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2013-11-07 掲載 2014-06-09 更新

松木洋人『子育て支援の社会学』松木洋人『子育て支援の社会学』(2013年、新泉社)合評会

ここには、2014年9月13日に東京大学社会科学研究所にて開催した 社会学研究互助会アネックス第2回研究会「松木洋人『子育て支援の社会学』合評会」における配布資料などを掲載しています。

このコーナーの収録物 松木洋人さん (三つの質問への回答 ←このページ
  松木洋人さん (資料)(討議  
  萩原久美子さん (資料)(討議  
  小宮友根さん (資料)(討議  
  全体討議摘要  

「松木洋人『子育て支援の社会学』に対する3つの質問」への回答
松木洋人(東京福祉大学短期大学部)

本書に対する3つの質問:

Q1. 本書で取り組んだのはどのような課題ですか。

 本書の第1の課題は、子育てを支援するという実践と経験はどのようなものであるかを記述することです。1990年代以降、日本の社会では子育て支援の必要性が主張されはじめ、実際に様々な支援サービスが提供されるようにもなってきました。またほぼ同じ時期から、社会学の領域では、ケアや支援の研究が徐々に盛んになり、高齢者介護や障害者介助については、経験的な研究の成果がかなり蓄積されはじめます。にもかかわらず、子育て支援については、支援の必要性を主張するタイプの研究に比べて、支援の実践がどのように行われ、その実践は支援者によってどのように経験されているのかを明らかにする研究の蓄積がかなり乏しいため、この欠如を少しでも埋めたいと思いました。この第1の課題を、福祉社会学的課題と言ってよいと思います。

 これに対して、第2の課題は、家族社会学的課題と呼べるものです。しばしば子育ては「家族の責任」だとされます。このように家族と子育てを規範的に結びつけることは、近代社会の編成にとって重要であり、近代社会における家族の特徴は家族が子育てを自らのなかに囲い込んでいくことにあります。とすれば、子育て支援の拡充によって、家族と子育ての規範的な結びつきがほどけたり、「育児の社会化」が進行したりすることは、現代社会における家族変動について考えるうえでも重要な論点であることになります。本書では、遠回りのようではありますが、子育て支援に携わる人々の実践と経験が家族と子育ての規範的な結びつきとどのように関わっているのかを明らかにすることを通じて、この家族と子育てを結びつける規範の持続と変容にアプローチすることを試みました。やや大風呂敷を広げた言い方になりますが、それが現代社会における家族の意味とその変化について理解するための手がかりになると考えたからです。

それぞれ、中心的にはどこに記されていますか。

 これら2つの課題の提示と位置づけは、それぞれ序章と第1章で行われています。

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Q2. それぞれの課題に対して どのような答えを与えましたか。

 Q1で述べた2つの課題に対する本書の回答は、互いに密接に結びついています。なぜなら、子育てを支援することが、しばしば、子育ての責任は家族が担うべきだという規範を通じて経験されたり、それを考慮しながら行われるものであったりするからです。

 たとえば、本書でたびたび指摘したのは、支援者が「子育てを支援することのジレンマ」を経験する場合があることです。このジレンマは、もっぱら自分が家族の替わりに子どもにケアを提供していることと子育ての責任は家族が担うべきだという規範との間で生じるもので、ときには自分が携わっている支援の意義についての疑問を帰結します。また、支援者たちが子どもに提供するケアを家族によって提供されるケアに近づけようとすることや、子育ての責任を家族が担うための支援を試みようとすることなどは、家族外の人々による子育ての福祉的支援が、家族に子育て責任を帰属する規範を含みこんだかたちで実践されていることを示しています。

 そしてこのことは、家族にとって極めて重要な子育てという営みが部分的にであれ外部化された状況においても、家族と子育てを結びつける規範は持続していることも示しています。したがって、現在、日本社会で生じている子育て支援の展開は、家族と子育ての規範的な結びつきの弛緩として単純に捉えることができるものではありません。むしろ、家族の育児責任をめぐる理想と現実の調停が求められるような状況が、子育て支援の展開によって広範に生じつつあるのではないかと考えられます。そして、このこと自体が、現代家族をめぐる新たな局面として位置づけることができるものです。

それぞれ、中心的にはどこに記されていますか。

 このような回答を与えることは、子育て支援者による語りを検討した第4章から第6章までで行われています。また終章でも、第4章から第6章で得られた知見の意義についてあらためて検討しています。

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Q3. こうした課題にはどのような意義がありますか。なぜそうした課題に取り組もうと考えたのですか。

 Q1とQ2で述べた課題に取り組むことの福祉社会学的意義や家族社会学的意義については、これ以上の説明はあまり必要がないと思います。ですので、ここでは、本書自体にははっきりと書かれていない観点から、本書による試みの意義について説明してみます。

 日本の社会学では、1990年代後半から2000年代の前半にかけて、構築主義という用語が流行したことがありました。わたしが専門としている家族社会学の領域でも、ご多分に漏れず、この時期に構築主義的アプローチへの注目が高まることになります。わたしが家族社会学を学び始めたのはまさにこの時期にあたり、グブリアムとホルスタインの『家族とは何か』に代表される構築主義的家族研究やその訳者である中河伸俊先生による構築主義的研究に関する方法論的議論から大きな影響を受けました。グブリアムらの家族研究は、世帯外の様々なフィールドを横断しながら、そこで人々がどのように家族言説を用いて現実を構築しているかを記述するものです。わたしが最初に子育て支援のフィールドに出かけるようになったのも、グブリアムらが行ったように福祉領域で家族言説を収集してみようというかなり素朴な狙いによるものでした。

 ただし、構築主義という用語が広まるにつれて、その意味するところは非常にあいまいになり、構築主義の看板を掲げることで不要な誤解を招くことが多いと感じるようになったため、本書のもとになったいくつかの投稿論文を書いている時点では、構築主義的アプローチからの影響を明らかにすることは控えるようになりました。しかし、そうこうしているうちに、社会学における構築主義の流行は過ぎ去り、いまや時代遅れなものと見なされつつあるように思います。そして、家族社会学の領域に限っていえば、構築主義的アプローチを実践する経験的研究があまり蓄積されることもないままに流行が終わることによって、アプローチの空疎化が進行してしまいました。

 このような状況を横目に見ながら、本書をまとめる段階では、グブリアムとホルスタイン流の家族研究や、中河先生が提唱されている「エンピリカルな構築主義」からの影響をもうすこし前面に出したいと思うようになりました。グブリアムらと中河先生は、構築主義者のなかでもエスノメソドロジーの洞察から多くを学んでいるところに共通点がありますので、グブリアムらが自分たちの立場を示すために何度か使っていた言葉を使うなら、「エスノメソドロジーの知見を用いる構築主義」の持ち味を提示するような研究にしたいと考えるようになったともいえます。本書をまとめるために初出の論文を加筆修正するにあたっては、第2章での理論的検討、第4章から第6章までの語りの分析など、この点に重点を置きました。ですから、本書は子育て支援や家族という主題に関心があるかただけではなく、構築主義的な調査研究、質的研究の方法論に関心があるかたにも手に取っていただきたいと思っています。

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