エスノメソドロジー |
ルーマン |
研究会 |
馬場靖雄論文書庫 |
そのほか |
D | S | C | 論考 | 著作集/邦訳 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
1711 | ヒューム、エディンバラに生まれる。 | |||||
1743 | コンドルセ、エーヌ県リブモンに生まれる。 | |||||
1751 | ヒューム『道徳原理研究』(「moral science」) | |||||
1776 | ヒューム死去 (65) | |||||
1789 | ベンサム『道徳および立法の諸原理序説』 | |||||
1794 | コンドルセ、パリ獄中にて自殺 (51) | |||||
1798 | コント、モンペリエに生まれる。 | |||||
1806 | J.S. ミル、ロンドンにて生まれる。 | |||||
1820 | スペンサー、ダービーに生まれる。 | |||||
1822 | コント『社会再組織のための科学的プラン』 | |||||
1826 | コント「実証哲学講義」開始 | |||||
- | 1830 | コント『実証哲学講義』(~42) | ||||
00 | 1833 | D 11/19、モスバッハ(現ヴィースバーデン市)に生まれる。父はナッサウ公国宮廷牧師、モスバッハ・ビープリヒ教会参事官、母は音楽教師。 | ||||
D ハイデルベルク大学入学。私講師クーノ・フィッシャーに師事。 | ||||||
- | D ベルリンのヨアヒムスタール・ギムナジウムの教師、文芸評論や書評の執筆者 | |||||
- | 1843 | J.S.ミル『論理学体系』(第6巻が「モラス・サイエンスの論理学」) | ||||
1845 | コント『実証精神論』 | 世界の名著 36(1970) | ||||
- | 1848 | J.S.ミル『経済学原理』 | ||||
1849 | ミル『論理学体系』ドイツ語訳刊行される | |||||
1851 | スペンサー『社会静学』 | |||||
1855 | スペンサー『心理学原理』 | |||||
24 | - | 1857 | コント死去 (59) | |||
25 | 00 | 1858 | S 3/1、ベルリンに生まれる デュルケーム、ロレーヌのエピナルに生まれる。 |
|||
26 | 01 | 1859 | J.S.ミル『自由論』。 フッサール、オーストリア帝国プロスニッツにて誕生 |
|||
1860 | スペンサー『総合哲学体系』 | |||||
31 | 06 | 1864 | D バーゼル大学員外教授 (ブルクハルトと知己に)。 D 論理学者ミルに関心を持つ。 ウェーバー、プロイセン王国エルフルトにて誕生。 |
D De principiis ethices Schleiermacheri.(Diss.) | ||
34 | 09 | 1867 | D Logik und System der philosophischen Wissenschaften. | |||
36 | 11 | 1869 | D キール大学 | |||
37 | 12 | 1870 | 『シュライエルマッハーの生涯 I』 | |||
38 | 13 | - | 1871 | D ブレスラウ大学 (ヨルク伯と知己に) | ||
40 | 15 | - | 1873 | J.S. ミル、フランスのアヴィニョンに滞在中に死去 (66) | ||
41 | 16 | 00 | 1874 | C 7/28、シュレジエンのブレスラウ(現在のポーランド領ヴロツワフ)に生まれる。 | ||
42 | 17 | 01 | 1875 | D Über das Studium der Geschichte der Wissenschaften vom Menschen, der Gesellschaft und dem Staat. | ||
43 | 18 | 02 | 1876 | S ベルリン大学入学 | ||
48 | 23 | 07 | 1881 | S 博士学位取得 | S 「カントの物理的単子論による物質の本質」 | 04 |
49 | 24 | 08 | 1882 | D ベルリン大学教授(ヘルマン・ロッツェの後任) | ||
50 | 25 | 09 | 1883 | D 『精神科学序説』第1巻 | 01 | |
52 | 27 | 11 | 1885 | S ベルリン大学私講師 | D Logik und Erkenntnistheorie. (-86) | |
53 | 28 | 12 | 1886 | デュルケーム、ドイツ留学 | ||
54 | 29 | 13 | 1887 | フッサール『算術の哲学』 | ||
56 | 31 | 15 | 1889 | ハイデガー、バーデン大公国メスキルヒに生まれる | ||
57 | 32 | 16 | 1890 | D Beiträge zur Lösung der Frage vom Ursprung unseres Glaubens an die Realität der Außenwelt und seinem Recht. Auffassung und Analyse des Menschen im 15. und 16.(1890/91) |
||
1880 | S 『社会分化論──社会学的・心理学的研究』 | 居安正(1970) | ||||
59 | 34 | 18 | 1892 | C ベルリンのフリードリヒ・ヴィルヘルム大学入学 | D Das natürliche System der Geisteswissenschaften im 17. Jahrhundert | |
S 『道徳科学序説』(-93) S 『歴史哲学の諸問題』(第一版) |
01 | |||||
60 | 35 | 19 | 1893 | C ジンメルのカント講義を受講 デュルケーム『社会分業論』 |
||
61 | 36 | 20 | 1894 | S 「社会学の問題」 | ||
62 | 37 | 21 | 1895 | デュルケーム『社会学的方法の規準』 | ||
64 | 39 | 23 | 1897 | デュルケーム『自殺論』 | ||
67 | 42 | 26 | 1900 | フッサール『論理学諸研究1』、 ガダマー誕生 |
D 『解釈学の成立』 S 『貨幣の哲学』 |
02, 03、居安正 ![]() |
68 | 43 | 27 | 1901 | フッサール『論理学諸研究2』(←ディルタイ激賞)、ゲッチンゲンへ | ||
69 | 44 | 28 | 1902 | パーソンズ誕生 | S 『芸術の哲学』 | 10 |
70 | 45 | 29 | 1903 | スペンサー、死去 (83) | ||
71 | 46 | 30 | 1904 | ウェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」 | ||
72 | 47 | 31 | 1905 | D ベルリン大学退官 第1次ロシア革命 |
D Die Jugendgeschichte Hegels. Studien zur Grundlegung der Geisteswissenschaften 『体験と創作』 |
岩波文庫(1961) |
S 『モードの哲学』 | ||||||
73 | 48 | 32 | 1906 | C ベルリン大学私講師 | S 『近代の哲学と科学における認識問題1』 S 『カントとゲーテ』 |
谷川徹三(1928)、大鐘武(2004) |
74 | 49 | 33 | 1907 | S 『ショーペンハウアーとニーチェ』 C 『認識問題2』 |
05 | |
75 | 50 | 34 | 1908 | S ハイデルベルク大学哲学正教授に落選 | S 『社会学─社会化の諸形式についての研究』 | 居安正(上![]() ![]() |
76 | 51 | 35 | 1909 | S 「橋と扉」 | 12 | |
77 | 52 | 36 | 1910 | マートン、フィラデルフィアに生まれる。 | D 『精神科学における歴史的世界の構成』 S 『哲学の根本問題 現代文化の葛藤』 C 『実体概念と関数概念』 |
06 |
77 | 53 | 37 | 1911 | D 10/1、死亡。満77歳。 | S 『文化の哲学』 | 07 |
- | 54 | 38 | 1912 | デュルケーム『宗教生活の原初形態』 | S 『宗教』 | 居安正![]() |
56 | 40 | 1914 | S シュトラスブルク大学哲学正教授に就任。 サラエボ事件、第1次世界対戦(~1918) |
|||
58 | 42 | 1916 | S 『レンブラント』 S 『自由と形式──ドイツ精神史研究』 |
08 | ||
59 | 43 | 1917 | 第二次ロシア革命 デュルケーム死去 (59) |
S 『社会学の根本問題(個人と社会)』 | 清水幾太郎(1978)、居安正(2004) | |
60 | 44 | 1918 | S 9/26、シュトラスブルクで肝臓癌のため死去。 ドイツ革命(ドイツ皇帝退位) |
S 『生の直観』 C 『カントの生涯と学説』 |
09 | |
- | 45 | 1919 | C ハンブルグ大学教授 ベルサイユ条約調印、ワイマール憲法公布 |
|||
46 | 1920 | 国際連盟発足 ウェーバー、ミュンヘンにて死去 (56) |
S 『認識問題3』 | |||
47 | 1921 | S 『理念と形姿──ゲーテ・シラー・ヘルダーリン・クライスト』 | ||||
48 | 1922 | ソビエト社会主義共和国連邦 成立 ゴフマン誕生 |
S 『学校教育論』 | |||
52 | 1926 | フーコー誕生 | ||||
53 | 1927 | ハイデガー『存在と時間』 ルーマン誕生 |
C 『ルネッサンス哲学における個と宇宙』 | |||
54 | 1928 | イタリアでファシスト独裁体制 | ||||
55 | 1929 | C ダヴォス討論。(カッシーラー55歳✕ハイデガー40歳) ハーバーマス、デュッセルドルフに生まれる。 |
||||
56 | 1930 | デリダ誕生 | ||||
58 | 1932 | C 『啓蒙主義の哲学』 | ||||
59 | 1933 | C イギリスに亡命。オックスフォード大学講師(~1935) ヒトラー、政権樹立 |
||||
63 | 1937 | パーソンズ『社会的行為の構造』 | C 『現代物理学における決定論と非決定論』 | |||
64 | 1938 | フッサール死去 (79) | ||||
65 | 1939 | C スウェーデンのヨーテボリ大学教授(~1941) | ||||
67 | 1941 | C イェール大学(~1943) | ||||
68 | 1942 | C 『文化科学の論理』 | ||||
69 | 1943 | C コロンビア大学 ルーマン、高射砲部隊の補助隊員として動員される |
||||
70 | 1944 | C 『人間』 | ||||
71 | 1945 | C ニューヨークにて没す。 | ||||
- | 1946 | マートン『大衆説得』 ルーマン、フライブルク大学入学 |
C 『国家の神話』 | |||
1949 | パーソンズ、アメリカ社会学会長 | |||||
1950 | C 『認識問題4』 | |||||
1951 | パーソンズ『社会体系論』 | |||||
1954 | ルーマン、リューネブルク高等行政裁判所の裁判所長官助手 | |||||
1955 | ルーマン、ニーダーザクセン州政府に派遣され、文部省に勤務。(~1962) | |||||
1956 | マートン、アメリカ社会学会長 | |||||
1958 | ウィンチ『社会科学の理念』 ルーマン「行政学における機能概念」 |
|||||
1960 | ガダマー『真理と方法』。 ルーマン、ハーバード大学の行政学大学院に留学(~1961) |
|||||
1961 | 実証主義論争@ドイツ社会学会 | |||||
1962 | ハーバーマス『公共性の構造転換』 ルーマン、シュパイヤー行政専門大学校の参事官(研究調査職)に転職 |
『第1巻 精神科学序説Ⅰ』 2006年 『第2巻 精神科学序説Ⅱ』 2003年 『第3巻 論理学・心理学論集』 2003年 『第4巻 世界観と歴史理論』 2010年2月 『第6巻 倫理学・教育学論集』 2008年12月 『第7巻 精神科学成立史研究』 2009年7月 『第8巻 近代ドイツ精神史研究』 2010年11月 『体験と創作 (上下)』、小牧健夫・柴田治三郎訳、岩波文庫 『近代美学史 近代美学の三期と現代美学の課題』 澤柳大五郎訳、岩波文庫 『ルネサンスと宗教改革 15・6世紀における人間の把握と分析』 西村貞二訳、創文社, 1978年 『青年時代のヘーゲル』 甘粕石介(見田石介)訳 三笠書房、1938年
第1巻 歴史哲学の諸問題 (生松敬三/亀尾利夫訳) 第2巻 貨幣の哲学(上)分析篇 (元浜清海ほか訳) 第3巻 貨幣の哲学(下)綜合篇 (居安正訳) 第4巻 カント/カントの物理的単子論 (木田元訳) 第5巻 ショーペンハウアーとニーチェ (吉村博次訳) 第6巻 哲学の基本問題/現代文化の葛藤 (生松敬三訳) 第7巻 文化の哲学 (円子修平/大久保健治訳) 第8巻 レンブラント (浅井真夫訳) 第9巻 生の哲学 (茅野良男訳) 第10巻 芸術の哲学 (川村二郎訳) 第11巻 断想 (土肥美夫/堀田輝明訳) 第12巻 橋と扉 (酒田健一ほか訳)
残念ながら存在しません。