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このコーナーの収録物 | 告知文 | (←このページ) | |
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報告者 | 廳 茂さん | ||
指定討論者 | 鏑木政彦さん | ||
記録 | 当日のディスカッションの一部 |
このコーナーには、2013年12月22日に中央大学理工学部にて開催した ニクラス・ルーマン研究会 第一回公開研究会「ディルタイと社会学」の告知文を掲載しています。
公開研究会第一回目のテーマは「ディルタイと社会学」です。
ジンメルを中心とする社会学史研究に携わってこられた 廳 茂さん をお招きし、通常よりも少し長めに時間をとって基調報告をおこなっていただきます。
指定討論者にはディルタイ研究者の 鏑木政彦さん にお願いしました。
報告はいくつかのセクションに分け、全体討議と休憩も はさみつつ進めます。
理解社会学の成立前史について・ディルタイに焦点をあてたかたちで 参加者のみなさんと議論できればと思います。
「ディルタイと社会学」という問題は、社会学史においてはやくから提起されてきた問題であるが、なかなか解き明かしにくい難問でもありつづけている。
今日ディルタイの名は思想史や社会学史において、むろんけっして大きなものではないことはいうまでもないが、流行のテーマの一つともなっている。この数十年、ディルタイの思想とハバーマス、いやそれどころかルーマンの社会学説との親和性が語られているからである。さらにギデンスやバウマンが解釈学を論じていることも、むろん関係している。そこで問題となっているのは、ディルタイにおける精神科学の方法論というよりも、社会や意味の概念のあり方、約言すれば社会像である。つまり、ディルタイの社会像の現代思想に対するアクチャリティが今日議論されているのである。
本発表の狙いは、こういった議論を踏まえつつ、問いをもう一度社会学史における「ディルタイと社会学」問題に差し戻してみることにある。ディルタイの精神科学論に含意されていた社会像に着目する、総じて暗黙のというべきだろう視点は、19世紀末から20世紀初頭にかけて、すでに存在していた。多くの社会学者が今日的な概念として使用している分化、システム、構造、相互作用、意味といった諸タームは、この時代に、とりわけディルタイにはすでに出揃っていた。そのことを、同時代の論者たちの一部は承知していたと思われる。だがにもかかわらず、のちに社会学と呼ばれることとなる学の形成にかかわった尖鋭的な人々は、一般にディルタイの社会像の受け入れに躊躇するところがあった。なぜだろうか。問題を社会学史に差し戻すことで、私はこの問いを考えてみたいと思う。 >>全文を読む
神戸大学 廳 茂 (2013年8月17日)
「ディルタイと社会学」という問題は、社会学史においてはやくから提起されてきた問題であるが、なかなか解き明かしにくい難問でもありつづけている。
今日ディルタイの名は思想史や社会学史において、むろんけっして大きなものではないことはいうまでもないが、流行のテーマの一つともなっている。この数十年、ディルタイの思想とハバーマス、いやそれどころかルーマンの社会学説との親和性が語られているからである。さらにギデンスやバウマンが解釈学を論じていることも、むろん関係している。そこで問題となっているのは、ディルタイにおける精神科学の方法論というよりも、社会や意味の概念のあり方、約言すれば社会像である。つまり、ディルタイの社会像の現代思想に対するアクチャリティが今日議論されているのである。
本発表の狙いは、こういった議論を踏まえつつ、問いをもう一度社会学史における「ディルタイと社会学」問題に差し戻してみることにある。ディルタイの精神科学論に含意されていた社会像に着目する、総じて暗黙のというべきだろう視点は、19世紀末から20世紀初頭にかけて、すでに存在していた。多くの社会学者が今日的な概念として使用している分化、システム、構造、相互作用、意味といった諸タームは、この時代に、とりわけディルタイにはすでに出揃っていた。そのことを、同時代の論者たちの一部は承知していたと思われる。だがにもかかわらず、のちに社会学と呼ばれることとなる学の形成にかかわった尖鋭的な人々は、一般にディルタイの社会像の受け入れに躊躇するところがあった。なぜだろうか。問題を社会学史に差し戻すことで、私はこの問いを考えてみたいと思う。
その核心的な理由は、私のみるところ、今日自明のように語られている社会と意味という二つの概念を連結しようとする言説戦略の可能性と有効性をめぐる迷いにこそあった。では、どういう逡巡なのか。それを解明するのが本発表の主眼である。この解明は社会学史上の問題としては、第一級の難問の一つであり、なかなか手をつけにくいのだが、解きほぐす手掛かりはあるように思う。それは、この時代おそらく、O.シュパンなどとならんで、いやおそらくはシュパンよりはるかに集中的にディルタイの社会像の端緒と対峙した人物であると思われるジンメルとの関係を介在させてみることである。つまり、「社会と意味」という副題に、「ディルタイとジンメル」というもう一つの潜在的な副題を重ねてみるのである。この方法によってのみ、おそらく我々は事態への一定の見通しをはじめて得ることができるだろう。この両者には重大な相似性が存在した。相互作用概念という両者の思想の根本概念は、その、しかしあくまで一つの典型にすぎない。だが他方においてジンメルは、社会と意味の両概念を接続することに意外なほど慎重だった。すでにコミュニケーション・メディア論を予感させる萌芽的発想がジンメルにあったことを考えると、このことは不思議なことである。周知のように、ウェーバーは、ディルタイからではなく、ジンメルから着想を得て、理解社会学を構想する。しかし、ウェーバーが自身の前提においているジンメルの社会学は、理解社会学ではなかったのである。のちの社会と意味の関係づけをめぐる社会学的議論がほとんどすべてウェーバーを起点として始まっているのは、そのためである。ではなぜジンメルは社会と意味という二つの概念を結びつけることにそれほど躊躇したのか。この問いはジンメルのディルタイへの対応の問題に直結しており、さらにディルタイの社会学的インプリケイションをどう考えるのかという問題に相即している。とはいえ、ジンメルは周知のように他者の名を引照しながら思想を展開する人物ではなく、「ディルタイとジンメル」という問題そのものが、厄介な問いであることは断っておきたい。
私は、本発表においてディルタイの社会像、とりわけ「社会と意味」という問題をめぐって展開された、同時代における錯綜した議論の一端を振り返りたいと思う。理解社会学論史の原点ともいうべき事柄への社会学史的な考察である。ジンメルは、その主要な登場人物のひとりだが、他にも副次的にいま名前を挙げたシュパン、さらにE.トレルチ、H.フライヤー、W.ゾンバルト、ならびに今日ほとんど思想史研究において忘却されてしまっている何人かの人物にも言及する予定である。「ディルタイと社会学」の関係を「社会と意味」問題という視角から議論するには、少し当時の思想的コンテクストを踏まえる必要があるからである。ディルタイの思想のアクチャリティを問うことは、本発表の直接の目的ではない。とはいえ、社会と意味という二つの概念が当時異質の関係でもあり、その両者をめぐって複雑な抗争の劇が展開されたことを示すこともあり、また現代において問われている問題と過去において問われていた問題との継続と相違についても触れることになるので、今日自明視されがちのこの両概念の連結論を少し距離をおいて反省してみる機縁にはなるかと思う。逆にいえば、この連結が今日なぜそれほど有効で魅力があるのか、それが過去においてそれほど自明でも簡単でもなかった理由をめぐる詮索を議論の素材として提供することでルーマンを専門とする論者の方々と少し意見を交わしたいと考えている。