ここには、2011年08月28日に成城大学にておこなった 社会学研究互助会第一回研究会「哲学者、エスノメソドロジーに遭う」における配布資料を収録しています。
この会は、鈴木生郎さん（形而上学）と井頭昌彦さん（科学哲学）のお二人から 『ワードマップ エスノメソドロジー』 と 『概念分析の社会学』 に対する感想を伺ったうえで、研究会と懇親会の中間くらいの ゆるふわ な雰囲気での意見交換・交歓を目指す、という企画でした（告知文）。　当日は 40人ほどのご参加をいただき、活発な議論が交わされました。
当初、資料の公開は予定していませんでしたが、閉会後に多数のリクエストをいただきましたので、お二人に公開をお願いした次第です。
この頁には鈴木生郎さんの配布資料を掲載しています。

1 自己紹介

• 分析哲学、特に分析形而上学という分野を専門にするポスドク（学位なし）
• 分析形而上学は、ごく大ざっぱに言えば、「世界に何が存在するか」、「私たちとは何ものか」、「私たちは本当に自由なのか」といった古典的な形而上学的問題を、分析哲学で蓄積されてきた論理的道具立てなどを駆使しながらできるかぎり明晰に考えようというもの。
• 今日は分析形而上学の話題に限定してお話するのではなく、より広く（分析）哲学研究者としてお話する予定。ただし、当然哲学を代表できる知識があるわけはないので、適宜出席している他の哲学者の方々に助けを求めたい。

2 EMとの遭遇

• 「ゆるふわ形而上学」という会合を通して酒井さんに出会う。
• 私が信じる基本的な法則「面白い人が興味を持っていることは面白い」。 この法則を酒井さんについて適用した結果、今回の課題図書（『エスノメソドロジー』 と 『概念分析の社会学』）に出会う。
• 実際、課題図書を読むと、単に一読者としてだけでなく哲学研究者として大変面白い。その後酒井さんに内容に関する質問などをさせていただいているうちに、「EM研究者による井頭さんの歓迎会に付属した、インフォーマルな会合」に誘っていただき、今日に至る。
• 私がEM について話すにふさわしい哲学研究者であるかはわからないが、人を繋げられるように努力したい。

3 今日お話する内容

1. まず、課題図書を読んだ全体の感想を簡単に。
2. 次に、私が課題図書を読み興味深いと感じたEMの特徴を述べ、それぞれに関連しそうな論点や質問などを話題の材料として提示。

4 全体を通した感想

• 参考図書が、基礎概念についての整理された教科書（『エスノメソドロジー』）と、多彩な応用研究（『概念分析の社会学』）という組み合わせになっていて、EM の基礎とその広がりを知ることができる。特に、文献、索引、ナビゲーションやFAQ の充実は素晴らしい。
• そして、哲学者として一番驚いたのが、ウィトゲンシュタインや日常言語学派のように理論的な営みにあまりなじまないと思っていた伝統を受け継ぎつつ、社会理論として大規模に展開していた点。

5 概念分析の手法としてのEM

5.1 EMの記述的探求としての側面

• EM に関して私が第一に興味をもったのは、実際の概念使用の実践を、 会話や映像を用いて大規模かつ詳細に記述し分析するその手法。
• 概念分析は、（それが哲学においてどこまで中心的な課題であるかについては現在様々な異論が存在するものの）哲学において極めて中心的な課題。例えば、私たちが自由であることと決定論が矛盾するかどうかを知りたいならば、自由であるという概念が何を意味するのかを分析する必要がある。
• こうした概念分析は、哲学者が何らかの理論を構築したり、相手を批判したり、哲学的問題を解決（解消）したりする上で必須の手段。
• しかし、哲学者の概念分析は、基本的には「職人芸」で個人的色彩の強いもの。つまり、哲学者がいろいろな例を思い浮かべ、自分で適切性をチェックしながら分析する。近年では、こうした概念分析の妥当性を定量的な手法でチェックしようとする流れ（実験哲学）もあるが、分析のプロセスそのものにはあまり変更はなさそう。
• EM の興味深いのは、こうした個人的なプロセスをより協同的かつ経験的な営みにし、様々な概念が実践の中でどう用いられているかを大規模に調べることを可能にすること。実際にEMは、こうした手法によって私たちの概念使用や、それに関わる様々な規範に関して多くの知見を蓄積しつつある。
• こうした手法は、特に複雑に連関した概念を体系的に分析するときには非常に力を発揮するように思われるし、哲学者は学ぶところが大きいは ず。さらに、この側面は特定の思想的立場とは独立に有意義であり得る。

5.2 哲学的概念分析との違い

• もちろん、EM の概念分析の手法と、典型的な哲学的概念分析の手法には大きな違いがある。とりわけその違いが顕著だと思われるのは、哲学者が概念分析を行う際に思考実験という手法を用いてきたこと。思考実験とは、現実には生じない架空の事例を考察することで、概念分析を精緻化したり、特定の概念分析を批判したりする営み。例：フランクファート事例、ゲティア事例。
  • 以下、哲学的概念分析の感じを掴んでいただくために、フランクファート事例をごく大ざっぱに説明する 。
  • 責任についての標準的な概念分析：責任についての標準的な分析によれば、「ある行為について責任がある」という概念と「他の選択肢を選ぶことができた」ということには密接な関係がある。すなわち、ある人が自分の行為A について責任を負うのは、その人にA をしない選択肢があった場合だけだとされる。例えば、私が自分の行った窃盗行為の責任を負うのは、私が窃盗行為を行わないことができた場合だけ。脅迫等によって私が窃盗を「せざるをえない」状況に追い込まれていたならば、私がその行為の責任を負うことはない。
  • この分析は、責任についての常識的な理解からしても一定の説得力がある。例えば、ある人が自分が行った行為について責任がないことを立証しようとして、「ほかにどうしようもなかったんだ」と主張することはよくある。これは要するに、「自分にその行為を行わない選択肢がなかった」ことを根拠に、「自分がその行為の責任を負わない」ことを示そうとしている。つまり、こうした主張は、標準的な分析に従ったものになっている。
  • フランクファート事例は、この標準的な概念分析に対する反例として提出されたもの（H. フランクファート「選択可能性と道徳的責任」（門脇俊介、野矢茂樹編・監修、『自由と行為の哲学』 所収））。ただし、以下の例はフランクファート自身のものとは異なる）。
  • フランクファートは、思考実験として次のような事例を考える。例えば、私が太郎を殺すことを計画しているとする。ここでさらに、私による太郎の殺害を確実なものとしようと企む悪の科学者がいるとしよう。この科学者は私の頭に小さな機械を埋め込む。この科学者は、この機械を通じて私の心の動きをモニタリングしており、私が太郎を殺さない判断を下したことを知るやいなや、この機械を通して私を操って太郎を殺させる。しかし、私が太郎を殺そうとする決意が揺るがないかぎり、科学者は私に何もしない。
  • さて、こうした状況で、私が何の迷いもなく太郎を殺したとしよう。この場合は、科学者は機械を通じて私の行為を観察していただけであって、一切行為に介入していない。このとき、常識的な判断に従うならば、私は、明らかに太郎を殺害したことについて道徳的責任を負うように思われる。
  • しかし、標準的分析に従うならば、私は太郎を殺害したことについて責任を負わないことになる。なぜなら、私は、どのような決断を下したにせよ太郎を殺していたのであり、私が太郎を殺さないという選択肢はまったくなかったから。しかし、これは、私が太郎を殺した責任を負うという常識的判断と食い違う。こうした理由から、標準的な責任概念の分析には、重大な問題があるとフランクファートは論じる。
  • （以上の議論は、必ずしも哲学者のすべてが受け入れているものであるわけではないことに注意。ここでのポイントは、私たちが現実には決して出会わないような場面を想定することが、哲学的概念分析において重要でありつづけてきたことを紹介することだけ。）
• こうした手法は、現実の実践に着目するEM 研究者にとってはかなり抵抗のあるものではないかと推測される。さらに、ここにはもしかすると、下でも述べるようなEMのウィトゲンシュタイン的な側面との緊張があるかもしれない。
  後記：当日は、こうした哲学的概念分析に対して、疑念はほとんど表明されなかった。しかしこれは、私の事例の説明があまりうまくなかったせいである可能性も高い。本来は、EM の概念分析と哲学的分析が関わるような具体例を出すべきだったが、この点は私の力不足。
• こうした問題は、EM と分析哲学の方法論の違いに関わる問題であると共に、思考実験に基づく哲学的概念分析をどう評価すべきかという大問題にも関わる。そのため、すぐにどうにかなる問題ではないが、EM との関連で考えるべきことになりそうな点。
• （ただし、こうした違いがあるからと言って、哲学者がEMから多くを学べるという点は覆されないだろう。）

6 「ウィトゲンシュタイン的」理論としてのEM

6.1 EMのラディカルな側面

• EM は、規範的な概念使用についての記述的研究という側面に留まらない、非常にラディカルな側面がある。
• 第一に、様々な社会学的、哲学的課題を、社会の成員が具体的に直面し解決している実践的問題として捉え直すという側面（例えば、ミクロ／マクロ問題（WM, pp. 58-60））。
• 第二に、成員の実践と切り離された外在的な評価視点を拒否するという側面（例えば、合理性に関して（WM, pp. 77-8））。
• 例えば、戸田山和久氏が科学哲学の文脈においてEM を高く評価するのは、まさにこの点のため（戸田山和久「ウィトゲンシュタイン的科学論」、『岩波講座現代思想１０：科学論』 所収）。つまり、科学理論の正当化といった認識論的課題を、科学者が直面する実践的課題として捉える点や、科学理論に対して外在的なメタ理論を構築しないという点に基づいてEM が評価されている。
• その一方で、『エスノメソドロジー』 は、こうした傾向がすぐに反実在論や相対主義に陥らない理由を丁寧に説明しようとしている（例えば、WM, 4-3)。
• こうした点で、EM は「ウィトゲンシュタイン的」枠組みの現代的な展開として哲学的に興味深いものになっていると思う。（こうした点については、ぜひウィトゲンシュタイン研究者にも感想を伺ってみたい。）

6.2 どこまでラディカルなのか

• 他方で、こうしたEMのラディカルな側面にはいくつかの不安も感じる。
• 例えば、哲学の幾つかの問いには、実践上ほとんど問題にならない極めて外在的なものがたくさんある。特に形而上学はそういった学問。例えば、自由意志と決定論の問題や哲学的懐疑論など。こうした問いは、規範的実践と因果的世界像とを統一的に理解しようとしたり、私たちの正当化の営み全体を評価したりするような極めて外在的な問い。こういう問いは、EM 的な枠組みからすると擬似問題ということになりかねないのだろうか。
• また、こうしたかなり抽象的な哲学的問いだけでなく、実践そのものの道徳的評価、正当化といった課題も問題になりうるように思われる。こうした問いは、EM の中でどのように位置づけられるのか。

7 さらに幾つかの質問

• そもそも以上の私のEMの理解は適切なものか。また、両者はどこまで密接な関係にあるものと理解されているのか。
• また、哲学者がEM に関心を持つというのはかなりありそうだと考えるが、他方で、逆はどうなのかというと心もとない。EM から哲学に期待することや、哲学がEM になしうるかも貢献というものはありうるのだろうか。こうした点を含め、いろいろご意見などをいただければ嬉しい。

8 その他の話題

• 自然主義との関連について。
• 心についての因果的な理解と規範的な理解について。