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ここには、2024年04月28日に東京大学にて開催した 社会学研究互助会アネックス第3回研究会「佐藤裕『ルールの科学』合評会」配布資料などを掲載しています。
このコーナーの収録物 | 佐藤裕さん (三つの質問への回答) | ←このページ |
佐藤裕さん (小宮書評への回答)(討議) | ||
中河伸俊さん (資料)(討議) | ||
小宮友根さん (資料)(討議) | ||
森一平さん 事前配布資料(資料) | ||
五十嵐素子さん 事前配布資料(資料) |
本書は社会学を「ルールの科学」として再構成しようという試みです。
社会学の「閉塞状況」(社会学のアイデンティティの危機?)の中で、社会学を再定義しようとする(改めて「社会学とは何か」を問う)試みのひとつだと考えください。ただ、本書はその中でも「オリジナルな考え方」をかなり前面に打ち出したものです。
本書が考える「ルールの科学」は以下の3つの特徴を持ち、この3つは互いに深くかかわりあいながら、全編を通したモチーフになっています。
社会学は社会に対してどのような貢献ができるのか、何の役に立つのかを明確にします。本書はこの課題に正面から向き合い、明確な答えを提示します。
社会学は自然科学と同様のスタイルの科学なのか。それとも自然科学とは異なる性質を持つのか。この点が明確にできていなかったことが、社会学のアイデンティティを混乱させていたと筆者は考えます。本書は自然科学と社会学は根本的に異なる性質を持つと考え、その違いを明らかにします。
筆者のこれまでの研究で築いてきた「言語ゲーム」や「ルール」についての理論を基礎にして、社会学の基礎理論としての「ルールの理論」を提示します(筆者の関連する研究は 補足資料 のとおり)。
これらについては「はじめに」に記載されていますが、最終章「ゲームとしての社会学」においても、社会学の現状を踏まえたうえで改めてなぜ本書のような考え方が必要なのかを説明しています。
Q1への答えで提示した3つの特徴それぞれについて、本書が提示する答えは以下のようなものです(本書の流れに沿って、Q1とは異なる順序で説明します)。これらは本書の第1部で説明されています。
自然科学は自然法則を探求し、社会学は社会的規則(以下「ルール」と表記)を探求する。このときの自然法則とルールの違いが、社会学に自然科学とは異なる科学であることを要求すると本書は考えます。
ルールは自然法則とは異なり、可変性を持ち、当事者に知られており、当事者の意志が関与しており、自然言語で記述されています。
またこの性質(4番目以外)はあくまでも「当事者にとって」の性質です。つまり社会学が自然科学と異なるのは、それが「当事者による研究」である場合ですが、社会学は基本的に(社会的意義を見出そうとするなら)「当事者による研究」(本書では「内からの研究」という言葉で説明)です。
1で説明したような違いがあるため、社会学は自然科学と異なり、ルールを明らかにすること自体に社会的意義を見出すことができません。また、「予言の自己成就」などが生じるために、自然科学のように「予測」それ自体で勝負することもできません。
そのため、社会学がその社会的意義を主張するなら、それは「ルールの評価」に求めるしかありません。
もちろん、社会学は記述も予測もするのですが、(外部に対する)社会的意義としては、ルールの評価しか考えられないということなのです(記述や予測は評価のための手段)。
それでは、「ルールの評価」はどのようにすれば可能なのか。それを明確にするのが、次の「ルールの理論」です。
本書が提示する「ルールの理論」には、独自に定義した概念が数多く登場するため、それに注意して読んでいただく必要があります。特に、「ゲーム」「志向性」「ルール」といった言葉は本書独自の定義を与えていますので特に注意してほしいと思います。
ルールの科学では、「社会」というものを「人々のいとなみの集まり」であると見なします。これは社会を、人間、集団、組織、制度、などの集まりだと見なす捉え方と対照的です。
上の「人々のいとなみ」が本書での「ゲーム」であり、それは志向的な(方向づけられた)いとなみであるという特徴を持っています。志向的ないとなみは、機械的ないとなみと対照的です。つまり人々はそれぞれの意志、価値観、希望、願望などを持っていとなみに参加しているのであり、だから機械的ではなく志向的なのです。
ゲームの志向性(方向付け)を解決するためには様々な方法が必要になりますが、その方法は個人個人がバラバラに持つのではなく、共有される必要があります。これが「ルール」です。ルールは「共有された方法(方法の共有)」です。
では方法の共有とはどのようにして行われるのか。ルールの科学ではそれもまた「方法」によってであり、つまり「共有の方法」が存在すると考えます。これは、ルールが何らかの「力」(権力など)によって共有されているという考え方と対照的です。
ルールは共有された方法であり、なおかつ、共有の方法である。これがルールの科学におけるルールの定義です。「共有の方法」の詳細やルールの分類などについては割愛します。
最後に、ルールの理論がなぜルールの評価の枠組みになるのかについて簡単に説明します。それは、何を評価にするのかと、どのような基準で評価するのかを明確にすることができるためです。
ルールの科学において評価の対象は「ルール」であると明確になっています。具体的な組織それ自体とか、それぞれの人物の行動とかを評価するのではなく、評価の対象はあくまでも「共有された方法/共有の方法」としてのルールです。このことによって、誰かを非難するような印象を与えることなく生産的な評価を行うことができるし、「共有の方法」を含むことによって、方法の伝達や普及、意志統一、訓練や教育、違反者への対処といった分野もカバーすることができます。
評価の基準は、ルールが「方法」であることから、初めから準備されています。方法は「何かのための」方法なので、その何か、つまりルールを含むゲームの志向性がその基準となるわけです。
一般的な意義については、すでに書いたことに含まれると思うので、ここでは特定の人々にとっての意義(として筆者が想定すること)を書いておきたいと思います。
本書の最終章でも書きましたが、「ルールの科学」は、具体的な人々のいとなみを探求しようとする社会学者にとって、特に使い勝手が良いはずだと筆者は考えています。
フィールドワークやインタビューといったいわゆる質的な調査によって人々のいとなみに迫ろうとする研究者にとって、(志向的ないとなみとしての)「ゲーム」や(具体的な方法として記述される)「ルール」といった概念はしっくりくるでしょうし、「ルールの評価」という形でその研究の社会的意義を明確にできることも、重要なポイントだと思います。「ルールの科学」はそういった研究者に使ってもらいながら、より精緻なものへと鍛えていくことができればありがたいです。
最後に、このセッションの母体となる「社会学研究互助会」は、(広い意味で)エスノメソドロジーに関わる活動だということなので、エスノメソドロジー(以下EM)にとっての意義(として想定すること)を書いておきたいと思います。
本書は基本的にEMの考え方をベースにしており、ルールの理論は「ほぼEM」だと私は考えています。「ルールの(具体的な場面での)参照」という考え方や、「共有の方法」といった部分など、EM的な発想は随所にみられるはずです。そういう意味では、本書はEMとそれ以外の社会学を橋渡しし、EM的な考え方を社会学全体の中でもっと活かしていこうという試みだと私は考えています。そして、そのために必要なのは、以下の2点だというのが本書の主張です(第8章)。
一つは、EMが持つ(と私が考える)、言語の働きを「記述」に限定する考え方の放棄(言語にはそれ以外に「命令」という重要な働きがある)であり、もう一つが「方法の評価」を自覚的に行うことです。特に後者は、EMの社会的意義に関わるポイントであり(EMは何の役に立つのか分からないと思われていないでしょうか)、EMのイメージを一新できるのではないかと思います。
これらの指摘がEMに一石を投じることができればと筆者は考えています。
行為論の系列 | 問答論の系列 | 言語ゲーム論の系列 |
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権力行為論 (2009,2012a,2012b,2013a) 「ルール」研究の前身 |
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「言語ゲームと志向性」(2013b) 行為と思考を社会学の研究対象とする枠組み(言語ゲーム)の提案 |
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『ルールリテラシー』
(2016) ルールの理論 |
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「ルールとは何か」
(2019a) ルールの規範性について |
↓ | 『人工知能の社会学』
(2019b)* 言語ゲーム論の拡張 |
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『ルールの科学』(2023b)** 「ルール」概念の拡張(問答論の系列もカバー)、社会学理論としての整理 |
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「問いの基礎理論序説」
(2022) 問答論の基礎 |
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「問いの類型論と社会的な問い」(2023a) | ||
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『問いの技法(仮題)』 (2024) |
* 『人工知能の社会学』というタイトルであるが、実際には人工知能との対比による「人間のいとなみ」の探求が主要なテーマ。
** 執筆は2021
佐藤裕 | 2009 | 「権力と社会的カテゴリー――権力行為論(1)」[pdf] | 『富山大学人文学部紀要 』50:43-61 | ――― | 2012a | 「ルール」の存在論――権力行為論(2)」[pdf] | 『富山大学人文学部紀要 』56:73-92 | ――― | 2012b | 「ルールの参照可能性――権力行為論(3)」[pdf] | 『富山大学人文学部紀要』57:57-72 | ――― | 2013a | 「ルールからの逸脱――権力行為論(4)」[pdf] | 『富山大学人文学部紀要』58:61-78 | ――― | 2013b | 「言語ゲームと志向性――社会学的観点から」[pdf] | 『富山大学人文学部紀要』59:1-33 | ――― | 2016 | 『ルールリテラシー――共働のための技術』 | 新曜社 | ――― | 2019a | 「ルールとは何か」 『富山大学人文学部叢書Ⅱ人文知のカレイドスコープ』 |
桂書房,52-61 | ――― | 2019b | 『人工知能の社会学――AIの時代における人間らしさを考える』 | ハーベスト社 | ――― | 2022 | 「問いの基礎理論序説」[pdf] | 『富山大学人文科学研究』77:53-87 | ――― | 2023a | 「問いの類型論と社会的な問い――問いの基礎理論(2)」[pdf] | 『富山大学人文科学研究』78:83-116 | ――― | 2023b | 『ルールの科学――方法を評価するための社会学』 | 青弓社 | ――― | 2024 | 『問いの技法(仮題)』 | 青弓社(刊行予定) |