評者注
本書と佐藤俊樹(2017)「データを計量する 社会を推論する」『社会学評論』, 68(3)では、記号の表記が間違えていると思われる(この間違いは第1回読書会の食事会での立ち話で小田さんによって指摘された)。P(E│C)は正しくはP(E│C,U)であり、P(E│¬C)は正しくはP(E│¬C,U)だろう。話が混乱するかもしれないが、以下では本書に書いてある表記をそのまま用いた。
IV.1(pp.340-342) 文化科学論文第2節に対する佐藤流解釈
- (p.340) ウェーバーの文化科学論文第2節の1/4(森岡訳 p.200~)は、混乱や矛盾はない。
- (p.340) 文化科学論文第2節の1/4で述べられているのは、以下のこと。
- (a)原因候補C、結果E、共変量Uという3変数で因果関係を捉え、
- (b)「(CからEが生じる因果法則の強弱という形ではなく)共変量Uに関する期待値の形で、「cである/でない」によるEの出現確率の差を定式化している(→第十七回七節)」
- (pp.340-341) これは「第十六回で解説した統計的因果推論と同じ考え方だ。因果を反事実的に定義した確率的因果論を、経験的なデータにあてはめようとすれば、こう考えるのが自然なのである。」
- (p.341) Weberは、用語のうえでも原因候補と共変量とを区別している。
- (p.341) 原因候補を指す場合には「『諸条件』」»Bedingungen«」と引用符で囲んでおり、共変量を指す場合には引用符なしになっている。
- (pp.341-342) 森岡訳pp.202-203, p.206の引用
- (p.342)Weberは v・クリースの枠組を引き継いで、原因候補Cと共変量Uという組み合わせで考えていた。そのように読めば、「この部分はすっきり読める」。
IV.2(pp.342-345)平均因果効果の数式
- (p.342) 簡単のために、共変量が1つで、u1, u2,….と離散的な値をとるものとして説明。
- (pp.342-343) P(E│C)-P(E|¬C)はUの値によって変化する。
- (p.343) 平均因果効果はEU (P(E│C)-P(E│¬C))である。
- (pp343-342) 無作為割当の比較実験では、Uの値を観測しなくても、平均因果効果 EU(P(E│C)-P(E│¬C))を妥当に推定できる。
- (p.344) しかし、調査観察データでは無作為割当は行えないので、「全ての共変量が既知である」と仮定する。
- (p.344) v・クリースは、「全ての共変量が既知で、その値が全て特定できた状態を仮想的に想定する」ことで、「「促進的」原因と「阻害的」原因とを、実体化せずに」定義できることを示した。
- (p.344) 〔I:特定の原因候補の働き方をあらかじめ決めずに因果関係を同定する〕、〔II:無数の原因候補のなかで特定の因果を識別する〕という問題に対する解き方を、v・クリースは見出だした。そして、統計的因果推論はその具体的な求め方を提示した。
- (p.344) CやUは、原因候補にもなりうるし、共変量にもなりうる。つまり EC (P(E│C,Ui ) - P(E│C,¬Ui )) も求められる。
IV.3(pp.345-347) von Kries論文における期待値
- (p.345) 文化科学論文第2節の 1/4 は、「(b)因果の「適合的/偶然的」は、最終的には確率の差の期待値の形で考えるべきだ、と述べている」。
- (p.346) 文化科学論文の訳書p.208の注45では、von Kriesの『確率計算の諸原理』の原著p.108が参照されているが、そこでは期待値演算について解説されている。「期待値演算のことをv・クリースは「総-可能性 Total-Möglichkeit」と呼んで」いて、それを
α
と表している。
- (p.346)「また、この段落は原著では一〇九頁までつづくが、そこでは、特定の確率で0か1をとる「観測値の平均 Durchschnittsresultat」は(多数回観察できた場合)「その期待される偏差 die zu erwartende Dispersion」が、すなわち現代の術語系でいえば、その分散の期待値がほぼ0になることを解説している(→第七回七節、第一〇回注3)。」
IV.4(pp.347-350)von Kriesにおける平均因果効果
- (pp.347-348)「客観的可能性の概念」論文からの2つの引用
- (p.348) 1つ目の引用に対する解釈:「普遍的条件」が原因候補C、「諸特定」が共変量Uであり、「ある特定の可能性」がP(E│C)-P(E│¬C)である。
- (p.348) 2つ目の引用に対する解釈:共変量 U によって P(E│C)-P(E│¬C) はさまざまな値をとるが、その期待値 EU (P(E│C)-P(E│¬C)) は一定の値をとる、と述べている。
- (p.349) von Kries は、共変量Uによってさまざまな値をとるP(E│C)-P(E│¬C)を一般化する具体的な方法までは提案できなかった。しかし、現在の統計的因果推論ではその見通しがついている。
- (p.349) 現在の統計的因果推論の立場から見ると、適合的因果の「客観的可能性」(=「一般的可能性」「行為…の結果との一般的連関」)は平均的因果である。
- (p.349) Weber の「遊離と一般化」に関する議論も von Kries のこれらの定義と対応して書かれている。
- (p.349) von Kries も、Weber も (2.2.2) を基本形と考えていた。
- (p.349) von Kries の適合的因果を説明するときには馬車の例がよく使われているが、「「適合的/偶発的」を判断する基準は、量的データを用いてより厳密に定義されている。」
- (p.349) 金子榮一は『確率計算の諸原理』を読んでいたが、「適合的/偶然的」が P(E|C)=P(E|¬C) を基準にしていることに気付いていない。そこで、適合的因果理論を、因果法則の確率化と混同している。
- (p.350) これらの勘違いは、「ウェーバーの適合的因果は因果法則の法則科学だ」と思い込んでいたから。
- (p.350)「因果法則の確率化のような考え方には、ウェーバーは少なくとも批判的だった。そのことは文化科学論文の、まさにここの文章からも読み取れる」。
IV.5(pp.350-354)Mill-Binding批判部分の佐藤流解釈
- (pp.350-351)森岡訳 pp.209-210 からの引用。
- (p.351) 森岡訳 pp.209-210「なによりもまずさっぱりと把握しておかなければならないのは、一つの具体的な結果を、若干のそれに向って進んでいく諸原因と他のそれを押しとどめている諸原因との間の一つの争いの結果としてみることはできないということ、」という部分は、因果法則の考え方を否定している。
- (p.351)「因果法則では、特定の原因と結果の関係性は固定的になる。その程度が変化することはあっても、他の条件次第で、全く反対の結果になったり、どちらにもならないことになったりはしない。もしそうなるのであれば、そもそも「法則」とはいえない。」
- (p.351) Weber は、プラスの要因とマイナスの要因の均衡で結果が生じる確率が決まるという見方を「擬人化」と述べて非難した。「ウェーバーの社会学は、因果法則の法則科学ではない。」
- (pp.351-352) 森岡訳 p.210「むしろある具体的結果をこのようにであり他のようにではなく成り立たせるには、一つの "結果" から原因をたどっていく因果的遡源が次々に出会うあらゆる条件全体がまた、このようにであり他のようにではなく "協働して" いなければならなかったということ」という部分は、複数の原因の相互作用で結果が出現するということを指している。
- (p.353) 森岡訳 p.210「そして因果的研究を行なうあらゆる経験科学にとってある結果の出現ということは、決してある特定の時点で初めて定まるのではなく、"永遠の昔から"確定していたということである」では、「もし完全な情報があれば、全ての因果経路は決定論的に確定できる」とWeberは主張している。ただし、これは法則科学ではない。
- (p.353) これは、Planck(1902)のエネルギー量子仮説と同じ立場である。
- (p.353)「なおクニース2論文でもほぼ同じ内容が、現実には不確定さが残ることを強調した形で、述べられている(→第一〇回六節)」。
- (p.353)「だから、ウェーバーは別に量子力学の出現を先取りしていたわけではない。社会科学における確率的因果論の導入は、量子力学に影響されたものではなく、それとは独立に、時間的にも先行してなされた(→第一〇回二節)」
- (p.354)Weber の決定論的な見方は、von Kries の「客観的可能性の概念」論文の第一節「確率と可能性」とほぼ重なる。
- (p.354)「ウェーバーの参照指示通りにv・クリースの著作と論文を読んで」いれば、文化科学論文第2節の1/4は理解できる。「十分に明快かつ親切な文章である」。
IV.6(pp.354-357)ベルリン三月革命の例に対する佐藤流解釈
- (p.354) 三月革命の例では、原因候補が「二回の射撃」、結果が「革命」、共変量が「社会的・政治的情勢」となっている。
- (p.355) Weber は次の2点を念頭において三月革命の例を書いている。
- 「(1) ある条件が結果とどんな因果関係にあるかは、他の条件の値次第で変わってくる。だから、他の条件のあり方に関して期待値をとる形で、とらえる必要がある。」
- 「(2) それぞれの条件が原因候補であるか共変量であるかは、相互に交代しうる。」
- (p.355)「因果法則ならば「適合的」の程度は変化するとしても「偶然的」になることはない」から、「適合的因果における因果は因果法則ではない」。
- (p.355) EU [Pr(E│C)-Pr(E│¬C)) は、期待値を計算するUの範囲によって、「適合的」になったり、「偶然的」になったりする。
- (pp.355-356) 第1節で引用した「構成要素が『可能的』結果を引き起こすのに『適する』ことになっただろう、全ての付随する諸条件の広がり」と「構成要素がその結果を『おそらくは』引き起こさなかっただろう、全ての附随する諸条件の広がり」という部分はWeberが期待値演算をしていることを示している。
- (p.356)「適合的因果の法則論的知識を因果法則」と誤解したり、ウェーバーの社会学を法則科学と誤解したりすると、「三月革命の事例は意味不明になる」。
- (p.356) 向井守による三月革命の例に対する解釈:「ウェーバーの議論は混乱し、矛盾している」
- (p.356) この部分のウェーバーの議論は「混乱」や「矛盾」はなく、「驚くほど明晰に書かれている」。
- (p.356)共変量や交絡などの計量分析の知識があれば Weber の書いていることは分かりやすい。「二節のようにモデル化すれば、因果を反事実的に定義するかどうかは、C や U の値がどんな範囲をどのように動くと想定するかに(→第十七回七節)、v・クリースとウェーバーの立場のちがいは、そうした想定によってどれほど良く近似していけるかの見積もりに」(→第一〇回六~七節)、回収できるからだ。それ以外の、期待値を求める計算手続きなどは同じ」。
- (pp.356-357) S. Turnerは、"The Search for a Methodology of Social Science", pp.169-170にて、「他の諸条件によって結果Eの出現確率が0~1の間を動くことを指摘している」。
- (p.357)「共変量のあり方次第で、原因候補と結果の間が「適合的」になったり、「偶然的」になったりする。それは適合的因果が法則科学ではなく、法則論的知識が法則ではないことを示す、最も良い証拠の一つだ。」
- (p.357)「適合的因果の枠組みを理解しているかどうか」は、ベルリン三月革命の例を理解しているかどうかで判定できる。