日曜社会学 - ルーマン・フォーラム | エスノメソドロジー番外地

Sunday sociology - Luhmann Forum / Ethnomethodology: on the edge of nowhere
2012-12-24 掲載

マイケル・リンチ『エスノメソドロジーと科学実践の社会学』マイケル・リンチ『エスノメソドロジーと科学実践の社会学』合評会

ここには、2012年12月22日(日)に東京大学にて開催した 社会学研究互助会第四回研究会「マイケル・リンチ『エスノメソドロジーと科学実践の社会学』合評会」における配布資料などを掲載しています。

このコーナーの収録物 中村 和生さん (配布資料
  伊勢田 哲治さん (配布資料 ) (討議) ←このページ
  立石 裕二さん (配布資料) (討議)  
  全体討議摘要  

※本書の紹介ページがあります。あわせてご覧下さい。

リンチは何をそんなにおそれているのか
伊勢田哲治(京都大学 文学部)

エスノメソドロジーそのものに関する議論は今回は荷が重いので、主に科学社会学をめぐるリンチの分析、批判と、それに対するリンチの対案というあたり(つまり第二章、第三章プラス第七章の一部)を中心に検討したい。

0 翻訳について

原文もなかなかの難物だが、翻訳も決して読みやすいとはいえない。原文で一文になっているところを細かくわけて訳すなどの工夫はあるのだが、工夫したためにかえってつながりがわかりにくくなっているところもある。今回の資料をまとめていて疑問に思ったところはあとに付録としてまとめてあるので何かの参考になれば幸いである。 以下でリンチの引用をする際に翻訳を使用せず独自訳をつけているところがあるが、伊勢田はそう読んだということなのであしからずご了承いただきたい。

知識社会学、科学社会学の既存の立場に対するリンチの評価

それぞれの立場についてリンチがどういう点をとりあげどういう評価を下しているか簡単に確認しておく。

(1) マンハイムについて

マンハイムに関する記述は全体として比較的好意的。数学や自然科学を対象から外していた、という、後からみれば当然限界はあるものの、その限界はウィトゲンシュタインやクーンの視点を導入することで補える、といった論調。

(2) マートンとその仲間たちについて

マートン派プログラムはあまり肯定的には描かれていないものの、この箇所の重点はマートン派プログラムへのストロングプログラムの批判が空振り気味であるという方にあるように見える。

(3) 科学知識社会学におけるストロングプログラムについて

ストロングプログラムがマンハイムと連続的なのは当然としても、普通対立的に捉えられるマートンとも連続的なものとして歴史が記述されている点は興味深い。

因果性や対称性、公平性が必ずしも相対主義を目指しているわけではないのに相対主義的に読まれてしまう理由が指摘されているあたりが面白い。ただ、わたしはブルアの「実在論的」だという発言の方がリップサービスで、基本は相対主義的科学観(すくなくとも、現在の科学に与えられている権威は大きすぎるという考え方)をとっているのではないか、と考えている。このあたりはどちらが正しいというものでもないとは思うが。

(4) 経験的相対主義(コリンズ)

コリンズについては、リンチはその功績を一応みとめているようではある。「説得力を持って」といった肯定的評価語は他の紹介ではあまり使われていない。
他の流派については意図せずに相対主義と読まれてしまう点を指摘しているわけだが、コリンズは最初から相対主義を標榜しているためもあり、そういう批判はしていない。しかし、相対主義が成功しているかというとそう思っているわけでもなさそう。

(5) 構築主義的なラボラトリースタディーズ(ラトゥール、ウールガー、クノール=セティナほか)

構築主義とラボラトリースタディーズという、重なるけれどもあくまで別のカテゴリーを一緒に論じているので大変分かりにくい。
マンハイムの第一ステップを経験的にやれるようになった、というあたりが功績?
批判点の方は、ラディカルなことを言っているように誤解されやすいのに、その誤解をまた利用しているあたりが問題、という感じだろうか。あと、言語偏重の考え方も論理実証主義見たいといって批判されている。しかし、本人たちはいやがるだろうが、論理実証主義みたいだというのがそんなに悪いことかどうか(リンチ自身はどう思っていたのか)よく分からない

(6) ポスト構築主義

第三章の冒頭でリンチは、新しい科学社会学は「哲学や社会学の探究における日常言語の役割に関連する、よくある落とし穴にはまっている」ことを指摘するのが本章の目的だと指摘することを挙げている。p.89
この落とし穴とは、結局、「客観的探究へのコミットメント」を受け入れてしまっている点、そのため「研究領域内にある理論的コミットメントや言語使用から距離をとるべき」だと考えてしまう点だと考えられる p.135
おそらく同じことを述べているとおもわれるのが p.345。
認識論のトピックを敵意をもって継承しようとするのはこれまでにもあったが「そのように継承する取り組みは、科学の神話学的な捉え方にうったえてなんらかの研究プログラムに対する分析的基盤を確保しようとしたために覆されてきた」p.345 (訳文は若干手を入れています)。覆されるsubverted というかなり強い否定的な評価語が入っている。
ということは、そうやって距離をとろうとしない、自分の足場を確保しようとしないやりかたこそ「落とし穴」をさけ転覆をさける社会学的研究のやりかたということになるとおもわれる。

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リンチ自身の対案

第三章の「ワークのエスノメソドロジー研究」の項(p133~)ではあまり詳しく紹介されていない。
結局リンチの対案が全貌を表すのは第七章になってから pp.334-353

認識トピックの探究の7段階
  1. 認識トピックを一つとりあげる。
  2. 原始的事例を探す
  3. 認識トピックをたどり、詳細に実際に事例を探究する
  4. 固有の妥当性要請に応じてそれぞれの事例を探究する
  5. エスノメソドロジー的無関心を科学の存在という事実に適用する
  6. 通常科学の方法論を使用する
  7. 「知見」を古典的な論文に関連づける

詳しいことははぶくがポイントだけ見ると

この方法論は結論ではさらに「プログラム上の記憶喪失」や「原始的自然科学」といった言葉で言い換えられている p.358

一言でいえば、科学社会学が落ちている(とリンチが判断した)落とし穴を避けるために、高度なものを高度なやりかたで距離をとって研究するのではなく、日常的なものを日常的なやり 方で距離をとらずに研究する、という方向へ転換した、とまとめることができるのではないだろうか。

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リンチの評価

ここではもちろん本書全体の評価ではなく、リンチが認識した科学社会学の問題とその解決について。

3-1 実験室の占める位置

結論においてリンチは「科学について語るのをやめよう! 実験室へ行こう」という指令がエスノメソドロジーから発せられるという(p.365)。これは、「構築主義の危機」のところでの、ラボラトリースタディーズを継続的にやる人が少ないという悲しげな観察とも軌を一にするものである(pp121- 124)。しんどい研究を敬遠するなよ、というのは同業者へのメッセージとして大変よいと思う。
しかし、認識トピックというプログラムの中で、なぜ実験室が主要な位置を占めるのかは必ずしも明らかではない。研究する側とされる側の距離をできるだけなくす、という問題意識があるのだとしても、なぜ実験室なのか。やはり何かそこで大事なことが起きている、というエスノメソドロジー的無関心と相容れない何かの判断を下しているのではないか。

3-2 科学的合理性との距離をめぐって

3-3 なぜ「通常科学」なのか

4 まとめ

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付録 翻訳に疑問をもったところ

今回丁寧に読んだのは2章と3章だけなので気になった点もそこに集中していますが、1 章、7 章、結論でもいくつかたまたま気づいたところを指摘しています。また、2,3章も日本語を見て気になったところしか原文をチェックしていませんので、全体を見比べながら読んだらまだいろいろ出てくると思います。

p.15 科学研究 Science studies (p.15 など) サイエンススタディーズという分野の存在を知らない人がどのくらいこの本を読むかよくわかりませんが、知らない人が読むと間違いなく誤解します。わたしは「科学論」と訳しています。
p.58 長期の論争のいくつかが解明されることを期待 訳文を見ると問題が解決するようなニュアンスに見えますが、解明にあたる原語はilluminate で、光をあてる、理解を促進する、くらいでは。
p.62 理念化された「科学的」利点 idealized ‘scientific’ vantage point 「理想化された「科学的」という有利な地歩」くらいでは。原文と見比べないと意味がよくわかりません。
p.62言及することをもって言い逃れることをせずに 言い逃れると訳されたもとの言葉は being explained away で、意味合いとしては、状況に言及することで無害化されてしまわないようにしながら、くらい。「言い逃れ」という訳にこだわるなら、「言い逃れられてしまわないようにしながら」と言い逃れる主体を逆にしないといけないと思います。
p.62 さらに again ですが、「ここにおいても」くらいだと思います。前の段落の最後で言ったことをここで詳しく説明しているところなのに「さらに」と訳すと話が変わったのかとおもって混乱します。
p.63 数学や「精密科学」の基準を用いることはありえない ありえないと訳されているのはabsurd。英語を見ると「ああその「ありえねー」か」、と膝をうつわけですが、日本語だけ見ている人の大半には通じてないと思います。
p.63 [自然]科学的知識のシステム、社会科学的知識のシステム、日常的知識のシステムにおける3つの区別 threefold distinction among ~ なので「〜システムという3つへの区別」。3つのシステムの中にさらに3つの区別があるように読めて混乱します。
p.65 知識社会学の妥当性要求から、数学や精密科学が属するとした厳格な認識論的基準を除外しようとしていた。 「知識社会学の妥当性要求を、数学や精密科学が持つとされる厳格な認識論的基準から除外しようとしていた。」のはず
p.65 「内在的な法則 (immanent laws)」 細かいが原文にはかっこがついてません。あとでこの引用文中のカッコが話題になっているので正確にしたほうがよいと思います。
p.67 2.社会的条件( [括弧内略] )の特定化。社会的条件とは〜 この訳書では、読みやすくする工夫として、複文を細かく砕いて訳すという方針がとられていますが、制限用法の関係節を単純に砕くと意味が変わってしまいます。ここも日本語だけ読むと「社会的条件」という概念一般の定義をあたえているようにも読めてしまいます。ついでに、specification を特定化と訳していますが、「特定」だけにした方が意味が通じやすいのでは(「条件の特定」はよくきくが「条件の特定化」だと何か特殊なことをしているように聞こえる)。
p.71 断定的には明言されていなかった not definitely articulated で、「はっきりと精緻化されてはいなかった」くらいでは。
p.73 まさに後継といえる closely followed ですが、わたしの語感では「跡継ぎ」という意味でのfollowにはclosely はつきません。closely follow は「忠実に従う」くらいでは。
p.75 利害関心という因果的な要因が通常の諸条件を背景にして際立たせられる causal factor of interest is specified against a background of normal conditions, で、「興味の対象となる因果的要因が通常の諸条件という背景に照らして特定される」くらいでは。「利害関心という因果的な要因」は少なくとも誤訳だと思います。
p.76 総合的アプローチ overall approachここは「アプローチ全体と」くらいでは。日本語だけみると、マートンらが「総合的アプローチ」という特定のタイプのアプローチをとっているように見えます。
p.77 革新的 radical 単なる語感の問題かもしれないが。知識社会学のもたらした変化はラディカルではないかもしれないが少なくとも革新的だと思うのでこの訳語は違和感があります。
p.79 即物的基準 impersonal criteria 「即物的」という訳語からはだいぶちがうものを思い浮かべると思います。「非人格的な」とか、それで分かりにくければ「個人を離れた」とか。
p.79 この規範には「発見者の名前をつける」という制度的慣習が含意されている this norm is implicated by the institutional convention... 含意の関係が逆で、「この規範は「発見者の名前をつける」という制度的慣習に暗に示唆されている」のはず。
p.83 ステファン・ターナー Stephen は英米では「スティーヴン」と発音すると思います。他にもどこかでステファン・コールと訳してありましたがこれもスティーヴン・コール。
p.84 十分に研究を発展させることなど絶対にしなかった。 were not doing very much なので、「発展させる方向ではたいしたことはしていなかった。」くらいでは。
p.87 多様な研究成果を用いることによって詳しく述べられる 最後はelaborated で、ここでは詳しく述べるというよりは精緻化される、くらいでは。
p.87 メアリー・ヘッセ 実際「ヘッセ」と表記されているのはよく見かけますが、発音としては「ヘッシー」が近いはず。
p.87 相関的に特権化された科学信奉 relationally privileged beliefs in sciences で、このように訳せなくはないですが、そのあとに並列されているのが「大衆的でありながらも秘儀的な他のさまざまな信念システム」で、「科学における相関的に特権化された信念」と訳さないとうまく対比にならないように思います。なお、ここの訳文で pragmatic or 'social'という英語に対応する部分が省略されているように見えますがわざと?
p.90 統合性 2回出て来ますが、どちらもintegrity で、こういう文脈では「高潔さ」とか「誠実さ」とか「モラルの高さ」とかその方向の訳語になると思います(正確に対応する日本語はないので難しいですが)。いずれにせよ統合性ではそのニュアンスがつたわりません。
p.92 超越論の過剰性transcendentalist excess 「行き過ぎた超越論」くらいでは。超越論というものが一般に過剰だというよりは、そちら方面にやりすぎてしまうこと、ぐらい。
p.93 論争を煽った社会的コミットメント 煽ったというとピアソンとユールを見ているやじうまが煽ったみたいですが、本人たちのコミットメントの話のはず。原語はfueling で、「論争の動機となった」くらいの訳の方が分かりやすいと思います
p.94議論の余地ないものである nonnegotiable 議論の余地がない、という客観的評価というよりは、「妥協のありえない点である」「譲歩不可能なものである」といった、本人たちのコミットメントについてのことでは。
p.94 割り引いて考えたり 訳文だけ見ていると「割り引いて考える」discount の主語が何かよくわかりません。原文だと研究プログラムが主語ですが、工夫して訳したためにかえって訳文はそこが主語と読めない。あらためて「その研究プログラムは」を補うとか。
p.94 何らかの流派における「科学に内的な」メンバーシップ "intrascientific" membership in one or another faction 何らかの流派への「科学に内的な」所属。これはまあ日本語からも想像がつくとはいえ。
p.95 歴史的続編となるものを同じように説明する identical explanations of the historical sequellae to... 「続編」だと何の話をしているかピンときませんが、ここではsequelle を「後日譚」くらいにしておくと、結局「ある」ということになったのか「ない」ということになったのかの話なんだな、とピンとくると思います。あと、同じように説明する、だと特に問題はなくて、「同一の説明」を求めるのが行き過ぎということなのでは。
p.96 [社会的圧力でも既得権益でもなく、単純に]なにか不適切なことが起こっていたということが示唆されることもある。 ここは英語ではなく純粋に読解の問題ですが、社会的圧力や既得権益で決定が行われるのは本来不適当ではないのに、哲学的分析を持ち込むことでそれが不適切とみなされてしまうというのを問題視しているのではないかと思います。つまり、訳者による補足はかえって読者をミスリードしているのではないでしょうか。
p.97 そしてシステムは this system で「このシステムは」。こまかいですが短い引用なので何か引用箇所以外で定義されたシステム一般の話をしているのかなんなのかちょっととまどいます。
p.97 没評価的になっているかどうかはまったく分からない。 it is not at all clear that they can do so. 没評価的になることが可能なのかどうかはまったく分からない。
p.98 専門的に妥当な記述を行おうとすると、膨大な重荷を背負ってしまう 「記述を行おうとする」の部分は claim to convey で、「記述を行なっていると主張するなら」だと思います。主張するから重荷を背負うことになる、のではないでしょうか
p.99 事例を表に出すことで思考習慣を手に入れ exposure to current examples で、現在の事例に触れることで〜ではないか。
p.100 個人の能力からはほど遠いほどの文献 「ほど遠い」にあたる原文の言葉は outstrip 「個人の能力をはるかに上回る量の文献」まあもちろんしばらく考えればそういう意味だということは分かりますが。
p.101 各々の論文とその内容上の対立 the literature and its divisions で、「文献群全体の様子とその中の区分」くらいだと思う。literature は集合的にあるテーマについて書かれた文献群を集合的に指すときによく使われますがいい訳語はないものでしょうか。
p.102 机上の相対主義ならば ここは関係節を分けて二文にしたところですが、そのため文意が伝わりにくくなっています。前の文に出てくる「机上の相対主義」が制限用法でこの一文で修飾されている(つまり〜を用いるような机上の相対主義に携わらずにすんだ、と言っている)というのは日本語だけ見ていてもよくわかりません。
p.103 決定テスト[追試] ここは原文はcrucial test のみで「追試」は訳で補われたものだと思うが、実験の哲学の文脈でcrucial test といえば、二つ以上の仮説が対立しているときにどっちが正しいか白黒つけようじゃないか、といって行われるテストのことだと思います。それがある種の追試になることはたしかにあるが、一般論としては追試と同一視するのは間違いです。
p.104 ある実験がある所与の理論に合致している、あるいは反している、とみなされる時点は ここはwhen を時点と訳してますが、単なる条件の if だと思います。「ある実験がどういう場合にある所与の理論に合致している、あるいは反しているとみなされるかは」痴愚の文に出てくる「時点」も同じく。
p.104 決定的相違 dramatic discrepancies 劇的な食い違い。対立しているのだから決定的に違っているのは当然ですが、ここではそれよりも立ち入ったことを言っていると思います。
p.104 精度の高い重力波検出器 ここはdelicate を「繊細な」くらいに訳しておいた方がいいと思います。「精度の高い」と訳してしまうと、実際に重力波を検出できる装置だったように聞こえます。
p.105 こうした主張は「中核」メンバーには懐疑的に捉えられた。 other members of the "core set" で、「ほかの「中核」メンバー」とするべき。ウィーバー自身が中核メンバーだったかどうかというのはこの事例の解釈には重要なポイントだと思います。あと、core set を中核メンバーと訳してしまったためにcore setのメンバーという表現で無理をすることになってしまっているが、素直に「中核集団」としなかったのはなぜなのでしょう。
p.105 ピーク継続の周期性 継続と訳されている言葉のもとは succession で「継起」。継起がわかりにくていやなら「一連のピークの周期性」でも。
p.105 検討される現象 phenomenon being detected 「検出された現象」、ないしもうちょっと訳すなら「検出対象となっている現象」くらい?
p.107 決定的な反証は一つもなかったと言われた 誰に言われたのかよくわからない。as some would argue で、「〜と論じることもできる」くらい。
p.108 つじつまの合わないウェーバーの主張 つじつまが合わないことが言っているなら冷酷に扱われるのはあたりまえに思える。原語は discrepant で、「異端のウェーバーの主張」くらい。
p.108 実験室研究 これは「科学研究」よりはましではあるものの、同じ理由で誤解されやすい言葉です。science studies を「科学論」と訳すのと合わせるのなら「実験室論」ですが、それだとアームチェアな感じです。結局ラボラトリースタディーズとカタカナのままにするくらいの方が正確なイメージを持ってもらいやすいかもしれません。
p.109 調査報告書 research reports 研究報告書。想定されているのはラボラトリースタディーズの対象となる research だと思いますが、調査報告書だとそのニュアンスがよく分からないと思います。
p. 110 「人工物」として科学的実在を記述するのに使われる語彙そのものによって この訳文だと、「構築」「製作」「人工物」として記述するのに他のどういう語彙を使うんだろう、と思ってしまいますが、当然「構築」「製作」「人工物」という語彙を使って記述することによって、という意味ですよね。
p.110 〜概念化することは構築主義の解釈とは対立する ここは opposed to で、「構築主義的解釈は概念化することに反対する」だと思われる。構築主義の側の能動性が訳文にあまり出ていません。
p.110 検体([カッコ内省略])に人工的に手が加えられること 検体にさらにどんなふうに手を加えるのだろう、と思ってしまいますが、原文はartificiality of the specimen materialsで、「検体の人工性」つまり検体そのものがそれ以上手を加えなくても人工的だということを言っているのだと思います。
p.111 不可逆的に忘れられなければならない not irreversibly forgotten で、むしろ「不可逆的に忘れ去られてはならない」単純な見逃し?その流れで、次の文の「関連づけられてしまうかもしれない」は「関連づけられなくなってしまうかもしれないから」。原文と逆の意図の文章になってしまっています。
p.111 これがどんな「事実」にも劣らず良い例になると思う この訳文だと何の良い例なのか良くわからないが、原文を見ると as good an example as any of a "fact"で、「「事実」というものの何にも劣らないよい例」
p.113 左派的な変種 left-handed variant 「左利きの変種」もう少し訳すなら「左右あべこべの変種」など。もちろんleft-handed を左派を揶揄する表現として使うことはありますが、このあと読み進めてもとりたてて「左派」っぽい話になっていません。
p.114 論理実証主義との主な相違の一つは The major difference (and it was a major one) 「主な相違は(そして確かに大きな違いだったが)、」
p.114 システム内には含まれえない encompass で「システムで包括できない」くらいでは。まあもちろん「含まれない」でも間違いではありませんが、「全体をカバーできない」というニュアンスが「含まれえない」で伝わるかどうか。
p.114 世の中の先入観を純化した purified of worldly preconceptions 「先入観を純化した」だと、先入観そのものの純粋な形態の話をしているみたいですが、このof はrob A of B とかのof で、「世俗的な先入観を取り除いた」ですよね
p.119 含意はないのだ強調した ここは単純な脱字「ないのだと」
p.124 この実験室研究を左派マートン主義と呼ぶ方が良い this might better be called だが、実験室の壁を超えていく研究のことを指しているので「この実験室研究を」だとちょっと妙。
p.127 脱ラディカル化されたラトゥールのアプローチ この書き方だとラトゥール自身が脱ラディカル化したみたいですが、むしろ、アメリカの社会学者がラトゥールを脱ラディカル化したバージョンを使う、という意味だと思われる。
p.131 伝統化された歴史 conventional history 慣習的な歴史
p.137 科学主義と完全に決別するのも当然 「当然」の原語は warranted。正当化される、くらい?「当然」ほど強くない。
p.345 超越しようという試みに「はまる」 "stuck"だが、この訳文では stuck の意味の「はまる」だとは気づきにくいのではないでしょうか。わたしはすくなくともobsessed の意味に読んでしまいます。「超越しようとして「にっちもさっちもいかなくなる」」など。
p.345 衒学的 erudite ですが、衒学みたいな否定的なニュアンスはここではあまりないのではないでしょうか。「学究的」くらい?
p.350 チョムスキーは「おかしなことは何も」言っていない カッコ内は nothing fancy で、「しゃれたことはなにもいっていない」 fancy はかっこいい学術用語をちょっと揶揄するような感じで指すときによく使いますね。
p.352 認識トピックは標題を集めたものだが the epistopics are collecting rubrics, もちろんこの訳も可能ではありますが、「認識トピックはひとまとめにするための見出しである」と解釈する方が自然ではないでしょうか。
p.364 統一科学にとっての「時代遅れの」プログラム "outmoded" program for a unified science このforは「求める」のfor では。「統一科学をもとめるという「時代遅れ」のプログラム」。
p.389, 注19 そのような読解は明らかに見当はずれなのだが this was certainly not the case for ~「これはまったくあてはまらないのだが」つまり、超心理学批判の側は自分たちの主張を根拠付けるものだとうけとらなかった、ということだと思います。
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