「法の力」第二部は一転して、ベンヤミンの手になるあの謎めいたテクスト「暴力批判論」(Benjamin[1921=1969])の、ほとんど逐語的な読解より成っている。読解というよりも、むしろ迷路のなかに迷路を造るといった趣を呈するこの論述のすべての含意を引き出すことなど、むろん不可能である。ここではごく図式的に整理した上で、われわれの議論に関わる論点のみを抽出することにしよう。
ベンヤミンは法と暴力の不可分な関係を一般的に指摘したあとで、法に含まれる暴力を二種類に区別する。すなち、現存の法秩序を再生産する「法維持的暴力」と、既存の秩序を宙づりにし、空白状態のなかから新たな秩序を立ち上げる「法措定的暴力」である。いうまでもなく後者は前者に比べてはるかに「暴力的」であり、多くの流血を要求する。しかしその分だけユートピア的な可能性を孕んでいるともいえるのである。しかし保守的暴力とユートピア的暴力というこの区別は、現実には機能しえない。というのは、国家のなかでは両者を共に体現した、本来あってはならないものが存在しているからだ。この「オバケめいた(gespenstisch)混合体」([ibid.:20])とは、すなわち警察のことである。「警察暴力は法を措定する−−というのは、その特徴的な機能は、法律の公布ではないが、法的な効力をもつと主張するありとあらゆる命令の発動なのだから。また警察暴力は法を維持する −−というのは、法的目的の御用をつとめるから」([ibid.])。かくして、法維持的暴力を保守的なものとして退け、法措定的暴力にユートピアへの希望を託すという戦略は、挫折せざるをえなくなる。「……禍々しきもの(das Bose)が存するのは、まさしくある種の決定不能性のなかになのです。すなわちそこではもはや、法維持的暴力と法措定的暴力とが区別されえないという点において、です」(Derrida[1991:121])17。
そこでベンヤミンは、もう一組の区別を持ち出してくる。法の措定であれ維持であれ、ともかく何らかの目的のために行使される暴力を神話的暴力(die mythologische Rechtsgewalt)と呼び、純粋にそれ自体のために行使される、何ものをも目的としない暴力を神的暴力(die gottliche Gewalt)と呼ぶ。「いっさいの領域で神話が神に対立するように、神話的な暴力には神的な暴力が対立する。しかもあらゆる点で対立する。神話的暴力が法を措定すれば、神的暴力は法を破壊する。前者が境界を設定すれば、後者は限界を認めない」(Benjamin[1921=1969:32])。常識的に考えれば、より残酷で恐ろしいのは、明らかに神的暴力のほうであろう。神話的暴力は、現実にいかに甚大な惨禍をもたらすにせよ、少なくともその意図においては建設的である。また、「目的達成のために不可欠である限りにおいて」という限定付きで行使される以上、合理的なコントロールの余地は残されている。一方神的暴力は、いかなる方向性も、コントロールの余地も、持ってはいないのである。神的暴力が通りすぎたあとには、廃墟しか残らない−−ベンヤミンが「歴史哲学テーゼ」で触れている、クレーの「新しい天使」=歴史の天使のように、である([ibid.:119f.])。だがベンヤミンはそこから、驚くべき結論へと進んでいく。すなわち、救済をもたらすのは神話的暴力ではなく、神的暴力のほうなのである。「前者が罪をつくり、あがなわせるなら、後者は罪を取り去る。前者が脅迫的なら、後者は衝撃的で、前者が血の匂いがすれば、後者は血の匂いがなく、しかも致命的である。……まさに滅ぼしながらも、この裁きは、同時に罪を取り去っている。……前者は犠牲を要求し、後者は犠牲を受け入れる」([ibid.:32f.])。あたかも、人を傷つけるのは苦しみを負わせるから罪があるが、人を殺すのはむしろ苦しみを除去するから善である(少なくとも、悪ではない)と言っているかのようである。
おそらくここがこのテクストのもっとも魅惑的な部分であろう。ただ純粋に破壊的であり、一切の分別を(規定性を)欠いているがゆえに、いかなる時にも到来しうる、いかなる社会状態をも清算しうる、救済者にして殲滅者たる神的暴力。すべての法のうちに孕まれている、神話的暴力という罪を洗い流してくれる神的暴力。われわれはその到来を、恐れつつも待ち望まねばならない/待ち望みうる……。
しかしここまでの思考の歩みは、ある意味で「法の力」第一部の反復に他ならない。いかなる規定性からも逃れ去っていく、ネガティブな拠り所としての正義=神的暴力、というわけだ。だがデリダはテクストの終わり近くにあるひとつの言葉に注目することによって、議論の方向を逆転させるのである。その言葉とは、「交配させる/雑種化させる」(bastardieren)である。「純粋な神的暴力は、神話が法と交配してしまった古くからの諸形態を、あらためてとることもあるだろう。たとえばそれは、真の戦争として現象することもありうるし、極悪人への民衆の審判として現象することもありうる」([ibid.:37])。われわれは「ありうる」からさらに一歩を進めて、こう考えるべきではないのか。法措定的暴力が、少なくとも通常の国家秩序の内部では、常に警察というバケモノ=幽霊として登場してくるように、神的暴力も実際には血なまぐさい神話的暴力との交配形態として現れるのが普通なのではないか、と。しかしだとしてもここにおいて、法措定的暴力からもう一段規定性をはぎ取って神的暴力を見いだした、あの手続きを反復することはできない。神的暴力には、もはやはぎ取るべき規定性など何一つ残っていないのだから。したがってわれわれは、「血の匂い」を恐れることなく、あえて現実の交配形態のなかに神的暴力の痕跡を捜し求めるべきではないか。
ベンヤミンのテクストはこの直後で終わり、デリダの講演も終わりを迎える。しかし今確認した結論がその含意を明らかにするのは、講演に付加された「あとがき」(Postscriptum)においてなのである18。すなわち、われわれが現実の歴史のなかに、神的暴力にもっとも近いものを求めようとするなら、ナチスの「最終的解決」こそがそれに当たるのではないか、と。「最後に私は、このテクストに含まれるもっとも恐るべきものに注意を促しておきたいと思います。それは……あのホロコーストを、あらゆる解釈に抗う神的暴力の表われ(Manifestation)として考えることに他なりません。……ここでわたしたちは、あのホロコーストが法の罪の許しであり、『神』の暴力的な怒りと正義の、判読しがたい署名であったという解釈の可能性に震え上がり、震撼させられることになるのです」(Derrida[1991:123f.])。ただしだからといってデリダは、このテクストやベンヤミンその人を断罪し否定しようとしているわけでは、もちろんない。とりあえずこの点を確認して、ひとまずベンヤミン=デリダの議論から離れることにしよう。