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このコーナーの収録物一覧 | 著者 | 毛利康俊さん(序章構想) |
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評者 | 小宮友根さん、阿部信行さん、大森貴弘さん | |
司会 | 酒井泰斗さん | |
記録 | 当日のディスカッションの一部 |
このコーナーには、2009年08月10日に青山学院大学院大学にておこなった【毛利康俊論文集 出版前検討会】における配布資料を収録しています。
この頁には大森貴弘さんの配布資料を掲載しています。
既発表論文をまとめ、これに基づいて毛利康俊論文について論評する。
上はルーマン自身による図式。
上は小野耕二による図。
毛利の論文にはヤン・フーゼ(Jan Fuhse)の図が肯定的に引用されている。
「政治システムも中心と周縁に構造化されている。政治システムの中心は政治的選択をする選挙であ」ると書かれている。だが、政治システムの中心は、広義の行政(=統治)であり、選挙は公衆から(教義の)政治へのコミュニケーションの流れとして理解されるのであるから政治システムの周縁ではないのか? このような誤解が生じるのも、フーゼの図式に依拠しているからではないのか。
上記の論文には、「政治システムは立法を通じて法システムに影響を与える。立法された法律の法文を参照しつつ、人々は法的行動をとり、裁判所は判決を下すのである。中野敏男『近代法システムと批判』弘文堂、平成五年、一三四頁以下は、オートポイエシス論への転回以降ルーマンはこのような事態を否定するようになったと理解するが、誤解であろう。」
と書かれている。中野が誤解しているかどうかはともかく、中野が論じているルーマンの論文 "Die Einheit des Rechtssystems" が書かれた時期よりも後に、法律の供給論に基づく穴漏れオートポイエーシス論が修正され、立法が法システムのサブシステムとして明確に措定され、政治システムにおける立法への論及が稀になったこと、この点には留意する必要があるだろう。インプット/アウトプット-図式に基づく供給論が放棄され、構造的カップリングの概念による説明に置きかえられたという意味では、変化が存するのではないか。
馬場氏のレイヤー的なシステム観と、毛利氏の主張する音響学としてのシステムとは、いかなる関係にあるのか?