- 総評
- 各論
- I.科学システムの内部分化
- II.科学の統一態と反省
- III.技術・科学技術・応用研究(応用科学)をめぐる問い
ニクラス・ルーマンがおこなう科学の記述は,『社会の科学』だけではなく、様々な著書のなかでみつけることができる.ところが、ルーマンの「科学社会学」が社会学者の内部で浸透しているとは言いがたい.それは,一般にいうルーマンシステム理論の難解さ,社会システム理論と科学社会学との間を取り持つ言語と研究がないからなのだろうか.とはいうものの,社会システム理論とはいかないまでも,吉岡の議論や松本三和夫の「STS相互作用論」や藤垣裕子の「妥当性境界」,そしてKrhon&Küppersの科学の自己組織化の議論などはある.
『社会の科学』では,科学は社会システムのなかで分出する機能システムであり,したがって科学的コミュニケーションは,社会的コミュニケーションであり得るとする.このことによって,科学を観察するのであれば,社会理論を意識せざるを得なくなる.また、そのような社会理論は科学システムにおけるコミュニケーションの産物であるという循環的構造のなかに取り込まれてしまうことになる.
個人的に(誰もが思うことだが), 『社会の科学』では [1] 社会から観察した科学 [2] 科学システムの作動の一つであろう社会システム理論の言及 [3] 科学論の科学論という多くの要素が散りばめられているため,より難解に感じてしまうのだろう.それらをひとつひとつ解きほぐしていくことが必要であり,その知見を専門分野にいかに接続させていくかが今後の問題になるだろう.
私自身,科学的知識の組織化に関心があり、その方法論としてルーマンの機能分化概念を用いえないか検討した[それしかしていない].もっぱら焦点に当てたのは,専門分野であるがこの専門分野化の説明が様々な議論に応用可能なのではないかと考える.例えば,現在の科学(知識)は必ずどこかの学体系に属していなければならない.ある知識Aが物理学だとしたら,Aの知識はどこに属されるかという観察が必要とされる.そして,近現代社会以前から機能システムとされる科学以前から,科学のようなものは存在していたのであり,近現代科学の特徴が「専門分野という構造」に求められるのではないかと.そう考えるならば,「科学システムの内部構造=専門分野の機構が機能的分化的特徴をもつ仮定」と「社会システムの内部構造=機能分化」には一種の相関関係があるとも考えられる.
さらに「専門分野」の議論で波及するのは「科学論」である.例えば,近現代以前の科学は神学ないしは哲学が最終的な審級となっていたが,科学システムではそうはいかない.「科学論」も様々な諸学と同じようないち専門分野としての位置づけとなる.「科学論」に関しては,一言で片付けることができないが「専門分野」との関連で言えば次のことが言えるのではないか.観察が区別を必要とするならば,まさに科学システムのなかでシステム分化した専門分野が確立することで,科学システムのなかで差異が生じ科学論は,観察する諸科学から距離をとり観察することができるようになったのではないか.などと考えている.
1.科学システムの内部分化
- 1-1.
システム分化として提示されるのは,専門分野である.
例えば,社会学をはじめ物理学,生物学や経済学なども含まれる.
- 1-2.
科学システムの内部分化は,システム分化として解されている.
- 1-2-1.
システム分化は,システムと環境の差異が全体システム内部で反復される可能性に基づく.[503]
- 1-2-2.
科学の専門分野の分出は,一方で,専門分野が自らを確立するための場として科学を前提と
する.[505]
- 1-2-3.
専門分野の分出は,科学そのものの分出を促進する.→内部分化は,その機能システムそのものを堅固にする.
- 1-3.
専門分野は,一種のシステムとして理解ができるので〈システム/環境〉の差異が生じる.物理学や社会学などの専門分野(科学の)サブシステムは,自己の領域に含まれない科学の諸領域を環境として扱える.
- 1-3-1.
自己の領域に含まれない科学の諸領域を環境として扱えるということは,たとえば,化学では貨幣循環を扱わない.これは,化学が「化学的真理」を主題化しているのであり,その他の「学的真理」は別の専門分野に任されていることになる.
- 1-3-2.
そうであれば,どの専門分野も他のものに代替できないし,またその専門分野の機能(主題となる学的真理を産出すること)をもって代替することもできない.例えば、神学が経済学の代わりになることも、法学がコンピューター工学の代わりになることはできない.
- 1-3-3.
いくつも機能を持たないこと、いくつも機能領域を備えていないことが機能システムの自律性の特徴である.[→213]
- 1-4.
すべての専門分野は科学システム内部で分化するので,科学システムのコミュニケーションであり,科学システムの貢献に努める.
- 1-4-1.
専門分野は科学システムのコミュニケーションなのだから,もちろん真理/非真という二値的コードを用いて整序されているおり,その二値的コードを振り分けるプログラムは理論と方法である.
- 1-5.
専門分野には,さらに「専門領域」に分化している.重点テーマが問題になる場合は,「研究領域」と呼ばれる.(システム/環境の差異という性格を帯びるかわからないが).
- 1-5-1.
科学システムがあり,化学(=専門分野)が,そして有機化学(=専門領域),さらに蛋白化学(=研究領域)
- 1-5-2.
そして,コード化とプログラム化の分化,真理値の分化,諸理論の分化は,またしても当然予期される帰結をもたらす.すなわち,諸々の知の統一および合理的連関を表す形式としてのヒエラルヒーは放棄され,そうした古い知のヒエラルヒーに代わって学術システムがさまざまな専門分野へ,さらには下位区分された諸学科へと分化する事態が登場する.[エコ 144]
- 1-6.
専門分野の分出条件として,専門雑誌の確立.
- 1-6-1.
科学システムの分出契機の一つ,
語の概念化は,社会のなかで科学が分出する一つの契機である[446]
- 1-6-2.
語の概念化によって,科学システムは様々なものを扱える.→専門用語
- 1-6-3.
「パラダイム」によって組織されているか/「パラダイム以前」
2.専門分野の分化形態を「環節分化」と語ること.
- 2-1.
専門分野は,たしかに科学システムの機能分化に依拠してはいるが,それ自体は他の分化形態の分化を実現している.[507]
- 2-1-1.
たしかに,専門分野は科学システムのコミュニケーションに属している.だから,社会システムという観点から見れば機能分化をしているわけではない.
- 2-1-2.
だがしかし,物理学や生物学で同じコミュニケーションを行っているわけではない.物理学的真理と生物学的真理は一致しないし,問題すら見えない.
- 2-1-3.
科学システム内で機能分化しているのではないか.
3.機能システムの反省と科学システムの関係
- 3-1.
専門分野と自称するものは,しばしば個々の機能システムの反省論と密接に関連して成立する.[504]
いまでこそ学術的な専門分野の形態をとっているものの,すでに確立された社会の下位システムと直接結びつき,それとともに成長するような,認識営為が存続している神学,法学,医学,そしてまた十七/十八世紀以降の教育学など,専門職に関係する分野がそうである.[505]
- 3-1-1.
社会システムには,法・経済・教育システムなどとある.これらの反省論=法学・経済学・教育学と科学システムにはどのような関連があるのか.機能システムの反省ならば,その機能に帰属するのではないか.
- 3-1-2.
医学のように日常生活と結びついて専門分野とすぐに認知されることもある.
- 3-2.
専門分野に形成は,科学内部の問題にもとづいて方向付けられるのである.[507]
- 3-2-1.
専門分野の形成に関与するのは,科学の自律性で方向づけられるのであれば,他の機能システムとの影響関係はないのではないか.刺激はあるのかもしれないが.
4.研究「プロジェクト」/プロジェクト連合
- 4-1.
科学システムのコミュニケーションが,時間的に制約された秩序を,「プロジェクト」と呼ぶ.[311]
- 4-1-1.
「プロジェクト」は,科学的研究を組織に依存させる.
- 4-1-2.
プロジェクト形式が,現在の科学的活動の支配的な形式である.資金調達.
- 4-1-3.
プロジェクトは,科学システムが時間の区切りをいれるわけではない…科学システムの外部的なものの感じがする.
- 4-1-3-1.
科学の社会的利用に失敗すると,なぜ科学成果そのものが悪くなってしまうのか.
- 4-1-4.
科学システムへの研究方向性への介入になるのか.
- 4-1-4-1.
政治は政治で常に学術に期待を寄せ,研究や技術開発を促進するための計画を立てたりするので,まず学術の共鳴力の方から検討することにしよう.[エコ 149]
- 4-2.(専門分野の形成と区別すべきなのが)特定の研究のアイディアを吟味するためのプログラム群であり(たとえば心理学における因果帰属や自意識についての研究),もう一つ異なるのが,学際的な輸入知識と関連しながら形成される関心集合である(たとえば社会サイバネティクス).[510]
5.「自然諸科学/精神諸科学」
- 5-1.
自然科学と精神科学の区別について,この区別は専門分野の分化とは何ら関係ない.[516]
- 5-2.
科学批判の材料としての「精神」→近代科学批判として「量化」傾向を唯物論として嘆き,「質的意味」を無視すると批判する.[461]
- 5-2-1.
〈メディア/形式〉の優先内容の問題.
- 5-2-2.
ただ,現に〈精神諸科学〉と〈自然諸科学〉で区別するような言説がある場合,その言説が無効になるわけではない.科学システムのある観察の形式としては採用可能ではありそう.
- 5-2-3.
〈精神諸科学〉と〈自然諸科学〉の区別が意味をなさないとして,たとえば人文・自然・社会も同じように言えるのか.
- 5-2-4.
専門分野の区別に影響はないとしても,専門分野を観察する区別としては有効なのか.(525)
アングロサクソンでは,人文学humanitiesと区別したりするが,科学システムが広域的に広がっていれば,区別の仕方に違いはなさそうなものだが.
1.科学の統一性と分化
- 1-1.
科学の統一性はどこに求められるのか.
様々な専門分野を一括りにして,科学(システム)と呼んでしまうのはなぜか.
1-1-1.
科学システムの統一性は〈科学システム/環境〉の差異である.[]
- 1-1-2.
(オートポイエーティックに再生産される)科学システムの統一態は,(知識一般ではなく)真と非真の差異にある.われわれは,この区別の統一態を,それがパラドックスに終わることを強調するために真理と名付けるので,この用語法にしたがうと真の真理と非真の真理が存在することになる.[155]
- 1-1-3.
最終的に,作動のレベルに着目してその作動が〈真/非真〉という二値的コードに基づいており,理論と方法というプログラムに基づいたかどうかで判断するのか.→うーん
- 1-2.
専門分野の分化は,総体としての科学の理論的統一性(科学をオートポイエーティック・システムとして捉えるのが自然と思われる理由の一つ)の放棄を余儀なくされる.[514]
- 1-2-1.
専門分野が分化しており,科学という領域の科学はない.
- 1-3.
専門分野の分化が成立する以前は,最終的な受け皿として神学ないし哲学が保証していた.
- 1-3-1.
社会の分化形態と呼応する?→ヒエラルキー(中世の大学制度)
- 1-3-2.
十八世紀後半から変化が生じる.専門分野の分出
- 1-3-2-1.
この専門分野の分出という転換点はどう説明するか.
- 1-3-3.
専門分野の進行によって科学システムが分出を強化した.近代科学の特徴となりうるのではないか..
- 1-3-4.
専門分野の分化は,新規参入分野が受容され確立していくことによって徐々に進んできたのであって,ほぼ確実に科学システムの構造として保持され続けるだろう.[515]
- 1-3-5.
科学システムが専門分野で分化すれば,科学の反省である科学論もひとつの専門分野となり,特権的視点ではなくなる.
- 1-3-6.
全体社会システムの主要な分化形態が機能分化に転換すること,それによって反省の必要があることと,それによって反省の必要が高められ方向づけられることの間に関連性がある.[532]
- 1-3-6-1.
他の機能システムを指針できない.
- 1-4.
科学論の反省によって,科学システムの統一性を確保できるのか.
- 1-4-1.
科学システムの統一について問題となるのは,観察関係のネットワーク形成,それと並行して再生産されるシステム境界であり,したがってオートポイエーシスである.この反省の結果が,構成主義と呼ばれる.[562]
2.反省としての科学論
- 2-1.
システムは,内部で設けた境界を越えることによってはじめて自己自身を観察できる[523]
- 2-1-1.
科学を境界越しに観察できなければならない.したがって反省は,科学と同一のものでありかつ何か異なるものである.[582]
- 2-1-2.
科学システムの科学的観察は科学システムの作動である.[583]など
- 2-1-3.
観察するためには,区別しなければならない.その時点で科学システム全体を観察することはできない.
- 2-1-3-1.
システムの完全な自己記述は存在しない.
- 2-1-4.
そこで,科学が科学を観察するために「専門分野の分出」が使えるではないか.
- 2-1-4-1.
科学システムのなかで,様々な専門分野が分出することで科学システムのなかで境界ができる.物理学と科学論はお互いに分出しているので,科学論は物理学から境界をとって観察することが可能になる.専門分野はすべて科学システムに属しているので,科学システム内部で観察することになる.
- 2-1-5.
反省論そのものは,自らは記述するシステムのコードに従い,その限りにおいてシステム内部で作動する.[538]
- 2-1-5-1.
対象のコードを受け入れるものは,まさにそうすることによって,外部から記述する意図を放棄する.[539]
- 2-1-5-2.
反省論の作動は,そのシステムそのものの作動だから,反省がされた時点で反省もまた変化する.
- 2-1-5-3.
科学論は、科学の真理に影響を与えるか.
- 2-1-5-4.
たとえば,科学システムのなかに「物理学」と「科学論」があるとして,科学論が「物理学」を観察したところで「物理学」自身にはなんら影響を与えない(与えられたとしても,直接的ではなく,物理学的観察形式を通して).だが,「科学論」が「科学論」を観察[=自己観察]すればそれ自身が科学論の作動になってしまう.
- 2-2.
科学システムの反省と機能システムの反省
- 2-2-1.
科学論もまた,他の反省論とならぶ機能特化した反省論の一つにすぎない.[533]
- 2-2-2.
科学論的な反省を他の機能システムの反省から区別する[539]
- 2-2-2-1.
科学的理論と機能システムの反省論の関係も,科学の場合には異なるものになる
[539]
- 2-2-2-2.
理論は他者言及ができるから,教育システムや法システムを指し示すことができるが,科学システムの観察理論であれば外部ではなく、自己言及になる.
- 2-3.
「社会と科学」の理論からの科学論
- 2-3-1.
科学システムの作動は,ひいては社会の機能分化システムの作動であるのだから,社会的な作動である.だから,科学システムの作動には社会理論でも適応可能ではある.
- 2-3-2.
すべての観察は,それ自体がまた社会的作動であり,それ自体がまた観察可能である.[591]
- 2-3-3.
科学の科学はみずからが主として社会変動に依存していることを知る[590]
- 1-1.
技術はシステムではない?
- 1-2.
応用研究の領域では,さまざまな問題を区別しなければならない.応用領域の価値,規範,利害を考慮に入れなければならないのは,自明のことである.[678]
- 1-2-1.
科学システムと技術(システム)というか,共振というか
- 1-2-2.
TechnikとTechnologyは別概念として考えたほうがいいのか.
→技術の歴史を研究すれば判るように,技術開発は自身の問題解決にさいして既存の科学的認識に立脚しえないのが普通であった.それは,たとえば制御可能な蒸気機関の発明というケースについて言えることである.それはまた,コンピューターの発明についてもそれを作動させる部品の微小化に至るまであてはまる.これはほとんど生産技術だけにかかわる問題であった.[近代科学と現象学 5]