あるいは、日本語圏の「ガラパゴス」的状況はいかにつくられたのか? v.クリースの忘却への道
ポイント
※日本語圏のウェーバー研究は「ガラパゴス」的状況である
(ただしガラパゴスという形容はガラパゴスの動植物には失礼である)
- ドイツ語圏も日本語圏に近いが、例外がある
- 英語圏の研究がいちばん実態に近い
※田中・金子論文のここがおかしい
- ウェーバーの比較社会学が人類社会全体の変化を解明するものという誤解
- 戦前は「リッカート-ウェーバー接合」、戦後は「マルクス-ウェーバー接合」
- ほんとうは、ウェーバーの方法論は、法則科学と文化科学が対立する地平そのものを乗り越えるものだったのに、それがわかってないのは、日本だけ
1. (p.27~)
- ウェーバーが採用した適合的因果という因果同定手続きは、
- ① 反事実的条件を使っている
- ② ①が定式化されたのは、文化科学論文
* ①も②も、これまで何度か(再)発見されている。
ここで参照文献
- John Elster, 1975 Logic and Society
- 市井三郎 1963 「第三章 社会分析の基礎的諸問題」 『哲学的分析』 岩波書店 p.85-
「『客観的可能性』という用語で歴史における『反事実的条件命題』の成立根拠と重要性とを、最初に論じたのはマックス・ウェーバーである」(85)
- 統計学関連では
- 杉森滉一 1973『岡山大学経済学会雑誌』5(2)
→ v.クリースの確率論、とくに「遊隙 Spielraume」をとりあげている
「v.クリース自身は法則論的知識を、客観的な法則に近い形で考えていた。ところが、グスタフ・ラートブルフが指摘しているように、その定義をつきつめていくと、むしろ(ウェーバーの言葉を借りれば)「仮定的な性格」をもつことが明確になる。杉森はそれを「『論理的』であるという点において、本来の意味での主観的及び客観的の区別をなくしている」と表現している 」(28)
- しかし、日本語圏の社会学では、こうした先行研究はあまり顧みられてこなかった
- 1980年代以降、v.クリースへの言及は、向井のような一部の例外をのぞいて、ほとんどない
向井守 1997 ミネルヴァ書房
- 厚東洋輔 1977「ウェーバーと『意味』の社会学的把握」『大阪大学人間科学部紀要』3
→ ほぼ正確に内容がとらえられている
「反事実的条件にも言及していないが、「虚構的な行為連関」(p.253)という表現を導入して、文化科学論文での「法則論的」の内容をほぼ正確に復元している」(25)
「行為者自身にとっていかに明証的な思念された意味であっても,外的な行為連関のくぐりぬけという手続をふまない限り「動機」としての資格をもつことはできない。こうした動機帰属という方法は,行為者の自明視された世界を流動化するのに貢献する。研究者は,行為連関を所与としてそのままうけとるのでなく,空間的・時間的・虚構的(論理的)連関との比較対照により,その自明性にゆさぶりをかけ,それを徹頭徹尾可能なものの1つの世界と見なそうと努力する。研究者の帰属する動機は行為者の盲点をつく場合が多い」。
「「動機は行為者にとって明証的なものである」という神話の破壊は,動機は思念する意味の全領域をカバーしはしないという自己限定によってはじめて可能になる」
- 日本語の社会科学でv.クリースの方法論が知られているのは、法学 「相当因果関係説」
- v.クリースの因果特定の問題は、当時からドイツ語圏の法学理論で大きな課題
・日本語圏の法学では知られておらず、空白
2. (p.29~)
- 安藤英治・内田芳明・住谷一彦編著『マックス・ウェーバーの思想像』(新泉社 1969)
- 本多謙三 1927「歴史的・社会的学問特に経済学の方法論に就いて」
- 田中真晴 1949
- → 『宗教社会学論集1』の「促進的」もv.クリースの術語であると指摘
- 適合的因果構成が「仮定法過去完了の形」、つまり反実仮想をともなうことも明記
- 金子榮一 1957 『マックス・ウェーバー研究』 創文社
- 『確率計算の諸原理』をふまえて、ウェーバーが
「方法論的研究に専念した今世紀初頭は、自然法則の蓋然的確率的性格に注目されはじめた時期であり、両者を同一の問題情況の中に位置づけることはかならずしも不当ではないと思われる」
(48)と、同時代の自然科学との共通性も指摘 (30)
- 英語圏ドイツ語圏でも、1940年代までは文化科学論文の重要性はかなり知られていた。ウェーバーは同時代の研究者とみなされており、経験的な分析に携わる社会科学者たちにとっての重要な先行研究として読まれていたようだ
- 「客観性」論文は方法論の研究でありながら、具体的ではなく「畳の上の水練」
- 文化科学論文は具体的な例や因果の同定手続きの進め方が詳しく議論されているために、重視されていたのだろう
- 「客観性」論文だけがウェーバーの方法論の代表作となっていった理由の一つは、ウェーバーの方法論の研究が、主に学説研究や思想史の専門家によって担われるようになったからでは?
3. (p.30~)
- なぜv.クリースの影響が忘れられていったのか?
- v.クリースの術語系のなかで重要なものがひとつ抜けている
→「法則論的/存在論的」の対概念
- この2つが対概念であることで
- 法則論的知識の可変性が明確になる
- 適合的因果がつねに「仮定的な性格」をもち、前提仮説にあたる部分を完全には解消できないことを強く意識させる
- しかし、田中論文は「法則論的」→「法則の知識」、「存在論的」→「事実の知識」と訳した
- そのうえ「事実の知識と法則の知識にその客観性の保証をもつという意味において、客観的可能性判断とよばれる」(223)として、法則論的知識で説明できない部分が存在論的知識とされる、という論理が抜けている
→ そのため、適合的因果構成についても、反実仮想の部分を消去したものが完成形とされる
※ 田中論文の問題点
「仮定法過去完了の部分」=反実仮想を、具体的な事例で「代置」できるかどうかは、その事象の性格による
- 1. 「定義によって一回性の事象」(結果にあたる事象が定義上、一回しかありえないもの)であれば、そもそも反実仮想が成立しないので、「仮定法過去完了」で答えることもできない=そもそも「代置」できない
- 2. 結果にあたる事象が一般的に定義されていれば、観察回数が一つか複数かで変わってくる
- 2.1. 「事実として一回的な事象」(一回しか観察できなかった)場合には、適合的因果の同定は実質的に前提仮説の同義反復になる。だから「代置」とはいえなない
- 2.2. 「代置」できるのは複数回観察できた場合だけだが、この場合も二つ条件がつく
- a. 結果事象のあるなしがそれぞれ一回以上あること→比較分析では通常満たされる
- b. 「(観察されていないものもふくめて)原因候補と結果にともに影響する他の変数群が(比較される単位間で)全て同じ状態にある」必要がある
→b.をより正確に
- ① 「観察されていない、ともに影響する他の変数群は全て同じ状態」+②「観察されている、ともに影響する他の変数群は全て同じ状態」
- ②は観察されているので見ればわかる、①は純然たる仮定
→ ①と②の条件がみたされないと「因果的意義の大きさ」は測れない
- どんな対象であれば、どんな前提の下で、どんな形で「代置」できるのか、本当に重要なところはそこ
- → 文化科学論文でも大きな論点だが、田中論文では飛ばされる
- ウェーバーを「ブルジョワ民主主義イデオロギー」と断じる田中が、反実仮想の部分を最終的に除去できると信じていたから
※ 金子論文の誤読
- 基本的に同じ
適合的因果構成が「確率計算」とよく似た思考法のもとにかんがえ」ていることを指摘し、その点で自然科学と社会科学の方法論上の共通性、ウェーバーの「経験則」が部分的に検証可能と明言
- しかし、文化科学論文の中心的な部分を誤読している → 「おそろしく難渋」難しくて理解できない
4. (p.34~)
詳しい解説は第15回以降で述べるが、簡単に
- 適合的因果構成という枠組とは?
= 因果を(a)反事実的に(=反実仮想の形で)定義した上で、(b)条件つき確率の差で測るもの
- 具体的には、
原因候補Cと結果Eの間に因果があるかどうかを、原因候補Cがある場合とない場合との結果Eの出現確率の差で判定するもの
- この枠組では、
- (1) 定義によって一回性の事象だけでなく、
- (2.1) 事実として一回的な事象の因果も、経験的には観察できない。
個人にせよ社会にせよ、一つの事例や観察で「cである」ことと「cでないこと」は、同時には成立しえないから。
それゆえ、 「cである」と「cでない」の、どちらか一方でのEが生じる確率は、完全な仮想として仮定するしかない
それにたいし、
- (2.2) 複数の事例や複数回の観察が想定できる場合には、それぞれの集まりごとの期待値の形であれば、経験的に観察できる。
- 例)「cである」社会の集まりでのEの比率と「cでない」社会の集まりでのEの比率であれば、それぞれ具体的に測定できる.
「cである」社会と「cでない」社会がそれぞれ一つ以上あれば、それぞれでのEの出現比率を測ることができる。そして、もしそれぞれの測り方が一定の条件をみたしていれば、それぞれの出現比率の差は、原因候補Cがある場合とない場合との結果Eの出現確率の差と一致する。
それによって因果の有無を判定可能
ウェーバー『宗教社会学論集1』の「儒教と道教」
- 近代西欧と伝統中国という二つの社会の比較分析←プロテスタンティズムと近代資本主義の成立の間の因果の有無を同定するため → (2.2)に当たる
- プロテスタンティズムの倫理がある(=「cである」社会群)
- プロテスタンティズムの倫理がない(=「cではない」社会群)
倫理の有無(=c) と結果にあたる近代的な資本主義(=E) に、ともに影響すると考えられる他の変数群 (共変量 )に関しては、 ①「観察されていない変数は全て同じ状態にある」と仮定 → それぞれの群での近代資本主義の出現確率を測ろうとした
- ※ 倫理の有無も近代資本主義も一般的に定義
→集まり単位の比較になる (集まり単位=集計レベル?)
-
- ・「倫理あり」の社会群では近代資本主義が成立→Eの出現確率は1
・「倫理なし」の社会群では近代資本主義が成立しなかった→Eの出現確率は0
1-1=0ではないので、プロテスタンティズムの倫理と近代資本主義の間には(集まり単位の期待値では)因果があると判断される
※ 「仮定法過去完了」の命題は、単純に、伝統中国社会によって置き換えられるわけではない。原因候補と結果にともに影響する他の変数の状態に関しては、近代西欧と全て同じだと仮定して、初めて置き換えられる。ウェーバーもその点は明確に理解
- ※ 適合的因果で因果のあるなしを経験的に判定するには最低限2つの事例や観察が必要
- (1) 定義によって一回性の事象であれば、ありうる別の可能性が想定できないので、論理的に反実仮想が成立しない
- (2.1) 事実として一回的な事象であれば、現実には観察されなかった方の確率は完全に仮想するしかない
→「cでなければEは生じない」や「cであればEが生じる」といった命題を正しい知識として天下り式に導入することにひとしい
→因果同定の前提となる仮定(「cでなければEは生じない」)と、同定の結論(「cとEの間に因果がある」)が実質的に同義反復になる
それにたいして、
- (2.2) 複数の事例や複数回の観察可能性が想定できるのであれば、各集まりに一つ以上の個体や事例がふくまれていれば、集まり単位の期待値の形であれば、「cである」と「cでない」それぞれでのEの出現確率の差は経験的に観察できる
(2.1)も(2.2)も、因果の具体的な同定には、一定の仮定が必要=それが法則論的知識と呼ばれているもの(それ?仮定?)だが、その仮定と結論との関係が(2.1)と(2.2)ではちがう。
- (2.2)の場合
→ 同定の前提になる条件は、①「観察されていない…」+②「観察されている…(p.32へ)=「C(観察されていない..)とE(観察されている..)にともに影響する他の変数群は(それぞれの集まりの間では)全て同じ状態である」 で、同定の結論(=「CとEの間に因果がある/ない」)と同義にはならない。
- (2.2)では、原因候補と結果との間にどんな因果が成立するか
→ それは、測ってみなければわからない
- 『宗教社会学論集1』での西欧近代と伝統中国との比較でも、実は同じ
- ①と仮定したうえで②のうち、どちらの社会群も営利欲や手形などの信用制度、人口増加や耕地拡大による経済成長などでは、同じ状態←近代資本主義という結果に対する原因にはならない
- 明らかに違うのは、形式的に保証された法や合理的な行政の有無 ←近代資本主義の原因になりうる(宗教倫理の違いと同様に)
- そのうえで、「宗教と道教」第五節以降では、ありうる原因の一つである宗教倫理のちがいに焦点
(2.2)では、当初の仮説はつねに反証されうる。 例えば、以下のどちらかの可能性につねに開かれている
- (a) 実際には近代資本主義の原因ではなかったと判定される
- (b) 同じように原因でありうる他の変数が見つかるか
→ その意味で、適合的因果は因果法則を前提とするものではない。むしろ、実際のデータによっては、そういう法則が成立しないことも論証されうる
5 p.38〜
- (金子)「人類全体の歴史」や「大きな世界史的変動過程」では、観察する単位が一つしかありえない
↓
- (1) そもそも反実仮想が成立しないか
- (2) 因果同定の前提となる法則論的知識と結論である因果が実質的に同語反復になるか、どちらか
→ 因果のあるなしを経験的に同定できない
- ※ 人類社会全体の変化のような事象は、もともと適合的因果という方法論にはそぐわない
→ 田中や金子がおちいった混乱や誤解はこれ
- ウェーバーの比較社会学が人類社会全体の変化を解明するものという誤解
- 法則論的知識を法則と同一視し、適合的因果を不完全な法則と誤解
- 戦後の日本語圏でのウェーバー研究の主流は田中・金子と同じ方向
= 「マルクス=ウェーバー接合」 → v.クリースが読まれなくなった
- ウェーバーの比較社会学とマルクス主義の史的唯物論はまったく論理が異なるのに接合しようとした誤り
6 p.41〜
適合的因果への誤解は、マルクス主義法則科学だけではなく、リッカート文化科学からも
- シェルティングは1920年代からウェーバーの方法論の研究をしており、法則論的知識による因果関係の同定が反実仮想になることも、それが日常的な因果の捉え方の延長上にあることも指摘しているが、v.クリースにはまったくふれない
→ 適合的の定義をとりちがえ、「法則論的」と不完全な法則科学が混同されている
- 同じ読まれ方は、ウェーバーが亡くなった直後からすでに始まっていた(ex. リッカートの演習参加者)
→ 「客観性」論文を用いた「リッカート-ウェーバー接合」の試み
→ 法則科学/文化科学の対立地平の上に、適合的因果が位置づけられた
マルクス主義的な法則科学とリッカートの文化科学は適合的因果よりも互いに近い
文化科学では全ての事象は必ず一回的で、その間の因果の同定は必ず非経験的になるから
→ 同じ地平の上にある
- ウェーバーの方法論は、法則科学と文化科学が対立する地平そのものを乗り越えるものだった
7 p.43~
- ウェーバーだけでなく、ジンメルも、リッカートの哲学を通じて日本語圏に紹介されていったようだ
- 安藤の誤読 p.44
- 戦前は、新カント派やドイツ語圏の最新研究の輸入にのって、「リッカート-ウェーバー接合」をなぞった
- 戦後は、「マルクス-ウェーバー接合」という形で、法則科学/文化科学の同位対立を再生産する社会科学全体の研究動向
* 日本語圏の「ガラパゴス」的状況は、そうやって創り出された。それによって、v.クリースの影響も、名前さえも忘れられていった
8 p.46~
海外では
- ドイツ語圏
1985
ウァグナーとツィプリアン「方法論と存在論」がv.クリースの影響を再発見
エルスターが先行研究
- v.クリースの適合的因果構成とリッカートの文化科学が両立しないクリプキの固有名の理論と可能世界意味論を用いて論証
- but, 適合的因果の方法論が、リッカートのいう個性的因果関係と論理的に両立せず、かつ現代の社会科学で用いられている別の方法論と同じであることを示せばよい(why? ) (→第6回以降)
- ドイツ語圏でのウェーバーの方法論の研究は、日本語圏と似ているが、それ一辺倒ではない
ウァグナー&ツィプリアンは、ウェーバーの術語系を、その後の分析哲学や社会科学の展開の上にあらためて位置づけた
- ドイツ語圏の統計学での扱い
ハイデルベルガーの研究
- "From Mill via von Kries to Max Weber: Causality, Explanation, and Understanding" Historical Perspectives on Erklären and Verstehen. ( vol. 21) Ed. by Uljana Feest. Dordrecht/ Heidelberg/ London/ New York: Springer 2010, 241-265.
- Wagner 2015 "Max Weber und Naturwissenschaften"
・日本語圏は、もっぱらテンブルックやモムゼンに注目していて、ガラパゴス的
9 p.48~
※ ウェーバーの方法論の理解が一番進んでいるのは、英語圏
- ラザースフェルド 1965 ターナー 1986
ターナーは、適合的因果が共変量に関する期待値になることを指摘しているが、法則論的に関してはクリースではなく、ヘンペルのDN(演繹的-法則的)モデルにそって理解されているため、反実仮想の意義が見過ごされている
→ ウェーバーの方法論の重要な一部が抜け落ちているが、計量手法の対極に置くドイツ語圏や日本語圏の読み方よりは、より実態に近い捉え方
※ ウェーバーとv.クリースのどこにちがいを見出すかが新たな論点になっている
- 適合的因果構成は、(a)反事実的な因果定義と(b)確率的因果論と呼ばれている考え方にもとづく
- ウェーバーへのv.クリースへの影響はいったん見失われ、英語圏の分析哲学で反事実的な因果定義や確率的因果論が再発見されることで、再発見されていった
付録:盛山の反論
理論と方法 (Sociological Theory and Methods) 2015, Vol.30, No.1:135-139
佐藤氏は「『マイヤー』論文では,考えていく枠組みが v. Kriesの議論にそって組み換えられた」(佐藤 2014:364) という言い方をしている.これは,意味としては,「マイヤー論文と客観性論文で,ヴェーバーの主張に基本的な違いはないが,v. Kries という生理学者の議論を新しく利用している点において〈枠組み〉には変化がある」ということになる.しかし,「枠組みには変化がある」という主張も疑わしいのである。
じつは,v. Kries の議論がヴェーバーの科学方法論の背景にあることは,正直,恥ずかしながら今回初めて知ることとなったので,それについていろいろと調べて見た中に宇都宮京子氏 の論文(宇都宮 2013)がある.そして,その論文にも指摘してあるのだが,v. Kries とそれを 批判的に検討した法哲学者ラートブルフの議論との影響は,すでに『客観性論文』にも見られるのである.具体的には,v. Kries の概念である「客観的可能性」の語と,ラートブルフに由来 する「因果的適合性」の概念は,『客観性論文』にも見かけられる.たとえば「すべてのいわゆる 『経済』法則においても,例外なく問題となるのは,…規則の形式で表される適合的な因果連関 であり,ここでは立ち入って分析するわけにはいかないが,『客観的可能性』という範疇(カテゴリー)の適用である」(Weber 1904: 訳 90)というような記述があるのである.ここでは v.Kries の名前もラートブルフの名前も挙がってはいないが,明らかに彼らの議論を踏まえている.したがって,『客観性論文』においてすでに彼らの議論はヴェーバーの念頭にあり,それを援用しながら自分の議論を展開していったと見た方がいい.決して,マイヤー論文になってはじめて v. Kries の枠組みが用いられるようになったというわけではない.
それでは,佐藤氏が強調している「法則論的/存在論的」の二分法はどうか.それは,マイ ヤー論文と『客観性論文』との違いを意味するものと言えるだろうか.むろんこの二分法は v. Kries に由来する.しかし,じつは「法則的知識」という言葉はすでに『客観性論文』でも現れている(Weber 1904: 訳 89).「存在論的」という語の使用は確認できないが,たとえば「社会的諸法則の認識は,社会的実在の認識ではなく」(訳 92)というような二分法は見られる.逆に, マイヤー論文の方を見れば,「法則論的/存在論的」という二分法が現れる箇所(Weber 1906: 訳 192)での論点は,「一つの"具体的事実" の歴史的"意義"についての最も単純な歴史的判断でさえ,…我々が豊富な我々の"法則論的"経験知を"与えられた"現実性にあてはめることによってのみ,事実的にも妥当性を与えられるものである」(訳 193)ということである.この主張の構図は,『客観性論文』でのものとまったく同一である.
このように,「『マイヤー』論文では,考えていく枠組みが v. Kries の議論にそって組み換えられた」というのは当てはまらないと見るのが妥当だろう。(盛山 137-138)