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社会システムの複雑性と統一性

馬場靖雄

  (4) そのような逆方向の議論の一例として、橋爪[1985]の〈言語ゲーム〉論を挙げておこう。「個体主義的な接近の先入見とは、“個体のほうが要素的・根源的で、社会空間の全域に成立する事象のほうが複合的・派生的である”、という了解を前提にすることである。これは、論証の伴わないドグマではないか?……〈言語ゲーム〉論の示唆するところでは、ルール(ないし規範)のほうこそ根源的である」([同:202])。正確にいえば、橋爪は社会が単純で個人が複雑だと見なしているのではなく、単純な社会的ルールによってより複雑なルールを説明しようとしているのであるが。  

(5) 現代社会のなかで「支えのない」状態になってしまった概念のもう一つの例として「相対主義」を挙げることができる。「……相対主義の反対概念は存在しない。したがって、それはもはや何ものをも指し示していない。というのは、この概念によって何が排除されるのかを示しえないからだ」(Luhmann [1992:170])。それゆえに、「ルーマン理論は相対主義に他ならない」とか「相対主義から脱出するためには……」などと論じてみても意味がないのである。可能なのは、ある人が相対主義について語っているとき、彼がどんな区別を前提としている(それを 盲点blinder Fleck の位置に置いている)かを観察することのみである(セカンド・オーダーの観察)。別の言い方をすれば、それらの議論の内容の当否について論じるのではなく、それらの議論において何が見えなくされているのか、またそれらの議論からどんな帰結が生じるのかを観察しなければならないのである。われわれは次節において、「複雑性」概念を対象とするセカンド・オーダーの観察を試みることになる。


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