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このページには、前田泰樹・水川喜文・岡田光弘 編『ワードマップ エスノメソドロジー』(新曜社、2007年)の「エスノメソドロジーに関するよくある質問と答え」の一部を掲載しています。
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Q02 ミクロな現象を見ているだけでは、マクロな現象(社会構造、文化、制度)は扱えないのでは? | A この誤解の原因は、エスノメソドロジー研究者がよく使っている、「ローカルな現象が相互行為における実践的な社会学的な推論によって達成される仕方を記述する」といった言い方に起因しているかもしれません。ここにミクロという語は見られませんが、「ローカル」といった語を地理的な概念だと思うと、いわゆる、ミクロな場面だけを指示しているように見えてしまうかもしれません。しかし、エスノメソドロジーにおけるローカルという語は、その現場、その場面といったことを指しています。ローカルを強調することは、ミクロを扱い、他のマクロの社会学の視点を補完するということではないのです。この語の使用は、それぞれの実践や活動において、適切に関連があるものを切り離さず、ひとまとまりとしてその論理を扱うという研究の方法と結びついています(Winch 1958=1977*)。意味のまとまりですから、意味のつながりに適切さがある限りにおいて、地理的には地球規模で分散しているローカルも可能です。たとえば、研究の対象が、地球規模の流通を扱う企業といったものであるなら、その「ローカルな」なかに、世界経済全体の見取り図が含まれるということになります。 エスノメソドロジーの目的は、メンバーがその手で、ひとまとまりの「ローカルな」場を発見したり記述したりする方法を同定することにあります。社会秩序に可視性を与え、組織化する方法は、すべて、その場ごとの「ローカルな」ものであり、行為(ミクロ)と社会構造(マクロ)とを分析的に切り離してしまうことはできません。「ドキュメンタリーメソッド」【1-3】を援用して表現するならば、「行為」と「社会構造」のあいだの関係性について、「因果的」に考えずに、相互に構成する「パターン」と「詳細事項」の関係として考えるべきで、ある人の行為が何であるかは、それがその一部となっている社会構造が何であるかに依存してしか認識できません。逆に言うなら、ふつうの社会学が求めている社会構造は、理論化によって、もともとあった場から切り離されて記述された社会構造だということになります。そうした営みは、理論化によって切り離すことで生み出した「ミクロ‐マクロ」という区別に自ら縛られてしまっているのです。(岡田) * Winch,P. 1958, The Idea of a Social Science and its Relation to Philosophy.
London Routledge & Kegan Paul. (=1977, 森川真規雄訳『社会科学の理念:ウィトゲンシュタイン哲学と社会研究』 新曜社) |
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Q04 現在の現象を見ているだけではもっと長い時間にわたるような現象は扱えないのでは? | A まず、エスノメソドロジー研究が現在の現象を扱っているというときの、「現在」という表現が問題含みです。エスノメソドロジーが扱っている現象は、直線的な時間軸から幅を決めて単に切り取ってきたものではないからです。たとえほんの短い会話であっても、参加者たちは、そこでの時間の流れを共有する活動を行ないながら(【6-1】)し、「質問 - 答え」のように、ある行為とそれに続く行為とを、前に置かれる(べき)ものと後に置かれる(べき)ものとの時間的な順序関係のもとで結びつけています(【6-2】)。エスノメソドロジーが扱っているのは、こうした時間を秩序づけるメンパーの方法なのです。ガーフィンケル(Garfinkel 1964=1989*)は、「会話内での出来事」を理解するためには「会話展開の内部から」の「時間的パラメーター」が必要だと述べていますが、この言葉は、こうした時間が備えている構成的性格をよく指し示しています。 そして、時間を秩序づけるメンバーの方法という観点からするならば、「長い時間にわたる現象」というのも、その秩序づけのあり方の特徴との関係において考えなければならないでしょう。身近な例では、ニュース報道において、異なった時間と場所において行なわれた出来事が、コ連の出来事」として秩序づけられることがあります。このような出来事を産出し、理解するメンバーの方法を、ローダーとネクヴァピルは「対話的ネットワーク」と呼んで、それが「会話内での出来事」のような構造をもって実践されていることを明らかにしています(Leudar & Nekvapil** など)。 さらに、【9-16】の注において、記憶と歴史の関係について述べたように、時間を秩序づける実践のなかには、歴史を産出するワークというものまで含まれうるのですから、もはや単純に「現在」の現象を扱っているとは言えないはずです。リンチとボーゲンが注目したように、特定の事件の歴史と、その事件にかかわるさまざまな当事者たちが、公聴会や法廷での公的な探求を通じて、歴史を産出するワークとの結びつきを、エスノメソドロジーは、研究できるのです。当然ながら、さまざまな実践に参加するメンバーは、さまざまな探求を通じて、遠い音のことを遡って記述するようなこともするはずです。そして、現在と過去を時間的な順序関係を秩序づけて扱う方法論をメンバー持っているのであれば、EM研究者もそれを扱うことができるのです。 なお、上にあげた先行研究は、「過去」のことを「専門的」に記述する歴史家のワークを扱ったものではありませんし、残念ながら、大量の一次資料を読み解くような実践と結びついてなされたエスノメソドロジー研究が、たくさんあるわけでもありません。しかし、だからこそ歴史のエスノメソドロジー研究は、時間を秩序づけるメンバーの方法の研究のひとつとして、今後注目すべき領域であると言えるかもしれません。(前田・是永) *
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Q12 日常的な・常識的な振舞いばかりを見ていては、非日常的な・異常なことがらを扱えないのでは? | A この種の疑間はエスノメソドロジーの成立初期から提示されてきました。列に並ぶあり様やおしゃべりのあり様ではなく、たとえば、犯罪や差別といった社会が抱える問題にアプローチすべきである、というわけです。たしかにEMは、従来の社会学が無視してきた社会の人びとのありきたりの振舞いを扱うことを唱え、「常識的知識・推論」を強調しました。ここで注意すべき点は「常識的知識・推論」の性質です。これらは知識内容というよりは理解の形式や知識産出の方法に言及しています。「アドホッキング」や「解釈のドキュメント的方法」(【1-2】)、「日常会話の順番取得組織」や「隣接ペア」(【6-2】)は常識的世界にだけ存在するものと断定されたわけではありません。今度は、これらが非日常的な活動において用いられているのかどうかが、また用いられている場合にはどのようになるのかが、一つの探究関心となっていくのです。 こうした方向性から、まずは制度的場面の会話分析を提えることができます。たとえば「教室」においても「隣接ペア」は成員の実践の道具立てであったわけですが、ここでは、〈指導-応答-評価〉という特異な形式をとつていたのでした(【7-4】)。また、車椅子利用者の購買場面を扱った研究では、店員が財布の持ち主たる障害者本人ではなく、介助者に財布を開ける許可を申し出てしまうという差別的な事態が〈1人の障害者には1人の優先的な介助者が存在する〉という成員カテゴリー化装置の特質から解明されています(山崎 1993*)。さらには、銃を乱射して殺人を犯した者の犯行時の言動や犯行声明がいかにして理解可能であるのかを解明した研究(Eglin & Hester 2000**)や、罪状取引の研究(Sudnow 1965***)などもあります。 このように、非日常的な、異常な振舞いは常識的推論とまったく異なるわけではなく、かといって常識的推論のままでもありません。両者は言わば、家族のように類似しています。「常識的知識・推論」という名の下に提出された理解の形式や知識産出の方法は、さまざまな実践を探究していく際の出発点を提供しました。その探究の成果をふまえれば、「常識的知識・推論」を出発点としたからこそ、非日常的な異常な振舞いも十分に扱うことができたと言えます。実際、さまざまな実践の研究にエスノメソドロジーのの知見が明に暗に用いられているほどなのです。(中村) *
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