19世紀ドイツの生理学者J. v. Kriesは,1886年に確率の基礎を論じた『確率計算の諸原理』を出版した後,1888年にそこでの議論の一部を法的責任帰属論に応用した論文「客観的可能性という概念とその若干の応用について」を著した.その論文において,確率論と責任論との適切な結合を理論化するために,Kriesは適合的因果(相当因果)という概念を導入した.その後,この概念は法学における重要論点として多く議論され,今日に至るまで受け継がれている.他方で,この概念はM. Weberが歴史学や社会学の方法論について論じる中で言及したため,理論社会学や社会学史の分野でもよく知られたものとなった.しかし,法学におけるそれとは異なり,社会学における適合的因果概念への関心は,あくまでWeber解釈という文脈においてのものであり,また当該概念に関する理解もしばしばWeberを経由した間接的なものにとどまってきた.
- 以下の内容は,小林佑太(北海道大学)との共同研究の成果に基づくものであり,それを一部として含む論文が準備されている.また,これらの成果の少なくない部分は,すでに日本社会学理論学会の大会で2015年以来継続的に発表されたものである.ただし,発表時から変更されている箇所もある.
Kries の適合的因果論については,現在,清水雄也(一橋大学大学院)と小林佑太(北海道大学大学院)による共著論文を準備している*.講演資料(本ページ)とで述べる Kries解釈に関して,詳しい説明はそちらの論文を参照されたい.
* 追記(2019.9.30):
- 一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程/一橋大学社会学部非常勤講師.
1. 『確率計算の諸原理』(1886)
1.1. 確率基礎論
- 古典的確率理解の基礎を独自の仕方で改善.
- 確率の論理的-物理的解釈の提示.
- 半古典的な客観的確率の理論(Pulte 2016).
- ポイントを解説した論文が多く出ている(杉森 1973; Kamlah 1983; Zabell 2016).
1.2. 歴史的文脈
- 生理学的カント主義(Buldt 2016).
- KriesはHelmholtzらの影響下でカント主義的観点から哲学的問題に取り組んだ.
- 確率を含む哲学的問題への取り組みと本業である生理学研究の知見の結びつきも重要.
- 古典的理論の延長上で客観的な確率を擁護した点でStumphやMeinongと共通(Kamlah 1987).
- 後にCarnapやKeynesが展開する論理的解釈の理論的先行者ともいえる.
- 特にKeynes確率論との関係についてはFiorettiが詳しく論じている(Fioretti 1998, 2001, 2003).
- 前期WittgensteinやWaismannにおける確率理解の源泉とも見られる(Heidelberger 2001).
- Poincaréの任意関数法に先行する業績としての面もある(Mazliak 2015; Rosenthal & Seck 2016).
2. 「客観的可能性という概念とその若干の応用について」(1888)
2.1. 論文の趣旨
- 『原理』で展開した確率論の応用.
- 基本的に法学領域(特に刑法)での責任帰属論が念頭に置かれている.
- 行われる作業の内実は概念分析.
2.2. 論文の構成
- 全4章構成.
- [第Ⅰ章]Kries的確率論(客観的可能性論)の概説.
- [第Ⅱ章]因果-責任論,[第Ⅲ章]危険-責任論.
- [第Ⅳ章]他の法学理論の批判.
- 適合的因果/偶然的因果の概念が論じられるのは第Ⅱ章.
- 第Ⅲ章では具体的非因果の適合/偶然の問題として危険の概念が論じられる.
2.3. 内容の要点
- 前提としての決定論.
- すべての出来事は,それ以前の状況全体によって必然的にもたらされる.
- 決定論的前提の下で,いかにして確率という概念を理解することができるのか.
- 確率(Wahrscheintlichkeit)と可能性(Möglichkeit)の区別.
- 確率は無知に基づくという点で主観的なものだが,可能性は客観的なものであり得る.
- いずれも「確率」と訳すべきかもしれない(実際,確率論系の英語論文等ではそうなっている).
- 客観的可能性の概念は,ある出来事について,その先行状況を一般化したときに適用可能になる.
- 完全に細密な前提記述の下では(決定論が前提なので)可能性の余地は生じない.
- 不完全な(普遍的な)状況設定の下ならば,ある出来事が生じることも生じないこともあり得る.
- 知識の欠如ではなく,状況記述によるもののため,知識状態としての主観的な確率とは異なる.
- 普遍的な状況記述によって生じる複数の帰結の余地を遊隙(Spielraum)と呼ぶ.
- 法則論的知識と存在論的知識の区別.
- 法則論的知識:因果的な法則性に関する知識.(微分方程式,自然法則)
- 存在論的知識:特定時点での状況に関する知識.(積分定数,初期条件)
- 存在論的状況を完全に確定せずに,法則論的知識にしたがって判断すると客観的可能性が生じる.
- 具体的因果関係と抽象的因果関係の区別.
- 現在でいう,トークンレベル因果/タイプレベル因果または単一因果/一般因果におよそ相当.
- 具体的因果については反事実的条件理論で理解.
- 抽象的因果については確率的理論で理解(決定論バージョンで量子力学的非決定論とは無関係).
- 適合的因果論は,具体的因果と抽象的因果を関連づけるという点にポイントがある.
- 適合的因果と偶然的因果の区別.
- 促進的状況(begünstigender Umstand):
Xの生起はYの生起の促進的状況である ↔ Xの生起はYが生起する可能性を一定量増大させる.
- 適合的因果(相当因果):
或る具体的因果関係aCbが適合的である ↔ Aの生起はBの生起の促進的状況である.
- 偶然的因果関係:適合的でないような具体的因果関係.
- 因果帰属と適合性判断は別段階.
- 適合的因果論のポイントは,反事実説的に理解された意味での具体的因果関係が判明している時に その適合/偶然を抽象的因果(確率上昇)との関係から判断するというもの.
- 偶然的因果であっても因果の成立は前提となっている(疑似相関ではない).
- 具体的因果帰属は前提として成立しており,また確率上昇を判断する法則論的知識もある前提.
- いかなる意味でも因果帰属(因果推論)の方法論ではない.
- 因果の適合/偶然と(ほぼ)シンメトリーな議論が危険(Gefahr)について論じられる.
- 実際には引き起こされなかった(具体的因果は成立しなかった)「危なかった」というケース.
- 「aはbを引き起こさなかったが,それは偶然にすぎなかった」または
「もしaがbを引き起こしていたら,それは適合的因果であった」ときに危険という路線.
- 確率論の法的責任論への応用は,因果/非因果の両者について(ほぼ)パラレルに展開される.
- 適合/偶然は因果(だけ)の分類ではない.
- 具体的なレベルでの因果/非因果を抽象的なレベルでの判断と結ぶ適合性理論として整理すべき.
- 適合/偶然は絶対的なもの(狭義)と相対的なもの(広義)に区別される.
- 絶対的偶然や絶対的危険は,認識可能性からして適合的ないし促進的な関係を見出せないもの.
- 現実に問題となるほとんどのケースは相対的で,状況記述の仕方などに依存する.
2.4. 歴史的文脈
- 法学への影響.
- 相当因果の概念はドイツ法学で繰り返し議論され,よく知られた論点となっている.
- ドイツ法学にとどまらず日本の法学においても相当因果関係説は民法や刑法における 「学説上の」通説となっている(いた).
- 法学における相当因果の歴史についてはSchroeder(2009)と本間(2015)が詳しい.
- Millとの差分やWeberへの影響についてはHeidelberger(2010)が差し当り参考になる.