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二元図式化 と 『信頼』

ルーマン
『信頼:社会的な複雑性の縮減メカニズム』第12章(第一版1968、第2版1973)
大庭健&正村俊之訳(勁草書房、1990)

だからここは『大論理学』某所の、ものすごくコンパクトな「要約」なわけで。
「コード化」の議論に関しては、→こっちも参照。

文中、〔 〕は、翻訳者による挿入。

訳書p.166
 したがって、システム合理性は、信頼にのみ固有なものではない。むしろ、システム合理性は、信頼と不信の両方にまたがる水準にあり、いいかえれば、根源的な世界関係を信頼ないし不信という構造化された二つの選択肢へと二肢図式化することにある(6)。この〔信頼/不信〕という二肢図式化の利点は、より厳密に定式化され特定化された二肢コード──例えば、合法/不法や真理/非真理といった二肢コード──と比較することができよう。これらすべてのケースにおいて、互いに対立しあう状況規定は、はじめは論理的に交換不能な値としてあった。しかしながら、二肢図式化によって、それらの状況規定は、単なる否定をつうじて互いに転換しうるかのごとく扱われるようになる。それによって、一方の形態から他方の形態への移行が容易になる。そして両者は、互いに自らの対立物として把握されることによって互いに歩み寄ってくる。こうして、合理性が獲得されるのである。というのは、対立物への移行が容易になり、そうした移行を統制することができれば、システムを確定することに伴うより高度なリスクに耐えうるようになるからである。〔ただし〕真理コードや法コードと比べて、信頼のメカニズムが相対的に劣り、その「技術化の程度」が相対的に低いことは、とりわけ再否定するのにより大きな困難さが伴うということに示されている。つまり、信頑はたやすく不信にかわるが、反対に、不信はそう簡単には信頼にかわらないのである。

続き=以下おまけ。

 以上のような考察は、倫理学が受け入れた立場とは似ても似つかぬものとなっている。倫理学によれば、信頼が原則で、不信はあくまでも例外であるべきだとされている。したがって、疑わしい場合には信頼が優先されねばならないものの、不信のための余地も残しておくべきだ、ということになる。けれども、右の考察によれば、遵守可能な行為を指示する上で、信頼と不信がこのように利用されることはありえない。信頼と不信は、個々のケースを決定する際には両立しない。だから、両者の関係は、倫理学のような行為科学からすれば、原則/例外-図式にしたがって二者択一的な意味で構成されざるを得ない。〔しかしながら〕信頼と不信をシステムに関連づけ、しかも一般的なメカニズムとして捉えるならば、事柄や状況が十分に分化しているかぎり、信頼と不信は相互に高めあうことができる。たしかに、個々のケースにおいて信頼を抱くべきか不信を抱くべきかについては、このような抽象的な水準の考察からそれ以上の指示は得られない。その点についての決定を根拠づけるには、個々のシステムに関してはるかに正確な分析を行なうほかない。けれども、信頼のメカニズムの合理性に関する判断や、そのメカニズムが機能を果たす上で必要な一定のシステム的諸条件に関する判断は、システム論的に根拠づけることができる。

以下おまけ2

p.194
第10章注1
 この点については、J.W. Thompson 1963* による二種類の両極関係の区別を参照せよ。一方の極を否定すると、他方の極が十分に定義される場合には、変換可能な両極関係が存在することになる。その反対の場合には、変換不能な両極関係が存在することになる。この区別は重要な警告機能をもっている。しかし、もっぱら否定的に規定された、変換不能**な両極関係がいかにして構成されるのか、という問いは、未解決になっている。我々はここで研究された事例に関して、機能的等価の原理に依拠して考えることにする。

* The Importance of Opposites in Human Relations. Human Relations 16 (1963) 161-169.
** 「変換可能」の誤訳(あるいは誤記)ではないかと思われる[←酒井付記]。

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