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ルーマンの68年

馬場 靖雄

注:

1)
法化(Verrechtlichung)はいうまでもなく、本来法システムに関わる問題である。しかしルーマンも指摘しているように、法化をめぐるドイツでの議論は、多かれ少なかれ政治的な含みをもっていた。福祉国家への批判と、生活世界を重視せよとの主張を含意していたのである。隣人によくしてコンフリクトを避けよ、というわけだ。しかしこの種の主張はそもそも法とは無関係である。法はコンフリクトとの 関連でのみ意義を持ちうるのだから(Luhmann 1990, 236-237)。
 法化については、Teubner 1984=1990をも参照。トイプナーもまたこう指摘している。「法化は、単に法の増大を意味しているのではない。それが示しているのは、介入的社会国家が、新しいタイプの法、つまり規制立法を産み出す過程である」(Teubner 1984=1990, 251)。
 念のために付言しておくならばこれは、法化論においては法と政治の関係が法システムからではなく政治システムから観察されているということであって、法と政治が脱分化(Entdifferenzierung)を遂げてひとつのシステムを形成するに至ったというように解釈してはならない。馬場 2001a, 第三章を参照。
 さらにこの種の批判は、現実の政治に対してだけでなく、〈社会民主主義の大勝利〉から生まれた最良の思想的成果のひとつであるロールズの『正義論』に対してもまた、寄せられていることを確認しておこう(千葉 1995, 90)。もっとも逆に、この種の絶えざる異議申し立て=「反システム運動」こそ〈68年革命〉の真の遺産であって、むしろ包括的福祉国家は、この〈革命〉がもっていた「反システム性」を封じ込めるための反革命としてうち立てられたものだったとの評価も可能だろうが(Arrighi/ Hopkins/ Wallerstein 1989=1992, 97)。
2)
だとすれば近年顕著になってきている、若い世代の間での国家主義的言説の蔓延も、やはり68年の後継者の一変種だと言えないだろうか。あるいはそれは、アダム・ミュラーや晩年のシュレーゲルに見られるようなロマン主義的な身振りの反復であると言うべきかもしれない(馬場 1998を参照)。
3)
斉一的で固定的なものを打破して、多様で不定型なものを称揚するというこの発想もまた決して新しいものではないことを、確認しておこう。

 十八世紀の、実際、これに先行するすべての世紀の一般的命題は……、事物の本性(a rerum natura)が存在する、事物の構造が存在するということである。ロマン派にとって、これはまったくの虚偽であった。事物の構造などは存在しない、なぜなら、そのようなものはわれわれを閉じ込めてしまうであろうし、われわれを窒息させてしまうであろうからである。行動のための空間がなければならない。潜在的なものは実際にあるものよりも現実的である。作られるものは死んでいる。あなた方は芸術作品を制作したら、それを放棄しなさい。なぜなら、一旦制作されると、それはそこにあり、駄目になり、去年のカレンダーになっているからである。作られるもの、制作されたもの、すでに理解されたものは、捨てられなければならない。おばろげな感知、断片、暗示、神秘的な光明−−それが現実を把握する唯一の途である。なぜなら、それを限定しようとするどんな試みも、首尾一貫した説明を与えようとするどんな試みも、調和的であり、開始、中間部、終結を示そうとするどんな試みも本質的に、その本質において混沌とし、形をもたず、泡立つ流れであり、自己実現への意志の途方もない大きな流れであるものの歪曲であり、戯画化であって、不条理で冒漬的な閉じ込めの観念であるからである。(Berlin 1999=2000, 174-175)

4)
「持続せる68年革命に対するブルジョワジーの側からの反革命」(? 2001, 198)としてのグローバリゼーション(グローバル資本主義)を、多様性/統一性の両者を考慮しようとするそれなりの試みのひとつとして性格づけることも可能だろう。
5)

Everybody's Got Something to Hide Except Me and My Monkey
誰もが何かを隠してやがる/俺とモンキーだけは別だがね (山本安見訳)

The Beatles (1968)(通称『ホワイト・アルバム』)所収。

6)
この争いは、何らかの基準によって決着可能な選言(あれかこれか)でも、決着不可能性の容認=連言(あれもこれも)でもなく、いかなる基準にも服さない直接的な衝突というかたちで、すなわちゴットハルト・ギュンターのいう「超言」(transjunction)として、生じてくる。
7)
加藤尚武の回想を引いておこう。加藤はある日「……学生運動の先輩にあたるLと出会った。『丸山真男がとっつかまって殴られているから、見に行かないか』」と誘われる。そこで二人は「うっすらと軽蔑の微笑を浮かべたまま沈黙している」丸山を「大学闘争を妨害した」と「告発」している「人前でアジった経験の無さそうな新米の」学生活動家が、まともに抗議しきれないでいるシーンにでくわす。Lは「ブン殴るんだ、さあ殴ろうじゃないか」と扇動し始める。

砂川闘争で鍛えたLの声は大数室のすみずみまで響きわたった。/ざわめきが起こったが、殴りかかるものはいない。再び沈滞しそうになるのを食い止めようと司会役の活動家が丸山に発言を強制した。丸山は歯を食いしばるようにして「私は諸君を軽蔑する」と吐き出したなり、なおも沈黙を続けたが、その間「殴ってしまえ」というLのヤジは効果的に鳴り響いた。丸山の顔が歪んだ。恐怖に対して軽蔑による自負でおのれを取り戻そうとするのだが、顔面の筋肉は軽蔑の微笑に達するよりも前に、恐怖にずり堕ちてしまう。軽蔑を取り戻す努力をいつまでもやめたくないために、彼の顔は果てしなく、果てしなく醜く歪んでいった。(加藤 1986)

 丸山はこの種の場でも常に冷静さを失わなかったとの別の証言もあるようだ。しかし「醜く歪んで」云々という加藤の記述が事実通りであったとしても、それを丸山が「堕ちた」証だと見なすべきではないだろう。発話に効力を与えてくれるのもまたこの身体的次元だからである。

 さらに、この種の「批判」もまた決して新しいものではないのではないかとの疑念も生じてくる。ドストエフスキーが描く、再臨のキリストが大審問官に対して行った(キスによる)「批判」のうちに、その原型を見いだすことも可能だろう。この点によっても示唆されているように、われわれは〈68年〉をターニングポイントetc.として過大評価すべきではない。それはあくまで近代社会に潜んでいた問題を露わにした、(何回めかの)イベントにすぎないのである。

8)
しかしおそらくはまたフーコーやドゥルーズに関しても。フーコーが明らかにしようとしているのは、この区別が、したがって自然法も、また他方で「自然法など存在しない、実定法のみを考えればよい」との言明も同様に、コミュニケーションの特定の(実定的な)布置のもとでのみ効力をもつこと、「なにかを問題や権力と見る観察のリアリティは一定の作動上の効果をもちつつも、特定のコミュニケーションの作動域に限定される」(園田 2001, 172)ことだからである。
9)
この個別性のふたつの相は、馬場 2001b, 52-57で述べておいた「ふたつの『現実』」に対応する。
10)
蛇足ながら上野の議論は、「実践」に注目する構築主義が、「言語論的転回」によって成立した言説至上主義を超えるものであるかのように示唆している点で、ミスリーディングである。「言語論的転回」のうちにはもともと、コンスタティブな次元とは区別されるパフォーマティブな次元への注目という論点が含まれていたからだ。その点でこの転回はむしろ、「語用論的転回pragmatic turn」と呼ばれるべきだろう。したがって「バトラーはフーコー=デリダ的な脱構築的な言説分析に、オースチン=サール流の言語行為論を結びつけることで、遂行性……という概念をもちこんだ」(上野 2001, 299-300)という解釈は、まったくの遠近法的倒錯に基づいている。最初からあったものが、新たなパラダイムをうち立てるために後から付加されたかのように扱われているからだ。

 そしてむろん、この「語用論的転回」それ自体によって何か新しいものが−−構造主義を「超える」ものが−−もたらされるわけではない。このパフォーマティブな次元を統御する文法(構造)へと話を進めることも可能だからだ(そうせざるをえないはずである)。その点ではバトラー=上野は、脱構築「以前」に位置づけられるべきである。

11)
これは批判=転覆の作業に関してのみでなく、何かを擁護しようとする試みに関しても同様に妥当する。例えば普遍的人権の概念を擁護するためには、人権とは何かを明確に定義し、それが何によって根拠づけられ、それを制限することが許されるのはどんな理由に基づいてのことなのかを厳密に論証しなければならないと、一般には考えられている。しかしローティーに言わせればそのような作業が意味をもつのはあくまで哲学者にとってのみであって、実際に人権を擁護するために必要なのは「感情の力」、すなわち現代社会において実際に広く普及している共感能力に訴えることだけなのである(Roty 1993=1998)。
12)
卑近なところから例を取れば、『ゴーマニズム宣言』の次のネームがそうであろう。

もし今 国民がこう言ったとしたらどうだろう/ビッグバンになっても我々はばくちをしてまで資産を増やしたくない/「より金持ちに」という価値観はあきたのだ/日本という国家を信用して郵便貯金と日本の銀行に預けておく/政治家・官僚は「より金持ちに」とは違う価値を我々に示してくれ/例えば「より安全で信頼しあえる国に」……とか!(小林 1999, 12)

13)
この主張は、次のようなかたちで表現されることもある。人はしばしば単一の理論、単一のアイデンティティ、斉一的に通用するはずの常識などに依拠して現実を把握しようと試みる。しかし現実はそれらの単純な道具立てによって把握するにはあまりにも複雑かつ動的である。したがって

私たちは「常識」の拘束力に抗いながら、常識自体を複雑な権力作用の交差する場所として捉え直さなければならないだろう。(山田 2000, 99)

 しかし「世の中は複雑だ」というこの物言い自体、あまりにも単純過ぎはしないだろうか。むしろ次のような逆説的な表現のほうがまだ適切なのではないか。「世の中は複雑だ」と断言するといういう単純な態度が常に通用するほど、世の中は単純ではない。世の中は、時として「世の中は単純だ」との仮定の下で振る舞うほうが適切な場合があるほど、複雑なのである、と(馬場 2001a、第1章を参照)。

14)
水嶋 2000はやはりバリバールに依拠しつつ、市民を特定の「誇張命題」によって定義してはならないとの結論を導き出している。むろんこの点に関しては異議はない。しかし水嶋は、市民のメルクマールを、既存の枠組を(具体的には、国民国家を)打破して人権をより普遍的なものへと拡大していく、その運動のうちに求めようとしている。市民主体の概念によって、「市民権を政治への普遍的権利として定義し、それを無制限かつ力動的な拡張性へと開き続けようとする構想への決定的な移行が画されているのである」(水嶋 2000, 35)、と(Faulkas 2000, 165-166も、同様の議論を展開している)。しかしこの運動は依然として、〈個別−普遍〉という一次元的なハイアラーキーの内部で生じているのではないか。水嶋の考える市民主体も、やはり普遍的審級に服従する存在である。ただその服従の対象が具体的な国家から、決して到達しえない無限遠点へと移されているだけの話である。あまりにも手垢の付いた言葉をあえてもう一度用いるならば、これは一種の「否定神学」ではないだろうか。むろんわれわれも、国民国家を打破することが市民主体がもたらす最も重要な効果(のひとつ)であろうとは考えている。しかしそれはあくまで帰結であって、市民主体のメルクマールそのものではない。後で述べるように、市民主体は単一のハイアラーキの内部に位置づけられる(固定点としてであれ運動としてであれ同じことだ)のではなく、複数の普遍性の狭間に棲まわせられねばならない。
15)
またバリバールは同様の観点から、「誰でもないこと、言いかえれば、なりたいすべてのものであること、出会いのままに、結合、融合、混合、必要、有用性のままに、そこにはいかなる秩序も軸も特権的な名前もなく、ある人格や役割から別の役割に変動すること」を称揚する、「ある種のポストモダン的ユートピア」を批判してもいる(Balibar 1998=2000, 154-155)
16)
だからこそバリバールは、例えばイスラム原理主義を、西欧が確立し、世界中に普及した普遍的人権の概念に背を向けて特殊性に固執する態度と見なすことに反対しているのである。

〔バリバールが示唆したいのは〕ある種のイスラム教への言及の仕方にも人権の要求と人権の普遍化があり、それに内在する矛盾は、普遍的なものの我有化、つまり西欧の権力がその要素のなかに横取りした解釈の独占という、別の矛盾に対する対応でしかないという事実である。世界のイデオロギーの舞台は、普遍主義と特殊主義の対立の舞台ではまったくない。それはむしろ、虚構の普遍性どうし、普遍性への敵意どうしの対立の舞台であり、普遍主義自体のなかの対立の舞台であろう。(Balibar 1998=2000, 110)

17)
マッキンタイアにとって、道徳をそれ自体として根拠づけようとするヒューム(情念による)、カント(理性による)、キルケゴール(選択=決断による)らの試み−−そこから事実と当為の峻別という誤れる議論が生じてきたのだが−−の問題点は、単にそれが過度に抽象的=普遍的な、無内容な道徳しか提示しえないという点にあるのではない。むしろ問題は、人間の概念そのものが間違っているところにある。そもそも機能概念に関しては、事実/当為というこの峻別は成り立たない。腕時計、農夫といった概念の定義は、それらが固有に果たすものと期待されている目的or機能に基づいて定義される。したがって腕時計という概念はもともと、よい腕時計という概念から独立には定義できない。人間もかつては機能概念であった。現実の(堕落した)人間/完全な人間/前者を後者へと変換する道徳、という三点セットにおいて扱われてきたのである。歴史的文脈の中で第二項が脱落したとき、それ自体として存在する個人(非機能概念としての個人)のなかで道徳を基礎づけるという絶望的な試みが生じてきたわけだ。その失敗は、この歴史的文脈のなかでとらえられるべきであって、道徳そのものの不可能性を意味すると解釈されるべきではない(MacIntyre 1981=1993, 64-77)。したがって、機能概念に基づいた新たな(普遍的)道徳を提示することもできるだろう。それはおそらく、差異の相互承認に基づくものであろう。しかしこの「道徳」からバリバールの言う「メタ・レイシズム」まではほんの一歩の距離でしかない(馬場 2001a, 212-213)。


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