさにこの観点から書かれた言語分析についての本であり、Russellの言語分析が還元主義的形而上学にコミットしていたことを批判し、Oxfordを中心とする新世代の言語分析が形而上学的含意と手を切ったことを賞賛している(後者の点を明確にした人物として、Ayer (1937), Ryle (1932)が挙げられている)9。
(2)の質問への回答:
日常言語学派の方法である概念分析は、従来の言語分析とその形而上学的含意によって区別されると認識されていた。これは、方法そのものの相違というより、その意味付けの相違(実際、Urmson (1956)の挙げるRyle (1932)はRussellの論理形式の分析方法を踏襲している)。ただし、日常言語学派の方法そのものは、論理形式の分析から、様々な言語行為の規則の分析へと移行し、後期Wittgensteinと類似することになる。Winchはこのような認識に対し、日常言語学派の方法が、形而上学的・認識論的含意を持つことを、後期Wittgensteinの自分の理解に即して示そうとした。
- Winchの語るところによれば、「the Tractatus Logico-Philosophicus (1922)とthe Philosophical Investigations (1953) を勉強したことがなければ、それが哲学に重要な限りで、言語分析(linguistic analysis)の要点とはどのようなものなのか、少しでも理解したいと誰も望むことはできない」(Winch 1955: 24)。Winchは続けて、A. J. Ayer (1936) Language, Truth and Logicも賞賛するが、重要性ではWittgensteinの2冊とは比較できないと述べる。
- 日常言語学派という名称は当時は使われておらず、「Oxford Analysis」という名称が存在した。この名称は1930年台に台頭したRussell, Mooreと前期、中期Wittgensteinの影響を受けたCambridgeの言語的哲学者の名称である「Cambridge Analysis」と対比される。この立場は、言語的な分析でなく、言語を介した形而上学的分析の重要性を強調した。Cambridge Analysisについては、Chapman (2013, ch. 5)を参照のこと。
- Dinneen (1962)は、日常言語学派まで続く言語的哲学の発展と限界を、形而上学への関係から解説し、今後形而上学の復興が始まるのではないかと推測している。
3. 附論:Russell, Moore, Ryleの言語分析
Russell:
- Russellは「分析」を明瞭に定義したことがなく、生涯に渡り、様々な意味で用い、様々な対象に適用している(しかし、同時に彼は「総合」も重視する)。しかし最も代表的なものとして、彼の確定記述を含む文の分析(Russell 1905)は、哲学の分析の典型例とされる。(a) 「The present king of France is bald」という文は、the present king of France」を主語とする主語―述語という文法形式を持つが、Russellの分析によれば、それが表す命題は、(b)
∃x(Fx & (∀y(Fx→x=y)) & Bx)
であり、存在量化という論理形式を持つ10。
- Russell (1914/2009), (1918/1985)は、文の文法形式からは必ずしも明瞭でない論理形式を明瞭に表現することが哲学の仕事であると考えるようになる[Russell引用]。また、WittgensteinのTractatusの影響下で、適切に分析された文の表す命題は、論理形式をそれに対応する事実と共有すると考えるようになる(1918/1985: 197)。
- Russellはしたがって、論理形式の分析によって、複合文を構成する要素をより単純な要素に分解し、それが表すものが世界の構成要素であるという「論理的原子論」を採用する。この論理形式の分析の形而上学的含意がRussellの立場の特徴。Russellにとって、「言語とは不可避的に、哲学的分析が非言語的なものに取り組むための媒体」(Hager: 328)。
Moore:
- Mooreの分析は、Russellのそれとは異なる。Moore自身も、「分析」を様々な対象に適用するが、彼の自己理解は、分析は命題とその構成要素である概念の分析であるというもの。Mooreは、生涯を通じ、「概念」を性質と近い意味で使用している。例えば、Russellの記述の理論が、概念の分析であることを否定する。この根拠は明確ではないが、Mooreにとって概念は、性質を意味すると考えると理解できると、Baldwin (1990: 203)は述べている。また、Mooreは論理的原子論に影響をほとんど受けなかったとされる。
- Mooreはまた概念の分析が、文の真偽、その意味の分析であることを否定する。まず、文の意味を知ることなしに、その真理を知るということは可能であるため、意味の分析と真理の分析は同一視できない(英語を知らない場合でも、英語の文が真であると信頼できる人に告げられれば知ることができる)。さらに、Mooreは、文、表現の意味はその使用者には自明であると考えていた。しかし、そうした使用者も、その正しい分析(分析の結果明らかになる命題や概念)を知っているとは限らない。そのため、意味の分析と概念の分析は区別される。
- したがって、Mooreによれば分析は、「FであるとはGであることである」という性質間の必要十分関係を述べることである。しかし、この関係性の解明自体を哲学は目的としていない。Mooreは分析の目的は、哲学的問題の解消とみなす。そして、彼の語る哲学的問題は言語的な問題だけでなく、形而上学的な問題も含んでいる[Moore引用]。
Ryle:
- Ryleの分析についての考えは複雑だが、初期の頃はRussell流の論理形式の解明に近い考えを持っていた。しかし、存在論的な含意を論理形式の分析に与えていない。例えば、「悪魔は存在しない」という文は、非存在という形而上学的性質を悪魔に帰属しているような表層文法形式を持っているが、「どんなものも、それだけが悪魔であるようなものではない」という論理形式を持つのであり、大文字の実在や存在についての含意を持たない[Ryle引用1]。このような言語的混乱を解消することがRyleの言語分析の目的。ここでRyleは同時にMoore流の意味を知ることと、その正しい分析を知ることを区別し、分析を単なる意味の分析とはみなしていない。
- 後年Ryleは自分の目的を、知識を増加するのではなく、「我々がすでに所有している知識の論理的地理を修正する」(1949: 9)こととみなす。この時期のRyleの分析は、概念間の複雑な関係を総合的に描き出すことを目的とし、Russellの論理形式の分析に見られるような、言語的的(同時に、存在論的)還元という要素を持たなくなる[Ryle引用2]。
- 論理形式が文が表す命題が持つ形式なのか、文が文法形式に加えて持つ形式なのかは、Russell解釈でも見解が別れる点である。ここでは前者の解釈を採用している。
Ayer:
哲学的言明の証明は、数学的言明の証明のようなものではないし、そうであることがあるにしても極めて少ない。哲学の言明の証明は、いかなる記述的科学における言明の証明のようなものでもない。哲学的理論は観察によってテストされない。それは、特定の事実に対して中立なのである。これは、哲学者が事実に関心を持っていないと言っているのではない。彼らは、自分たちの問題に関連するあらゆる証拠がすでに利用可能であるという奇妙な立場にいる。物質世界が実在(real)なのか、対象は観察されないときも存在し続けるのか…などの哲学的問題を解決するのに必要なのは、さらなる科学的情報ではないのである。これらは実験によって決着しうる問題ではない。なぜなら、それらが答えられる方法自体が、実験の結果がどのように解釈されるべきかを決定するからである。(Ayer 1956: 7)
Laslett:
社会学者こそが[政治哲学の衰退]を招いたと言うだろう人々が存在する。そして、その社会学者の筆頭はマルクス主義者であり、社会学的記述と決定論が哲学的分析(philosophical analysis)の機能を果たすことになる体系を彼らは構築した。…学術的な社会学者たちは、やや似たインパクトを持っていた。ポストマルクス主義、ポストフロイト主義にはその傾向があるのだが、以下の2つの態度の間を揺れ動いているように見える。政治哲学は不可能であると宣言する態度と、彼らに支持を与えその結論を理解するような新しい政治哲学を切迫に懇願するという態度の間をである。この最初の態度は、最も極端な形で、Karl Mannheimの知識社会学に見ることができる。それによれば、政治活動と政治的思考が社会的に決定されていると示されるだけでなく、あらゆる知識とあらゆる思考もそうなのである。そのような相対主義は、何であれ「より高次」の新たな総合を目的とする、ドグマへの降伏、あるいは誰であれ「思想家」へのアピールになりうるだけだろうし、実際にそうなったのである。他方、社会科学者は自然科学者の子供であるか、あるいはそれになろうとして、自然科学との継続的なエディプス的関係を維持している。ときには、自分を完全に科学的態度と同化させ、Radcliffe-Brownと共に、自分たちの唯一の対象は社会の自然科学であると宣言する。そしたまた他のときには、自分たちの活動はその哲学と哲学者を持たなければならない人文学的活動であると、社会学者は主張するのである。今日の自然科学の巨大な名声を鑑みれば、この二義的態度は驚くことではない。また、哲学者や歴史学者といった人文学者自身が、どのように社会学者を扱うのか不確かであるはずなのも驚くことではない。社会学の身分とその結果の妥当性についての我が国での学術的議論は、まだ未解決なのである。このような状況下で、社会・政治哲学者は妨げられていると感じるはずであるのも全く自然である。社会・政治哲学者の分野は社会学者によって占領されたのである。彼らはこの分野で何か行っているようには見えないし、いずれにせよ、哲学的に興味深いことは何も行っていない。(Laslett 1956a: vii-viii)
Moore:
しかし、私が一度でも、分析が哲学の唯一の固有の仕事だと言った、考えた、あるいは示唆したということは正しくない。分析を実行することで、それは哲学固有の仕事の1つだと私は示唆したかもしれない。しかし、私はそれ以上のことは確かに示唆していない。そして、実際に、分析は決して私が試みた唯一のことではない。(Moore 1942: 675-6)
哲学の唯一の方法だと記述しうるものはないように私には思われる(Moore 1966: 191)
- また、Mooreは分析が、言語的明瞭さを求めたり、言語的混乱を解消するためのものであるということを否定する。このような言語についての解明は、概念の解明ではないという観点がここにも作用している。
ある語が何を意味するかという問いへの答えは、語の意味についてではない問いへの答えよりも少しでも興味深いということはありえない(ibid.: 165)
私の考えでは、日常生活や科学における混乱した論証や推論は一般に、語や表現が用いられる様々な意味を区別しないことから帰結する。そして、それはときにはこの意味で使用されると知ることは、同様にときには他の意味で使用されるということを知らない限り助けにならない。様々な意味を区別することは哲学者が行うことだが、ある一つの意味の分析と混合されるべきではない。(ibid.: 168)
Pears:
A. Q:近年ある種の無視を被ってきた学術的哲学のもう一つの伝統的分野は、政治の哲学的研究です。イギリスヘーゲル主義の最も広範に影響のあった側面が、この哲学のやり方の一般的な崩壊において、制圧されてしまったように見えるのです。私はそれが古い形態で復活するのを見たいということではありません。…政治制度の常識的記述と比較という姿で、政治の科学的探求は、歴史学の穏健で何も付け加えない付属物より多少多くのことをするようになりました。…この理由で、人間社会の科学的探求によって提起された哲学的な諸問題により多くの注意が向けられるのを見たいということなのです。この主題の複雑さ、観察者が観察するものの部分であるという事実、そして観察者の理論は参照している領域に影響を与えるという事実、人間が巻き込まれている諸状況の唯一だと想定される特殊性、実験的、計量的方法の人間社会への限定的な適用可能性などによって提起された諸問題です。人間社会という主題は、悪名をえてしまいましたが、思弁的ではない批判的な歴史哲学、つまり、歴史家の手続きについての哲学的研究への最近の関心は、人間的な事柄のを研究するためのより確立されていない方法への同様のアプローチを促進するかもしれません。…法や歴史、社会科学で生じる概念的あるいは方法論的性質の諸問題についてすでに行われた研究と、そう望むのですが、今後現れる研究は、我々の関心がトリビアル、学術的、あるいは現実味がないという批判に何らかの回答を与えるように、私には思われます。(Pears 1957: 161-2)
Rhees:
私は正しいと考えるが、哲学の諸問題は言語に根ざしていると言われてきた。しかし、この点は誤解されやすい。どのようにしてそれらが言語に根ざしているのかを理解するのは難しいのである。そして、我々がそれらの諸問題を理解しようと自分で試みるまで、この点を理解し始めることはできないのである。ほとんどの「言語的混乱」は哲学的問題ではない、そしてそれらの研究は哲学ではない。哲学の諸問題は、どのようにして言葉が使用されるのかについての問題だと言うことも正しくない。こう言うことは、哲学の諸問題を経験的な問題にしてしまう、正しい回答と誤った回答を持つ、辞書編集者の問題のように。いずれにせよ、時間とは何か理解できると望む人は、あるいは物質と精神の相違を理解できると望む人は、何らかの仕方で言葉が使用されるかどうかを気にしているのではない。時間が何であれ、それは言葉ではない。もちろん、哲学者は、とりわけ、どのように「時間」という言葉が使用されるのかを考察しようとする。しかし、それは元々の問題ではない。…「どのようにして言葉が使用されるのか」という問いは曖昧である、そしてもし我々はこの問いを様々な用法のリストを与えることで解決しようとするなら、我々は遠くへは行けないだろう。…どのようにして[特定の]表現が言語にそもそも属しているのかを理解することがより重要なのである。つまり、どのようにしてそれが何かを意味しているのかということを理解することが。…哲学的諸問題は、「言語的混乱」というより、むしろ言語についての混乱に根ざしているのである。…我々は哲学の諸問題を言語について反省し終わるまで理解できないのである。単にどのように言語が使用されるかだけではなく、言語を使用するとはどのようなことかも反省する必要がある。この点には、単一の回答は存在しない、そして我々は回答を例によって、あるいは類比によって(「言語ゲーム」)によって学ばなければならない。しかし、これらは言語の例である、そしてそれらが示すのは、様々な用法のリストからは我々が学ぶことができないであろう何かである。それらが実際に示すことは、言語に属すとはどのようなことかを我々が理解するのを助けるだろう。つまり、理解可能とはどのようなことかを理解するのを。(Rhees 1966: 133-4)
Russell:
ある文を理解するために、その形式の構成要素と特定例の両方についての知識を持つことが必要である。というのも、ある既知の対象がある既知の形式に従って関係しているということを文は告げるからである。したがって、ほとんどの人には明確ではないにせよ、論理形式についてのある種の知識が言説のあらゆる理解には含まれているのである。哲学的論理学の仕事は、この知識を具体的な表面から引き出し、それを明確かつ純粋に表現することである。(Russell 1914/2009, 35)
- ここでRussellが語る「ある種の知識」がどのようなものかは明らかにされない。後年、Russellはそれを行動主義的に考えるようになったように思われる。
語を理解することは、その辞書的定義を知ることや、それが適用される対象を特定できることで成り立つのではない。後者のような理解は辞書編纂者や学習者が持つものかもしれないが、日常生活の中で普通の人々が持つものではない。言語理解はもっと、クリケットを理解するようなものである。それは自分が習得し、他者が正しく想定する、習慣の問題である。語が意味を持つと言うことは、語を正しく使用する人が、その意味が何かを今まで考え抜いたことがあると言うことではない。語の使用が先にあるのであり、その意味は観察と分析によって、使用から抽出されるべきなのである。(Russell 1921: 197)
Ryle:
引用1:
もし私がこの点で正しいとすれば、これらの形而上学的哲学者は、自分たちが何か重要なことを語っているかのように、「現実」、「存在」を彼らの命題の主語にし、あるいは「現実的」を述語にしてしまう最大の罪人であるという、私が受け入れる結論が導かれる。なぜなら、彼らが語ることは、良くても一貫して誤解を招くもの(systematically misleading)であり、それは哲学者の命題がそうあるべきではないものの1つである。そして、悪ければ、彼らが語ることは無意味である。(Ryle 1932: 48)
引用2:
…哲学的探求とは概念的探求である。概念とは、輝かしい孤立の中で結晶化するものではない。それらは一体的に語られ、一体的に思考されるものの弁別可能な特徴であるが、分離可能な原子ではないのである。それらは適格な文の統一的な意味の分離可能な部分ではなく、それへの区別可能な貢献である。概念を検討することは、我々が実際に語ることの活力(living force)を検討することである。それは、概念を引退状態のときに検討することではなく、共同作業を行っているときに検討することである。(Ryle 1962: 192)
Urmson:
したがって、しばらくの間、Russellは、自分の論理分析を基礎的な現実(basic realities)へと至ることを可能とする形而上学的に強力な武器であると考えることができたが、実際には、それは彼が正しくも基礎的な現実と認めることをためらったものをそうだと認めることに対する特定の論理的アーギュメントの誤りを理解することを可能にするに過ぎない。…したがって、Russellのこの問題へのオリジナルな寄与は、もし原子論が支持されうるとすれば必要となる、2種類の分析を明確にするよりもむしろ曖昧にしてしまった。我々の言明の形式を改良する論理的なタイプの分析と、何らかの形で、少なくとも基礎的事実へと遡行することを始め、それらと他の事実を区別することを可能にするより形而上学的なタイプの分析である。(Urmson 1956: 31)
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