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2013-09-09 掲載 2013-09-12 更新

シンポジウム「making up people:イアン・ハッキングの歴史的存在論」シンポジウム「making up people:イアン・ハッキングの歴史的存在論」

ここには、2013年09月07日(土)に 成城大学において開催した 社会学研究互助会第七回研究会シンポジウム「making up people:イアン・ハッキングの歴史的存在論」における配布資料などを掲載しています。

このコーナーの収録物 重田 園江さん (配布資料) (討議)  
  渡辺 一弘さん (配布資料) (討議)
  浦野 茂さん (配布資料) (討議) ←このページ

※シンポジウムの告知ページがあります。あわせてご覧下さい。

ループ効果と概念の分析──I. ハッキングの自閉症論を手がかりに──
浦野 茂(三重県立看護大学)

浦野報告
1. 目的
2. 背景となる関心
3. ループ効果と相互作用
4. 自閉症をめぐってなされたハッキングの議論とその展開
5. 『自閉症を理解する』
6. 相互作用はいかにして可能か?
7. 課題
文献
レジュメ公開にあたっての追記
討議
鈴木晃仁(指定討論者)
全体討議

1. 目的

1990年代後半以降、イアン・ハッキングは自閉症についてループ効果を中心にしながら、たびたび論じている。これらはたしかに断片的な論考ではあるが、彼のアイデアはほかの研究者に引き継がれ、自症と自閉症者をめぐる社会学的研究として一定の成果を積み上げつつあるように思われる。これらの成果を参照しながら、ハッキングの論考がどのような経験的研究の可能性を提示しているのか、そしてどのような課題が残されているのか、この報告では検討したい。

2. 背景となる関心

  1. 最初に、ハッキングの議論への報告者の関心がどこに由来するのかを明らかにしておく。エスノメソドロジー研究の基盤を作りあげた一人であるH. サックスは、自身の研究対象である人間について、「自らをじゅうぶん適切に記述することのできる動物」と述べていた(Sacks 1972: 36=1989: 105, [1989] 1992: I: 804)。この表現には、人間の社会生活がどのようなものか、そしてこれをどう研究すべきかについて、重要な示唆を含んでいる。その示唆とは次の通り。
    1. 社会生活における行為や活動、経験、出来事は、自然言語の概念によって記述・把握されることにより、理解可能な事柄として、成立している。
    2. したがって社会生活の解明にあたり、この自然言語の概念による記述を不適切なものと見なすことは、論理的にできない。
    3. むしろ反対に、社会生活の個々の事象が何であるのかは、社会成員の概念の用法を参照することによって明らかになるはずである。たとえば、「どのような 状況においてどのような 振る舞いを通じて作りあげられた出来事に対して、『会話』という概念は適用されるのか?」。
    4. したがって社会生活の解明とは、成員の依拠している概念連関──そのつどの振る舞いや出来 事を理解可能なものにする仕方──を明らかにしていくこと、と考えることができる。
  2. この社会生活のなかには科学も含まれる。そして、人間とその社会生活についての科学──「人間科学(human sciences)」(Hacking 2007: 293)──のひとつの特徴は、知る者と知られる者とが同じ言語的資源を共有していること(あるいは共有しうること)にある。このことから次の二つが導かれる。
    1. 一方において、科学的概念とそれによる知識は、対象となる事象が自然言語によって理解可能であることに依拠しながら、組み立てられる。
    2. 他方、科学的概念は自然言語による理解を経由して、対象となる人びとや事象に関係していく。

3. ループ効果と相互作用

  1. 人間科学とその対象である社会生活とのこうした相互構成的関係のことを、ハッキングはループ効果と呼ぶ(→渡辺報告)。すなわち、
    1. 科学的概念とそれによる知識は、対象となる事象が自然言語によって理解可能であることに依拠しながら、組み立てられる̶̶たとえば、児童虐待や遁走の概念がいかなる環境のなかにおいて意味あるものとして形成され、また改められてきたのか。
    2. 他方、科学的概念は自然言語による理解を経由して、対象となる人びとや事象に関係していく──たとえば、多重人格性障害や自閉症の概念がどのようにして自己アイデンティティや行為、過去の感じ方に始まり、社会関係や制度などの新しいあり方の前提を形成していったのか。そしてまたこの結果として、(1)の過程を通して、科学的概念がどのように改められていったのか。
  2. こう整理すると、ループ効果という視点のひとつの意義は次にあると思われる。すなわち、人間科学をも積極的な構成要素として成立している社会生活について、そのつどの局面を理解可能なものとして組み立てるさいの資源である概念連関を明らかにする点である。ちなみにこの点は、ハッキングの見るところの社会的構成主義(社会的構築主義)──科学的概念と知識の社会的原因を明らかにすることによって、これらの相対化を図るアプローチ──に対する、彼の距離の取り方からも確認できる。
    社会的構成の観点からものを語ることの欠点のひとつは、社会的構成という言葉が一方通行を意味してしまうことである。すなわち、社会(あるいはその部分)が障害〔disorder〕を構成するという方向だけを見てしまう(そして、社会が障害を構成するのは良くない、なぜなら障害は社会において述べ られているとおりには存在しない、あるいは社会においてそのように述べられなかったならば実際には存在していないであろうから、と考える)ことである。相互作用する種類のアイデアを導入することによって、社会における記述と障害とが両方通行であること、あるいはむしろ路地が網の目となった迷宮であることを明らかにしたい(Hacking 1999: 116=2006: 257; 訳文には一部、手を加えた)
  3. ここでハッキングは、精神障害にアプローチする仕方として相互作用する種類というアイデアを示している。この種類の弁別性を彼はのちに否定するものの(→渡辺報告)、相互作用というアイデアじたいはループ効果の中心として維持されている。相互作用とは、科学的概念がその対象である社会生活との間の、自然言語の概念を介した相互構成的な関係である。そしてこの関係に焦点を当てることによって、精神障害の概念と知識と社会生活との関係を、自然科学的なアプローチとまでをも否定することなく1、またそれがもたらす帰結をもこの関係の一部として視野に収めるかたちで、捉えることになる。
  4. たしかに、科学的概念の自然言語的な理解可能性への依拠という論点は、精神障害についての自然科学的アプローチと対立するものと見ることもできるかもしれない。たとえば、Vernhoeff (2012)は、ハッキングに依拠しながらそのような議論を展開している。しかし、ある自然的現象の同定・識別が、ある制度と実践において自然言語に依拠してなされるからといって、その現象が自然現象として存在していることを否定することにはならないと思われる。だからこそ、ハッキング自身、精神障害についての生物学的アプローチをわざわざ否定する必要もなく、これらの概念と社会生活との多様な関係を対象にしていくことができるのだと思われる。
  5. 最後に、相互作用についてのハッキングの捉え方を確認しておく。この関係は、概念をとりまく制度や実践の網のなかで、あるいは歴史的な場のなかで生じる、と彼は述べている (たとえばHacking 1999: 103=2006: 237)。したがって、相互作用とは、対象となる科学的概念が用いられる制度的状況や関連する実践のなかで、様々な自然言語的な概念と結びつけられるなかで生じる、こう理解して良いと思われる2

4. 自閉症をめぐってなされたハッキングの議論とその展開

  1. ハッキングによる自閉症についての議論は様々な論点にわたっている。たしかに彼は、自閉症の自然科学的アプローチ(神経科学や遺伝学)の妥当性を明示的に述べる(Hacking 1999=2006, 2012a)。しかしそのうえでの彼の議論の焦点は、自閉症の概念とそれにもとづく知識のループ効果にある。
  2. たとえばHacking (2009)は、自閉症という概念が、日常的社会状況において、直接的な相互理解が困難になる状況に根ざしていることを、心の理論アプローチを批判しながら論じている。またHacking (2009b)は、自閉症の当事者による自伝について、とくにその内的経験を言語化していることのもつ社会的な意義や役割──たとえば他の人びとによる経験の記述への利用可能性や、非自閉者による自閉症経験の理解への利用可能性──について、述べている。さらには、Hacking(1995:2013)では、自閉症をめぐる先駆的研究が自閉症者の当事者との家族的関わりのなかで進められてきたこと、さらにはおもに高機能とされる自閉症者の当人によって、自閉症の概念や治療のあり方をめぐる抗議や訴訟がなされていることが、述べられている。
  3. ただしこれらの議論は、いずれも断片的なものである。したがって自閉症をめぐるループ効果を論じたものとしては、むしろ上記のアイデアに依拠しながら別の人びとによって展開された著作が参考になる(Nadesan 2005, Eyal and Hart et al. 2010, Silverman 2012)。論じられている歴史的状況や事象は、それぞれ異なっている。以下では、Silverman (2012)について簡単に紹介してみたい。この研究は、L. カナーの早期幼児自閉症の症例報告に始まる自閉症研究の歴史を描くとともに、これらの研究が家族や医療従事者、当事者にいかなる帰結をもたらせたのかについて、文献的検討をおもに通じて描いたものである。

5. 『自閉症を理解する』

  1. 1943 年にL. カナーによって一群の児童の行動パターンを記述するものとして自閉症の概念(早期幼児自閉症 early infantile autism)が用いられて以来、すでに70年が経過した。この間、この概念は大きな変化を経てきた。そして、採用される治療法や、自閉症者と治療者、家族の関係のあり方も同様である。
  2. 当初は心因性の精神疾患とみられてきたこの障害は、一方で自閉症者の養育者である親たちからの抗議と、他方での疫学的調査研究の展開によって、1960 年代以後、神経学的な発達障害として再概念化されていく。こうした再概念化は、自閉症者に対する治療方法と治療の場を大きく変えていく。自閉症が心因性の精神疾患とされていた当初は、家庭から切り離された診療所などの場において、自閉症者に対する精神療法にもとづく治療がおもに行われていた。これは、自閉症の原因を親子関係(おもに母子関係)に原因を想定していたため、原因となる関係から切り離した治療環境において心理学的な次元に対して治療が行われていた、という事情による。
  3. 他方、神経学的な発達障害として再概念化されていった後、おもな治療法は、行動主義にもとづく行動修正法へと移っていく(Rutter and Schopler 1978=[1982]2006)。これは、発達障害である以上は治療のおもな目的が、治癒ではなく、行動修正による社会適応となる事情による。なお、こうした概念と治療実践の変化は、同時に治療の場と家族の位置づけの変化でもあった。自閉症児への有力な行動修正法の提唱者I. ロヴァスは、親を「共同治療者」として──原因としてではなく──位置づけ、そのためのトレーニング──治療ではなく──を行うとともに、家庭をも治療実践の場として捉えた。この点はショップラーによって開発されたTEACCH においても同様である。
  4. 自閉症のこうした概念変化と治療法の変化は、もっぱら医学的調査研究の結果として生じたというわけではない。自閉症の心因論は、疾患のおもな原因として親の養育上の問題を指摘していた。そのため、自閉症児の親たちの多くは養育上の問題を指摘されることになり、時に傷つき、時にこれに反論を行ってきた(Hacking 1999: 115=2006: 256)。そして上で述べたような概念変化は、こうした親たちの働きかけをも一因としている。実際、こうした概念変化のきっかけとなる研究を公表したB. リムランドやM. ラター、L. ウイングは、自閉症児の親でもあり、リムランドはB. ベッテルハイムを強く批判している(Rimland 1964)。
  5. こうした自閉症の概念変化は現在も進行している。遺伝学的調査研究が自閉症の遺伝子的基盤の解明を進めている一方で、自閉症の当事者たちによって自閉症の概念を書き換える働きかけもなされている。こうした活動の主張を要約的に表す概念として、しばしば「神経学的多様性(neurological diversity)」あるいは「神経的多様性(neurodiversity)」という概念によって表現されるが、それは概ね次のようにまとめることができる(Singer 1999: 64; Ortega 2009)。
  6. 従来、自閉症は、それが心因性の疾患として把握されるかそれとも神経学的障害として把握されるかにかかわらず、いずれの場合にも自閉症者個人の、あるいは個人にそなわる問題として、捉えられてきた。他方、この自閉症当事者の活動において、こうした障害の概念は、個人と周囲の人びととの間に存在する問題として捉え返されていく。すなわち障害とは、個々人の神経学的多様性を理解せず、許容しない周囲との関係のなかに、そして周囲の誤解の結果として、存在する。したがってこの主張は、関係の結果を原因と取り違えているとの廉で、障害を個人の問題とする見方を批判することになる。さらには、批判は、従来の適応主義的な治療法とこれを実践してきた医療専門家や親たちにもおよび、自閉症者の当事者運動はこれらの人びととの間に対立をもたらすことになった3(Sinclair 1993)。

6. 相互作用はいかにして可能か?

  1. このシルヴァーマンの議論は、ループ効果を自閉症概念について、ハッキングの議論に忠実に展開したものと思われる4。私自身、とても興味深く読み、多くを学んだ。とはいえ疑問──ただし違和感ではなく、なにかが決定的に足りないという印象──が残る。それを以下に述べる。
  2. かりに精神障害に関わる概念が、それによって呼び指される人びとやその周囲の人びとにとって何らかの意味をもち、あるいはそれに対する抵抗を人びとの側に引き起こすようなものだとすれば、その概念は具体的な実践の中でその他の様々な概念と結びつけられて人びとに理解可能なものとなっているはずである。たとえば自閉症の概念が、ある人びと(それが適用される人びとであれ、その家族であれ)にとって、どのようにしてその生活に入り込んでくるのだろうか。かりに親にとってみれば、育児書や相談機関などの様々な資源があるものの、そのような機会をそもそも自身とその子どもにとって関連あるものとして参照するためにも、まずは日常生活における様々な状況が存在しなければならない5。そしてもしそうだとするならば、自閉症の概念と人びとの「相互作用」は、日常生活の様々な状況のなかで、相互行為や社会的場面を組み立てる様々な概念などと実際に結びつけられ、そのなかで理解可能なものなって、始まると考えることができる。精神障害の概念のレリヴァンスは、日常生活上の様々な概念連関の中に埋め込まれている。そしてそれを通じて、人びとは精神障害に関わる概念と「相互作用」することができるのである。
  3. 以上を、精神障害の概念のレリヴァンスの問題と便宜的に呼んでおく。そしてハッキングの議論について、この問題を指摘しているのが、M. リンチである(Lynch 2001, 喜多 2009, 前田 2009)。彼はE. ゴフマンのアプローチを引き合いに出しながら、このレリヴァンスの問題に焦点をあてていく。そしてこうしたレリヴァンスの問題を視野に入れるためには、精神障害の概念が埋め込まれている日常生活や制度的場面の実践とその概念連関を参照しなければならない、と指摘する。ともするとハッキングのアプローチにとってはこうした要素の意義は、お題目としては述べられるものの、実際の分析においては夾雑物として扱われているようにも見える。
  4. もっとも、こうした扱いは、リンチの指摘した要素が「個人の生が……構成されていく」エピソード(Hacking 2002: 288)あるいは「ありふれた対人関係の力学」(Hacking 2002: 100=2013: 211)として捉えられているかぎりは、妥当なのだろう。だからハッキングは、フーコーとゴフマンを、相補的な論者として位置づけている──精神医療について、抽象的な言説と制度の歴史的由来を明らかにしたフーコーと、対人相互関係の力学を扱ったゴフマン、と。
  5. しかしリンチがゴフマンの議論を引き合いにしながら行っている批判はこうしたものではない。それぬきでは、精神障害に関わる概念のレリヴァンスが失われ、したがって「相互作用」じたいが不可能になるような基盤としての概念連関について、指摘しているのである6。したがってハッキングは、ほんらい強い批判的含意の込められたリンチの指摘を、ただの補足点を指摘したものであるかのように誤解していると思われる。

7. 課題

ハッキングは、心的概念の意味に言及するなかで、概念の意味はそれと固有に結びついた実践の網の目に埋め込まれて成り立っていると述べていた。そして概念の分析とは、概念が相互に結びつきながら実践を形づくるその連関を明らかにすること、となると思われる。もしそうだとすれば、人びとと科学的概念との「相互作用」を成立させている様々な実践について、こうした作業を行っていくという課題が残されているように思われる7

文献

Eyal, J. B. Hart. et al., 2010, The Autism Matrix : The Social Origins of the Autism Epidemic, Sage.
Hacking, I., 1995a, Rewriting the Soul: Multiple personality and the Sciences of Memory, Princeton U. P.
────, 1995b “Looping effect of human kind,” Sperber, D., D. Premack and A. J. Premack eds., Causal Cognition: A multidisciplinary Debate, Oxford U. P., 351-83.
────, 1999, The Social Construction of What?, Harvard U. P. =2006, 出口康夫・久米暁(訳)『何が社会的に構成されるのか』岩波書店.
────, 2002, Historical Ontology, Harvard U. P. =2012, 出口康夫・大西琢朗・渡辺一弘(訳)『知の歴史学』岩波書店.
────, 2004, “Between Michel Foucault and Erving Goffman,” Economy and Society, 33(3), 277-302.
────, 2007, “Kinds of people: Moving targets,” Proceedings of the British Academy, 151, 285-318.
────, 2009a, “Humans, aliens & autism,” Dædalus, 138(3), 44-59.
────, 2009b, “Autisitic autobiography,” Philosophical Transactions of the Royal Society, B, 364, 1467-1473.
────, 2012a, “Interviewed by Andrew Lakoff,” Public Culture, 24(1), 217-232.
────, 2012b, “Two histories of autism, one by an outsider, one by an insider,” BioSocieties, 7, 323–326.
────, 2013, “On the ratio of science to activism in the shaping of autism,” Philosophical Issues in Psychiatry III: The Natrue and Sources of Historical Changes, University of Copenhagen, 11th May, (URL, 2013年7月12日).
喜多加実代, 2009, 「触法精神障害者の「責任」と「裁判を受ける権利」──裁判と処罰を望むのはだれなのか」酒井泰斗・浦野茂・前田泰樹・中村和生(編)『概念分析の社会学──社会的経験と人間の科学』ナカニシヤ出版, 99-129.
Lynch, M., 1995, “Narrative hooks and paper trails: The writing of memory,” History of the Human Sciences, 8(4), 131-143.
────, 2001, “The contingencies of social construction,” Economy and Society, 30(2), 240-254.
前田泰樹, 2009, 「ナビゲーション<1>」酒井泰斗・浦野茂・前田泰樹・中村和生(編)『概念分析の社会学──社会的経験と人間の科学』ナカニシヤ出版, 3-9.
Nadesan, M. H., 2005, Constructing Autism: Unravelling the ‘Truth’ and Understanding the Social, Routledge.
ニキリンコ, 2002, 「所属変更あるいは汚名返上としての中途診断」 石川准・倉本智明(編)『障害学の主張』 明石書店, 175-222.
Ortega, F., 2009, “The cerebral subject and the challenge of neurodiversity,” BioSocieties, 4, 425-445.
Rutter, M. and E. Schopler, eds., 1978, Autism: A Reappraisal of Concepts and Treatment, Plrenum Press. =[1982]2006, 丸井文男監訳 『自閉症』 黎明書房.
Sacks, H., 1972, “An initial investigation of the usability of conversational data for doing sociology,” in Sudnow, D., ed., Studies in Social Interaction, Free Press. =北澤裕・西阪仰(訳)「会話データの利用法──会話分析事始め」北澤裕・西阪仰(編)『日常性の解剖学──知と会話』マルジュ社, 93-173.
────, [1989]1992, “‘Introduction’ 1965,” Lectures on Conversation, I, Blackwell, 802-805.
Silverman, C., 2011, Understanding Autism: Parents, Doctors, and the History of a Disorder, Princeton U. P.
Sinclair, J., 1993, “Don't mourn for us,” (URL, 2012 年10 月16 日).
Singer, J., 1999, “‘Why can't you be normal for once in your life?’ From a ‘problem with no name‘ to the emergence of a new category of difference,” Corker, M. and S. French eds., Disability Discourse, Open U. P., 59-67.
浦野 茂, 2013a, “Treating autistic spectrum disorder as a problem of social relations,” The 11th Conference of the IIEMCA, (URL)
────, 2013b, 「発達障害者のアイデンティティ」『社会学評論』64(3),予定.
Verhoeff, B., 2012, “What is this thing called autism?: A critical analysis of the tenacious search for autism's essence,” Bio Societies, 7(4), 410-32.
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レジュメ公開にあたっての追記 (2013年9月12日)

 シンポジウム当日に配布したレジュメに対し、書誌情報の訂正と、第2節導入部の若干の追記を行いました。以下は、レジュメについて若干の補足です。
 私の報告の目的のひとつは、ハッキングの議論に対して行われてきたM. リンチの批判を、積極的論点として取りあげることでした。両者が現実に接点をもち、この接点が共通した課題領域の存在を示してくれていることについては、喜多(2009)および前田(2009)において整理されています(書誌情報は、公開にあたって文献表に追加)。これを踏まえながらも、エスノメソドロジー研究の側から積極的論点を提示するならば何があるのか──報告では、この点に踏み込んでみたいと思いました。そしてその論点とは、精神障害の概念のレリヴァンスの問題をどう捉え、どう記述すべきかをめぐるものとなりました。
 ループ効果に触れながらハッキングは、分類概念と分類される人びとは手に手を取り合って発達するのだと述べています(Hacking 2002: 106f.=2012: 223)。そのうえでもさらに、そもそも両者が手に手を取り合い、そのもとで進んで行くということは、一体どのようにして成し遂げられているのだろうか──こうした問いが残っています。そして精神障害のレリヴァンスの問題とはこうした問いのことを指しています。  おそらくこの問いに答えるためには、具体的事例に向かうことが必要となると思います。たとえば、ある人びとの生活において、どのような状況のなかで精神障害の概念が関わりあるものとされるのでしょうか。あるいはクリニックや関連施設において、どのような実践の組み立てを通じてこの概念が関わりあるなものとされるのでしょうか。
 たしかにこれらの事柄を、任意の分類概念の存在を前提にした上での個別的エピソードとして整理することもできるかもしれません。しかしその一方で、これらの分類概念は、こうしたエピソードのそれぞれを理解可能なものとして実現している概念連関に支えられてはじめて、現実の人間に関わりあるものとして成立し、存続しえているはずです。したがって具体的事例においてこうした概念連関について把握していくことは、「任意の分類概念を前提とした上で、その具体的事例を見る」以上の意味をもつのではないでしょうか。むしろ任意の分類概念が人びとについて分類として存在しているということ自体について、明らかにしていく作業であると思われます。
 リンチによる批判は、以上の点をめぐって示されており、またこの点がハッキングには届いていないように思われました。したがってこの点を明らかにすることが報告の目的でした。 このことにもう一度立ち返り、残された課題の所在を明らかにすることが、私の報告の目的でした。  

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討議

指定討論

鈴木 晃仁(精神医学史)
[暗示について: シャルコーのヒステリー論を例に]
浦野 茂
[多重人格障害とジャネ、統合失調症の症状]
鈴木
[ループ効果を引き起こす装置・道具立てとは: クラフト・エービングの出版物──「同性愛は精神疾患である」──と同性愛者たちを例に]
浦野
[高校生の療育の場における反抗]

質疑応答

[シルヴァーマンの書籍の性格とは]
[ループ効果を引き起こすもの の重み・順位付けについて]
[ループ効果まわりの話はラベルを中心に論じるべきなのか]
[リンチのハッキング批判の意義について]
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