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作成:20151008 更新:20170622

酒井泰斗「ルーマン解読2:小山裕さんと『制度としての基本権』を読む」
(2015年10月09日・11月13日・12月04日、朝日カルチャーセンター新宿)

この頁には、2015年10月から12月に朝日カルチャーセンター新宿にて開催した「ルーマン解読2」講義における質疑応答などの一部を収録しています。 小山裕さんによる著作紹介、講義当日の応答の再録と、講義後にいただいた質問に対する回答が含まれており、署名のない項目はすべて酒井によるものです。

概要
第一回講義(2015.10.09 小山講義)
  • Q101. ルーマンの立場
  • Q102. 社会学的記述と規範的主張との関係
  • Q103. 前期と後期の違い
第二回講義(2015.11.13)
  • Q201 行動科学とは
  • Q202 ハーバーマスにおける行動科学
  • Q203 研究の基礎概念としての予期
第三回講義(2015.12.04)

概要

講義のねらい

これまでも比較的よく読まれてきたルーマンの小著を、彼の研究構想全体に関連づけて、また〈大陸における社会理論の伝統への対峙〉と〈北米の行動諸科学の摂取〉という二側面に注目して読み解く講座の二冊目です。今回とりあげる 『制度としての基本権』は、憲法学におけるいわゆる「人権論」を社会学的に基礎づけ直そうとしたものですが、〈コミュニケーション理論によって内実を与えられた機能分化論〉を中心に据えた社会理論の構想を最初に提示した著作であるという点で、ルーマンの数ある著作の中でも特に重要なものです。
ゲスト講師紹介
小山 裕 (東洋大学社会学部講師)
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。東京大学文学部助教を経て現職。
主著に 『市民的自由主義の復権』(勁草書房より刊行予定)。
主な論文に「ニクラス・ルーマンの政治思想」『思想』(2015年 1月2月3月)、「観察する科学としての社会学の誕生」『現代思想』(2014年12月)など。

(小山 裕)
『制度としての基本権』に関する三つの質問

Q01. 本書で ニクラス・ルーマンが 取り組んだのはどのような課題ですか。

 一言で言えば「公法学の法律実証主義批判のやり直し」です。特に憲法学のいわゆる人権論を社会学の道具立てを用いて基礎づけ直すという試みが行われています(なお統治機構論におおよそ該当する内容は『手続きを通しての正統化』で扱われています)。「国家学から国法学へ」といういささか単純化された標語で概括されることもあるように、19世紀後半のドイツでは、パウル・ラーバントを中心に、国家は法律学の手法を用いて考察すべきであるという主張がなされ、それが大きな影響力をもちました。これに対して、特に1920年代に入ると、そうした国法学に対する批判が噴出します。『制度としての基本権』は、おおまかにはこの法律実証主義批判の系譜に属しますが、それを憲法学内部からではなく、社会学の枠組みに則って、ある意味で「外在的に」行おうとする点に特徴があります。

Q02. それぞれの課題に対して、ルーマンが与えた回答はどのようなものですか。

 尊厳、自由主義自由、所有権、職業選択の自由、選挙権、法の下の平等といった基本的な諸権利は、機能分化という社会構造の成立・維持と不可分の関係にある、ということを示そうと試みました。同時代の議論との関係で興味深い点は、そうした権利の一つとして「コミュニケーションの自由」を非常に重視している点です。ユルゲン・ハーバーマスの『公共性の構造転換』は、カール・シュミットの『憲法理論』の批判的継承という側面を強く含みますが、その中で生まれた市民的公共圏との共通性を見出すことができます。

Q03. こうした課題に取り組むことにはどのような意義がありますか。

 いかに崇高な理念や権利であっても、法律や憲法律に条文として記載さえされれば、あるいは「正しい」解釈や解釈変更が行われさえすれば、直ちに十全に現実化するわけではありません。法律や条例に記載された諸理念は、行為の「正当な根拠」として用いられることで、現実に対して大きく作用しうることは言うまでもありませんが、その一方で有名無実化しているものも数多くあります。同様に、新たな法的規制のしくみを整えれば、よりよい世界が到来すると考えるのも、あまりに素朴にすぎるでしょう。このような現実を前に、どのような社会構造があれば、法律の条文に書かれていることが十全に実現されるのか、と問うルーマンの社会理論は、さまざまな法の実現、権利の行使が、それぞれいかなる社会構造に支えられているのか、という問いに取り組むためのヒントを提供してくれるに違いありません。(小山 裕)

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第一回講義(2015.10.09)

小山講義 配布資料見出し

  1. 基本情報 通時的脈絡
  2. 共時的脈絡
  3. ルーマンのシュミット批判
  4. その後のルーマン

質疑応答

Q1a01 ルーマンのスタンス

法に関するルーマンのスタンスは「法実証主義」だと考えてよいのでしょうか。
小山
そうだと思います。 「素晴らしい条文を作れれば、あとはそれを守れればよい」というのが通常の実証主義的な考え方だとすれば、ルーマンの場合は「素晴らしい条文があったとしても、その時々の社会の変化に応じて 空文になってしまいうる。条文を支え・うまく機能させるための社会構造について考え・それを守ることのほうが大切なのだ」と考えます。つまり、法実証主義を支えているものについて理論的に考察しようというのがルーマンの立場です。
「法実証主義」にもいろいろあって、英語圏とドイツでは若干ニュアンスが違うのですが、この点では、ルーマンは時によってぶれている様に思います。
ベンサム~オースティンの法実証主義というのは、その背後に「法は主権者からの命令である」(人為的に定められたものであって自然に定まっているものではない)という考えを持つものですが、ドイツの法実証主義は「理性を使ってみんなで発見して制定したものだ」という考えが強いものです。
つまり、一方では、「実定法というものは、つねにすでに政治的な過程のなかで・自分たちの意志で変え続けることがことができるものだ」と言ったかと思えば(英米風)、他方では、「一度定められたものがうまく機能するためには、その背後に何が必要なのか*・それをどうすれば維持できるのか を考えなければならない」とも言います。
* 答えは「機能分化」という社会構造。

Q1a02 社会学的記述と規範的主張との関係

Q1a03 前期と後期の違い

後期の著作を読んでいると、基本的に、「社会の複雑性が増大すると必然的に機能分化社会になっちゃいますよ」と書いてあるように読めるのですが、初期のこの本では、「政治システムが暴走すると全体主義になっちゃうので、それを止めるために基本権を守らなければいけないよ」と述べているように読めます。前期と後期では、この点でスタンスの変化があったのでしょうか。

Q1a0 国家緊急権について

ルーマンは、シュミットの「憲法制定権力の政治的決断」という議論を批判していたんだ、というお話がありました。これに関連して、シュミットの国家緊急権に関する──憲法では処理できないような突飛な出来事に対しては、政治が決断によって処理するしかないのだ という──議論に対しては、ルーマンはどのように考えていたのかについて教えて下さい。

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第二回講義(2015.11.13)

講義概要

第9章「社会的分化の理論」


質疑応答

Q2a01 行動科学とは

本書序文では、旧来の規範的な学問(法学)と新しく勃興してきた経験科学との関係が問われていました。
  1. 「行動科学」と「経験科学」はどのように使い分けられる言葉なのでしょうか。
  2. 本書でルーマンが行動科学の代表例だとしているのは、アーモンドやイーストンなのでしょうか。
※参照箇所(序文 []内は段落番号)
[03] 経験的社会科学はある畏怖の念を抱きつつ[法ドグマ]を忌避するのが普通である。… 合理的経営や合理的組織化をめぐる学問と社会学との関係においてもそうである。[法に関する議論において生じていることは]ちょうど「公式組織」という概念を通して古典的な経営学的組織理論の成果が組織社会学へと導入されていったことと同様の事情にある。…
[05] …これに反して、社会学は機能をめぐる問いを投げかけることによってドグマーティッシュな取扱いとは別の可能性に視野を開こうとする。それは神聖なものを可変的なものとして扱い、その現実の意味をそれの代替可能性の条件の中に見出そうとする。それは…認識の確実性を、変容可能性の視野の構造への洞察*を通して求めようとする。
[06] 国家思想は、ドグマーティッシュな解釈と機能的な社会科学というオルタナティヴを前にして、いずれの方向に進むべく決断すべきか。… かかる観点の拡大を巡って争われた知的前線は、既に1920年代に成立していたが、… 政治学、政治社会学、組織科学の領域における画期的な研究および理論的試みは、そもそもそれが注目された場合でも、他の(主要には「アメリカ的」)諸学問のテーマとみなされたにすぎず、それゆえ視界から払い除けられてしまったのである。
[07] … [国家思想は]無知という大きな退避塹壕に守られながら、解釈の自由と方法とに関する討論へのめりこみ、さらに憲法と基本権部分の技術的なドグマーティクの構築へのめりこみ、その中で自らを見失う危険にさらされている。…
[08] 一般的状況がこのようなものであってみれば、近代国家に関する統一的な学問的テーマを貫流し、経験とドグマーティク、行動科学と「理解」的意味科学とを区別している溝を埋めることから始めることは、やりがいのある仕事だというべきであろう。その場合、折衷主義的な手続や方法論的混交主義の外見を呈するいかなるものも厳に避けられなければならない。… このような企図は、その [1] 出発点と [2] 問題設定と [3] 概念的準拠枠とが十分に精確に示された場合にのみ、成功をおさめうる。それゆえ我々は包括的な綜合という道を取らない。我々が取るのは、理解可能で吟味可能でありたいと願う例示的分析の道である。
  1. 「行動科学」は 1940年代末にシカゴ周辺で作られた言葉ですので、「19世紀の行動科学」のような言い方はできないといったことはありますが、基本的には互換的に使われているのではないかと思います。
    • ただ、少なくともこの箇所(の周辺)では、〈経験科学/規範科学〉、〈行動科学/意味科学〉という対照がおこなわれてはいますね。
  2. 本書は、基本的人権というものを「政治システムの中での価値の働き」という観点から捉え直そうとしたものですから、課題がこのようである限りで、まずはアーモンドやイーストンなどいった政治システム論者が召喚されることになるわけですね。
    • こうした主題的な枠を外すと、さらに社会心理学やハーバート・サイモンなどの名前が挙がってくることになります。

Q202 ハーバーマスにおける行動科学

ハーバーマスの『社会科学の論理によせて』にも「行動科学」の項がある、という紹介がありましたが、これはルーマンが謂う「行動科学」と同じものなのでしょうか。
はい。
『社会科学の論理によせて』の構成はこんな感じでした。
  タイトル 主に扱われているもの
第1部 自然科学と精神科学の二元論 新カント派(含ウェーバー)
第2部 社会的行為の一般理論の方法論によせて    行動主義と行動科学:
  • アーペル
  • スキナー
  • チョムスキー
  • パーソンズ&マートンなど
第3部 経験的-分析的な行為科学における意味理解の問題 解釈主義:
  • 現象学的社会学とエスノメソドロジー
  • ウィトゲンシュタインとウィンチ・ガーダマー
第4部 現在に関する理論としての社会学 批判理論への展望
「行動科学」は、科学に関する二元論を設定していた新カント派に対抗する位置に、論理経験主義による統一科学構想の後続者として登場します。いまから振り返ってみると、この時期──1960年代後半──は「認知」という言葉が急速に普及し始めた時期でした。この欄にチョムスキーが入っているということは──チョムスキーが最初に名を挙げたのはスキナーの批判によってだったわけですから──、後に認知科学と呼ばれるようになる行動主義・行動科学に対する批判も、行動科学の一貫として扱われていたことを意味します。
ここに名前が挙がっていないもののうち、ルーマンにとって特に重要なのはハーバート・サイモンですが、サイモンの「決定」概念にも行動主義に対する批判の意味があったことを想起してください。

Q203 この研究の前提:予期について

配布資料で、「研究の前提」として引用されている序12段落を敷衍してください。
※参照箇所:「序」第12段落(最終段落) [箇条書きは引用者]
「時間的・事象的・社会的に」と訳すべき所、「事象的」が落ちておりますね。
  1. 制度は、時間的・社会的に一般化された行為態度予期であり、
    • かかるものとして社会的システムの構造を形成している。
  2. その限りで、そしてその限りでのみ、それは法の実定化の可能的対象となる。
  3. 同時にそれは、社会秩序の中でのその機能を問う問の構造要素
    • それはそれでまた法が実定化される経過を思考を通してコントロールすることを可能にするのだが
    として置かれている。
構造的-機能的なシステム理論という手段をもってする基本権分析は 基本権ドグマーティクを豊穣なものとなしうる という我々のテーゼは、このような連関に立脚しているのである。
(今井ほか訳 13-14頁)
  1. Institutionen sind zeitlish, sachlich und sozial generalisierte Verhaltenserwartungen
    • und bilden als solche die Struktur sozialer Systeme.
  2. Insofern ‐ und nur insofern ‐ sind sie möglisher Gegenstand rechtlisher Positivierung.
  3. Zugleich sind sie als Strukturkomponenten der Frage nach ihrer Funktion in der Sozialordnung ausgesetzt,
    • die Ihrerseits eine gedanklich Kontrolle des Vorgangs der Rechts positivierung ermöglicht.
Auf diesem Zusammenhang beruht unsere These, daß eine Grundrechtsanalyse mit den Mitteln der Strukturell-funktionalen Systemtheorie die Grundrechtsdogmatik befruchten könnte.
(S. )
一般化した予期としての制度
これらが、研究対象の側の事情です。 こちらが研究の側の事情です。
  1. 本文中、sie の指示先はすべて「制度」なのでしょうが、これだとかなり狭くて強い主張を結果するように思います。解説の方では、すべて「予期」に対する注釈だという解釈を記しました。というわけで、この解釈にはやや自信がありません。
  2. 細かいことをいうと、この時期と後の時期ではかなりターミノロジーが変わっているように見受けられます。「社会秩序の中でのその機能を問う」という文における「社会秩序」は──『法社会学』の記載なども勘案すると──おそらく「全体社会の秩序」のことなのでしょう(「法は全体社会の構造である」が『法社会学』の中核テーゼなので)。後年では、こうした言い方はしなくなります。
    またそもそも「制度」も、基礎的な術語ではなくなります。

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第三回講義(2015.12.04)

講義概要

質疑応答

Q301

スライドに「機能の潜在性:透明性・日常性」という表現がありますが、潜在性・透明性・日常性にはどのような関係があるのでしょうか。
透明性と日常性は、潜在性を敷衍するために使った表現です。

Q302

Q303

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