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法のオートポイエーシスと正義

馬場靖雄
2000年度 日本法社会学会での報告原稿

1.二つの「脱構築」
2.二つの「と」
3.二つの「社会」
◇.
◇.文献

1.二つの「脱構築」

 当初はなにやらおどろおどろしい雰囲気を漂わせていた「脱構築」という言葉も、現在ではすっかり市民権を得たと言っていいだろう。例えば Michaut [1998: Deconstruction and Legal Theory, in: Rechtstheorie Beiheft 19, Duncker und Humbolt, 185]は、「脱構築は、哲学的ディスコースが究極的真理に到達する能力をもつのを否認することによって、それを不安定化させる。常に何かが欠落しているのである。知識は表層的で相対的なものでしかありえない」と書くことによって、「おどろおどろしさ」を暗示しているように見える。しかし実は脱構築は例えば憲法に関するさまざまな競合する解釈の可能性を開示することを通して、法学理論に寄与しうるのである。あるいはまた脱構築によって、一見すると自己完結しているように見える法のルールや概念の背後に、多様な現実的力関係が、したがって暴力とコンフリクトが、潜んでいることを明らかにもできる。その意味では脱構築は、リアリズム法学やCLSと軌を一にしているのである。

 そしてデリダのテクスト『法の力』(Derrida [1991=2000 :Gesetzeskraft, Suhrkamp / :堅田研一訳『法の力』、法政大学出版局 ])1 の刊行によって、このような脱構築の観念と「正義」概念を容易に重ね合わせることができるようになった。法を脱構築し、その背後に潜む多様な可能性と暴力とを明るみに出すことこそが正義である、というようにである。同書邦訳者によれば、

 法/権利なしには正義は正義はたりえない。のみならず、正義は法/権利のなかに内在しているのである。そしてこの内在する正義によって、それを内在させる法/権利自体が批判されるということになる。この法/権利に内在する正義とは何か。それは法/権利に内在する、それに対する他者である。つまり、法の暴力的定立において排除された者である。(堅田[2000:214-215])

この意味で「脱構築は正義である」(Derrida[1991:30=2000:34])、というわけだ。

 かくして脱構築−CLS−正義という連携が成立する。この方向において脱構築は、「通常科学」としての法学に寄与しうるかに見える。しかし同時に、デリダ読解の精緻化によって、脱構築をこの方向へと展開することへの疑念が登場してきてもいる。これまたほとんど流行と化すまでに有名になった、東[1998:『存在論的、郵便的』、新潮社]による「否定神学」批判である。ごく簡単にフォローしておこう。

  東によれば、一口に「脱構築」といっても実は「ゲーデル的脱構築」と「デリダ的脱構築」を区別しなければならない。前者は、任意の形式的体系が孕んでいるパラドックスをとおして、その体系の決定不能性を開示する作業を指している。そしてこの作業は「否定神学」としての性格をもっていると見なされる。否定神学とはすなわち、「否定的な表現を通してのみ捉えることができる何らかの存在がある、少なくともその存在を想定することが世界認識に不可欠だとする、神秘的思考一般」(東[1998:94-95])のことである。ここでは、「神秘的」という性格規定を外して、次のように捉えておこう。○○は無根拠である、○○には固定的な本質などなく、そのつどの力関係のなかで構成されるにすぎないetc.……これこそが○○の特質であり、○○に関して最終的に認識されるべき事柄である、という思考法である、と。否定神学においては、否定的な特質が、まさにその否定性において対象のポジティヴな(肯定的であり、同時に「通常科学」によって解明されるべき実証的な)メルクマールと見なされるのである。例えば、法と正義の偶発性に関する中野 [1993:183-184 『近代法システムと批判』、弘文堂] の議論をその一例として挙げることもできよう。

 今日では、法が実定化しているばかりでなく、正義の内容そのものが、そのつどの状況や歴史的経緯に規定されるコンティンゲントなものとなっている。そしてこのことは、「根拠の喪失」などとただネガティヴに評価されるべきではなく、むしろそうだからこそ、正義の内容の妥当性をそのつど承認することとそれの変更を要求することとが同時に矛盾なく両立しうるようになり、正義をめぐる継続的な論争もそのつどの合意もくりかえし可能になると考えられるのである。

法の自己完結性の外観を打破し、法に内在する「他の可能性」を常に開示していくものとしての正義、というわけである。

 東[1998]のデリダ読解の目的(のひとつ)は、このような否定神学=ゲーデル的脱構築を批判し、デリダのテキストに潜む「他の可能性」としての「デリダ的脱構築」の可能性を掬い上げることにあると言っていいだろう2。そして本報告の目的は、ルーマンの法と正義に関する議論もやはり、「ゲーデル的脱構築」への批判として読まれる必要があるという点を示すことにある(「デリダ的脱構築」については後で触れる)。

 しかしそれにしても、そもそもなぜ「否定神学」は否定されねばならないのか。むろんここでは、デリダの読解として正しくないかどうかではなく、法社会学の文脈において否定神学がいかなる問題点を孕んでいるかを考えてみたいのであるが。だがある意味では、この「問題点」に関しては、むしろ周知の事柄であると言うべきかもしれない。単一の価値観の専制を排除して、多様な価値観の共存と互いに対する寛容さを称揚する態度(「〈大きな物語〉などない」)自体が、逆に排他的な非寛容性をもたらしかねないということは、冷戦後の今日ではもはや常識に属している。「原理主義者」に対する苛烈な非難・攻撃が、まさにこの寛容の名においてなされていることを考えてみるだけで充分だろう。多様性を承認し、固定的なアイデンティティにはこだわらないという態度こそがアイデンティティと化し、他者を攻撃する根拠として用いられる可能性が常に存在しているのである3

 われわれから見れば、先の引用において「否定神学」に与していたように思われる中野敏男も、中野[1999]ではその「問題点」のほうを強調するに至っている。ポストモダン派の市民社会論者が称揚する、多様な差異へと開かれた柔軟な主体なるものは、実はあくまでも自己同一性を前提としてその内部へと差異を回収しようとしているのであり、それはまさに「ポスト福祉国家」的な管理戦略−−人々の「自発性」を管理のために動員していこうとする−−を補完する役割を果たすのだ、と。企業人としての、あるいは主婦としての職分を守りつつ、ボランティアにも励む、というようにである。

 それに対して中野が提起するのは、ラクラウ=ムフ流の「新しい社会運動」である。そこではアイデンティティが単に多元的であるのみならず、多元性を構成する各要素が相互に闘争的関係にあるということが強調されている。例えば、ゲイとしてのアイデンティティは単にヘテロセクシュアリティと共存するのではない。前者は、後者によって抑圧されている以上、自己の権利を主張しつつ、同時にノーマル/アブノーマルといった、通 常のアイデンティティの前提となっている二項対立図式を突き崩すという複雑な闘争戦略をとらざるをえない。それゆえに、ゲイが主張する「多元性」は、アイデンティティを柔軟で開かれたものへと改鋳するというよりは、むしろそれを破砕するのである。この闘争的性格を無視しつつ多様性を主張すれば、それは結局のところ国家の管理戦略を補完するものにしかならないだろう。

 報告者も以上のような中野の問題提起には賛同したい。にもかかわらず疑念が生じてくる。はたして中野の議論は、否定神学の陥穽を免れえているだろうか。むしろそれは、より純化された否定神学だと言うべきではないだろうか。社会のなかに存在する諸差異は、決して縫合しえない非和解的な性格を持っている。それらの諸差異を何らかの同一性のうちへと回収することはできない。それゆえ、ラクラウ=ムフが言うように、(同一物としての)「『社会』は存在しない」のであり、「『社会』は、言説の妥当な対象ではない」(Laclau / Mouffe [1985=1992:178:Hegemony and Socialist Strategy, Verso/山崎カヲル訳、『ポスト・マルクス主義と政治』、大村書店])。そしてそのことこそが、社会に関して何よりもまず認識されるべき「本質」である、というわけだ。

 このような議論においてもまた、先に述べたような本質の不在がそのまま本質へと反転するという危険が内在しているし、現にその危険は現実化しているように思われる。−−ただし二度目は喜劇として。すなわち寛容の名において他者を抑圧し排除するという悲劇的事態としてではなく、多様性と決定不能性を開示するはずの脱構築やCLS、あるいはカルチュラル・スタディーズが、マニュアルに基づいたほとんど「ワンパターン」の作業と化してしまうといういささか滑稽な事態として、である。

 しかしだとしても、他にどんな可能性が残されているのだろうか。もはや固定的な本質や根拠に基づいて法や正義を論じることはできないということを前提としつつ、なおかつ否定神学に陥らずに議論を展開することは可能なのだろうか。そしてそこから、法社会学にとって有益な結論を導き出すことができるのだろうか。


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