「迷走する両立支援」をくり返し読むうち付箋と赤線だらけになりました。
この本が私たちに投げかけてくれたものを見直すために、
このページには、スタッフをはじめとする読者のみなさんからいただいた こころに響いた言葉たちを集めてみました。
引用文は引きつづき募集しています。@WLB_cafe に向けてつぶやいてみてください。
日本ではなぜか、読みかえがおきる。欧米がその考え方の前提においている雇用上の男女差別へのきびしい規制には正面から取り組まないまま、ファミリー・フレンドリー企業やワーク・ライフ・バランスという言葉が受けとめられつつある。[p.242] パートと正社員の処遇格差は「区分」の違いとされ、その格差は、育児や介護など家族的責任をもふくめた「ライフスタイル多様性に配慮した働き方」という美辞麗句で塗りかためられてきた。[p.241] 通勤電車の中で泣いた。働きつづけたいと思ってやってきた。でも、事務処理マシーンのような働き方を続けたいわけではなかった。これが自分の描いた生き方なんだろうか。なにもかも色あせてみえた。[p.212] 限られた時間から「無駄な時間」を排除し、「あるべき時間」「あるべき生活」を買う。時間をめぐる生産と消費の歯車に親や家族をまきこみ、影を落とす。[p.166] 元・雇用均等室長は言う。 一度、「管理職の女性がこれから増えるので、病気など緊急時に子どもを預けられる支援体制をつくってはどうか」と労組に提案したことがありました。 そのとき、「そこまで無理するのはどうか。子どもがかわいそうだろう」って言われました。[p.222] まるで、女性に生まれた以上、必然的に抱えざるをえない問題かのように、職場のありようがうみだした矛盾にもかかわらず、社会は、働くことを選択した母親個人が抱える問題かのように、「両立の悩み」とよんできた。[p.241] 出産前には、IT技術や語学力などをいかして働いていた女性たちだった。 職場復帰したら海外出張からはずされたまま、何年たっても、上司からは「子どもがいるから働けない」と厄介者あつかいをされる。[p.251] |
公的支援が薄いまま企業のWLB支援策ばかりが手厚くなれば、企業からの解雇が人生からの解雇を意味することになる。[p. ] 制度の「先進性」を追いかけても、「支援される」側が抱える問題はさらにそのさきを行き、また、制度からこぼれおち、やがてすれちがう。[p.15-16] 現状では「ライフスタイルの多様な選択」「個人の自由」という言葉は、格差や矛盾を個人がひきうけるためのレトリックになりかねない。[p.269] 体験者が「私もしんどかったけれど、グチも言わず、がんばってきたのよ」と言えば、 そのひとの体験が全員にあてはまるわけでもないのに、そのアドバイスはひとり歩きする。[p.248] 客観的にみて「いつも」と「ときどき」の差は大きい。 そして、日常生活をともにする妻にとって、夫の主観的な判断での「いつも」と「ときどき」がもたらす溝はさらに深い。[p.66] [ファニー・メイの]その支援制度の豊富さ、柔軟な実践におどろいていると、同社人事担当のジュディス・デイルさんはこう説明してくれた。 日本でも、社会の変化をみすえた経営のありかたとして、「経営にプラス」と合理的かつ実証的にしめせば、ほんとうにうまくいくのだろうか。[p.146] 男性は[男性育休の手厚い取組みを得て] キャリア等のダメージをさほどうけずに短期間の取得で「子育て熱心なお父さん」と賞賛、女性は「子育てに協力的で理解のある夫」をもつ妻といわれ、残りの取得期間をひきうけダメージをかぶる。[p.258] |