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やんのかこら

全力で来いよ。
このページは、2011-2015年くらいに存在した「The Interviews」というサービスのログをサルベージして再現したものです。残念ながら、2014年のログは取得できませんでした。
contractio: 神奈川県出身。 日曜日には社会学。
もっとも重要な、その名も「道徳の社会学」なる長大な論考をはじめとして、主要な論考は網羅されています。
http://socio-logic.jp/baba/preview/moral.php


なので、基本的にはこれを買っておけば十分だと思います。

2015-04-15 18:24:38


もう一声。

やってることは他の本と変わりませんぜ。

2015-04-14 12:23:27


なぜこの人たちは、社会学をこんなにも大事な学問だとみなしていたのか。現時点から振り返ってみると まずその点が異様に見えますね。

40年たったので、そろそろ歴史的な研究が出てくるとよいなぁと思います。

2015-03-30 10:33:02


こういうタイプの問いは立てたことがないので回答も分かりませんが。
#たとえば「機能分化論」のような図式が古いのではないか、
#とかそういったお尋ねでしょうか?


有効性の根拠は、理論にではなく対象に求めるのがよいと思いますし、そうすればこの様な問いは立てなくても良くなりますよ。

2015-03-29 12:12:01


宮台さんのルーマン論って、まとまったものは どこで読めるんですかね。

2015-03-23 22:50:34


当該システムが解決している問題、ですかね。

ま、あんまりそういうのはまじめに考えたことがないので他の方に尋ねたほうが・・・・

2015-03-22 23:22:14


1990年代はじめに慶應大学、東京大学、大阪大学を結んだ実験的なネットワークに触れたのが最初です。主にチャットとメーリングリストをやっていました
その時期にネットワーク経由で知り合った方とはいまでも付き合いがあります。。

同時期には、すでに Nifty などによる「パソコン通信」のサービスが始まっていた(?) かもしれませんが、そちらには触れたことがありません。

2015-03-22 23:01:52


【1】
エスノメソドロジー研究は、
■複数の研究同僚が(=公共的に)・繰り返し立ち戻って検討可能であるような・特定の資料を追尾することによって、
■1-1「そこでどんな人たちによって何がどのように行われているのか*」ということに
■当該資料から言える範囲で、
■それら行われていることに即した仕方で、
■適切な言語表現を与える
という仕事です。
#* この問いには、例えば、
# 1-1-1 ある所作は、なぜ他ならぬその場所に・他ならぬその時点で(順序で)登場し(え)たのか。
# 1-1-2 参与者たちそれぞれは どのようにして「そのような然々の人である」ことを実現しているのか。
# 1-1-3 そこに登場している物たちは、どのような事情によって そうした物に見えているのか。
# 1-1-4 ある場面は どのようにしてそうした場面として成立し(え)ているのか。
# (以下略)
#などなどといった 様々な さらなる問いが含まれます。

したがって、「EMの意義は何か」という問い(に対する答え)は、
■「何が行われているのか」に適切な言語表現を与えること には
どんな意義があるのか。
という問い(に対する答え)です。

常識的に考えて、「それはどんな意義なのか」という中味の方は、一つ一つの論考において
■(どんな資料が・)どんな場面が・どんな振る舞いが(・以下略)扱われているのか
に応じて変わるでしょう。
#他方、こうした仕事に「意義がある」こと自体は自明だと私は思います。
##もしあえて問われるならば、さらに言葉を費やすことはできますが。
##今回は省略しておきます。


以上が質問に対するミニマムな答えです。
それはそれとして。


【2】
EMの仕事は以上のようなものですから、それが
■そこで描かれている社会秩序に参加するコンピテンスのある人たちにとって
「振り返ってみれば-当たり前の-こと」である。
というのは ごもっともなことです。

ところで、質問の最初の一文には、
■ふつう、当たり前の話が おもしろいことはない
という前提があるのではないでしょうか。そうだとしたら、質問者さんには、
■「当たり前のことなのに おもしろい」ことは(どのような意味で)不思議なことなのか。
ということについて考えてみていただきたいところです。
それもそれとして。


【3】
しかし、そう述べることによって私が指摘したいのは、次のことの方です。すなわち、
■当たり前のことなのに おもしろいのは何故か。
という問いと、
■「何が為されているのか」に適切な言語表現を与えることの意義は何か。
という問いは(少なくともいちおうは)別のものだ、ということの方です。

その点を踏まえた上で、再度、出発点にあった疑問について考えていただくと、
議論を次のステップへと進めることができるのではないかと思います。

2014-01-09 17:10:48



「いつごろからエスノメソドロジー読んでたんですか」という質問にはこちらで答えましたが、http://theinterviews.jp/contractio/1169793
その後のことはあまりおぼえてません。
#ちなみに、質問に対する答えは 訳書『エスノメソドロジー』、ですね。
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4796701494/datum-22


おそらく、そんなに印象に残らなかったということではないかと思います。

2012-07-26 11:15:55



ネットカフェで漫画かハイデガー講義録を読みます。

2012-04-26 14:05:45


 
これは難しい。
答えられません。


ふと気を抜くと繰り返して読んでしまうのは、このあたりです:

真刈 信二&中山 昌亮『オフィス北極星』
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4063283771/datum-22

山崎紗也夏『フローズン』
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4063368025/datum-22
http://ow.ly/a7C8H
李 學仁&王 欣太『蒼天航路』
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4063284344/datum-22

好きじゃないですけど、人格形成に大きな影響を与えたものというと、
鴨川つばめ『マカロニほうれん荘』
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/B00006LOHJ/datum-22
ですね。
#でも、こないだちらっと見返してみたらちっとも面白くなかったですが...

2012-04-07 01:52:31


 
映画はめったに見ません。
身体を拘束されるのが嫌なので。

2012-04-07 01:41:27


 
岩波講座『日本の音楽・アジアの音楽』(1988-1989)。
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/01/X/010361+.html

ただし これを購入した時には、たぶんプレイヤーは持っておらず、他人の家まで行って聞いてました。

この講座の次に買ったのは、たぶんバルトークの『弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽』。誰の指揮だったかは覚えてません。

2012-02-24 20:46:35


 
「最も」という仕方で影響を受けたひとはいません。

2012-02-02 03:32:53


 
わかりません。
が、編集者と教師だけは避けたいですね。

2012-02-02 03:30:39


 
もう少し質問を限定していただかないと
答えようがありません。

2012-01-17 02:39:46


 
距離は限りなく遠いです。
位置は「敵対的」です。

私の考えでは──梅原猛の著作が「歴史学」に属さないように、竹内久美子の著作が「進化学」には属さないように、それとまったく同様の意味で──「批判的エスノメソドロジー」は「エスノメソドロジー」には属しません。
#というか、「批判的・エスノメソドロジー」という文言は、
#「丸い三角」のような、無意味なものであると思います。

「歴史学であること」や「進化学であること」そのこと自体に価値があるわけではないのと同様に、「エスノメソドロジー研究である(/ではない)」ということ自体に何か価値があるわけではありますまい。しかし、梅原猛の著作を「歴史学」として販売したり、竹内久美子の著作を「進化学」として販売したりすることに問題があるのと同様に、「批判的エスノメソドロジー」と銘打った著作を「エスノメソドロジー研究」として販売することには問題があります。
しかし実際には、書店へ行けば、エスノメソドロジーに関心を持った初学者が まず手に取る可能性が高いのは、依然として「批判的エスノメソドロジー」と銘打った著作群である、という事態は ここ10年以上にわたって、あまり変わっていないはずです。さすがにそろそろ賞味期限が切れてきた感はありますが。

こうした事態が、私がここ数年のあいだ様々な出版活動その他に関わってきた際の動機の一つを与えていることは確かです。
つまり私のこうした活動の目標の一つは、日本社会学史に咲いた徒花である「批判的エスノメソドロジー」の寿命を少しでも縮めることだということ。

以上で、質問に対するミニマムな答えにはなっておりましょう。

---

それはそれとして。
学問研究には なかなかにめんどくさい普通じゃない約束がいくつかあります。たとえば──学問の基本モードは論文を出版することですが、そこにおいて──
ただ「批判に値するもの」だけを批判せよ。
#=「批判に値しないもの」を取り上げてはいけない。
といったものがそれです。

すると、ややもすると
批 判 に 値 し な い ようなことを言ってさえいれば、批 判 さ れ ず に 済 む
という──恐ろしい──事態が出来してしまいます。

で。
こうした状況が出来しても、「業界の他の事情」──たとえば「査読」という仕組み──がふつうにうまくまわっていればあまりおかしなことにはなりません。
#たとえば、梅原猛や竹内久美子が歴史学会や進化学会で重鎮として
#振る舞うなどということは、ふつうはないわけです。
が、別の事情によって「業界の他の事情」がふつうなことになっておらず、さらに「丸い三角」の人たちが特殊な才能*を持っていたりすると、あれこれの巡り合わせが悪ければ、エラいことになります。
* 文筆とか出版社とのネゴシエーションとか学会政治とか。(離れ業としては、「自分で学会つくっちゃう」とかいうのもアリますが。


そして、社会学-EM 界隈では、まさにそのテの「エラいこと」が起きている、ということなわけであります。・・・というような しょうもない、しかし無視できない準拠問題がEM の若手には置き土産として残されておりまして、すごく邪魔なわけですが、これ──上述のように──事柄の性格上、研究者個々の個別的な努力で・簡単になんとかなるようなもんでもなかったりするわけですね。

---

まぁ状況はこのようなものです。
で、対処の方策ですが。
結局のところ──一見迂遠なようではありますが──最も効果的な戦術は、研究共同体の状況を「正常化」することではないか、と考えています。
その際、先方が成功を収めているのは、まずは出版市場であり、ついで若手リクルーティングの局面においてであるわけなので、具体的には、
・ちゃんとした教科書を出して売り切る。
・ちゃんとした研究論文集をコンスタントに出して、コンスタントに売り切る。
・研究者の相互評価を公開的におこなう。
・研究への新規参入者を適切に支援する。
といった「ふつうの」ことを、戦術的な観点をちゃんともって 数年続ければ、状況は比較的スムースに打開されるだろう、と、楽観的に考えてはいます。
#「ふつうの」学術的な環境が整えばよいわけなので、個々の局面で、先方の営業成績を
#超える必要はぜんぜんありません。そうした「ふつうの」状況が設定できれば、
#あとは・そこでようやく「内容の勝負」になって、
#そうなれば、「ダメなもの」は ふつうに淘汰されていくことでしょう。


最後に。
大事なことなのでもう一度言いますが、今後も わたくしは「批判的エスノメソドロジー」に全力で敵対して参る所存です。

2012-01-16 00:27:49


 
ないです。
これ以上読書時間を増やしても、効用は逓減するだけでしょうし。
#逆に、まずいことは いろいろ生じそうなので、増やさないように気をつけてはいます。


それはさておき、大学その他に務めている友人たちの様子を見ていると
「会社員だから忙しい」とは言い難くなってきましたねぇ。はははは。

2012-01-15 22:57:46


 
幸い、あまりそういう場面には遭遇しません。
# そういう方は「共感を求めるにようになる」以前のところで
# 別のハードルで振り落とされていくので。
なので、実際に求められた時にどうしているか あまり記憶にありません(思い出したらまた書きます)。


ともかくも、最大の秘訣は、共感を求められないことでしょう。
対処より予防。
普段から ひとさまに「こいつに共感求めても無駄だろ」と思って頂くようにしておくことが肝要かと存じます。

2012-01-07 07:48:24


 
「自分の頭で考える」
「常識を疑え」
──どちらも たいてい無駄。

2012-01-05 07:13:58


 
かけません。
というか、よほど特殊な事情がなければ 音楽は かけません(聴きません)。

音楽が鳴っていても本を読むことは出来ます。

2011-11-05 21:32:48



きっかけは「クザーヌスを読んだ」。
http://www.theinterviews.jp/contractio/2016017

「実現とは限定である」という発想は、最初に読んだ時には 目から鱗 だったような気がします。

2011-10-17 17:40:39


 
もし あなたが出版社の方でしたらDMをください。しかるべき ひとたちに協力を仰いで それなりにきちんとしたリストを作成し、お渡しします。
基本的には「翻訳されてしかるべきなのにされていない文献」が多すぎて話にならない状況、だとは いえると思います*。日本のEM者は このへんもサボりすぎなので、もっと働いていただきましょう(まぁ基本的には、偉いひとたちが悪いわけですが)。

* ご参考:エスノメソドロジー・会話分析関連の翻訳文献リスト http://emca.jp/learnmore.php#a3

2011-10-13 04:38:16


 
ニコラウス・クザーヌス『学識ある無知について』参照のこと。
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4582760775/datum-22



contractio (縮限)とは、もっとも簡単にいえば、「現実化」とか「実現」とか「表現」といったほどのことだと──「何かが実現する」とは「可能性が限定される」ことである、と──私は 理解しています。

2011-10-11 23:01:44



ちゃんと研究をしておられる方は、皆さん尊敬しておりますよ。研究って めんどくさいですし、ちゃんと研究できてないひとは とても多いわけですしねぇ。

それ以上に、特定の個々人が特別に どうこう ということはないです。

2011-10-11 21:11:37



自己評価の低いひと。自己信頼の低いひと。
自分に自信のないひとは 他人を信頼することができません。他人を信頼できないひととは、いっしょに仕事をすることができません。

苦手じゃないひとというのは・・・まぁたいていのひとは苦手ではないです。
あ、声の大きな人は苦手です。

2011-10-07 08:16:03


3歳女児は 著しくオンナオンナしていて、たいへん付き合いづらいです。
見ていると、「人間である前にオンナ」という感じがします。
おそらく成長に必要なプロセスの1ステージではあるのでしょうし、面白いといえば面白いですが、
まぁ「キモい」という気持ちのほうが大きいですね。
あと、大人同士他人同士だと「付き合わない」こともできますが、保護者と子供だとそういう選択肢がないので、「これなんの刑罰?」とも思います。
#しかも二人目(現在零歳児)がスタンバイしていることを考えると、少し眩暈がします。

いつになったら これが緩和されるのか──人間らしくなるのか──気になるところです。

2011-10-03 19:59:53


たくさんいます。
才ある若いひとを見ているのは楽しいことです。が。

学問研究というものは──そしてまた、およそ制度や組織というのは みなそういうものだと思うのですが──、それほどたいした才を持たない人が そこそこの仕事ができるように支援する人工的な仕組でありましょう。そしてまた、歴史上にたまに登場する「才が迸った真にものすごい驚愕すべき仕事」というのも、多くの「そこそこすごい仕事」に乗っかって はじめて成り立つものでありましょう。
なので私が ひとさまの研究活動を見る場合にも──社会学的に考えて(SK)──、基本的には、それを制度・組織・協業といった観点から捉えますし、それほど すごくないひとが そこそこ すごい仕事を ふつうにできているかどうか ということが、まずは気になります。
#そして、そういう事態が ふつうに実現できていないとしたら、
#それは制度・組織・協業のあり方に なにか問題があるのでしょう。

「こいつはおもしろい」「この人は出世する」と(私も含め)みんなが思ってそうなひとは、むしろ、どこにでも たくさんいます。しかし、10年、20年のスパンで 見ていると、そういうところ以外のとこから たくさんの面白い仕事が でてくることに気がつきますし、また そこそこすごい仕事をするためのスタイルというのは 実に たくさんあるのだ、ということもわかってきます。才のみでは仕事にならないというのは 一部のひとには辛いことかもしれませんが、ほとんどのひとにとっては そこそこ素敵なことでありましょう。

そしてそれは、どんな仕事でも あまり違いがないことなのではないか、とも思うのです。というのは、およそ世の中の たいていの仕事というものは、制度や組織の支援を受けて、協業として 行われるものでしょうから。

2011-10-03 14:06:53


 
すでにあってよいはずなのに、目下なぜか無いものをつくること。

どの方面で仕事をするときも、やることは同じです。

2011-09-27 21:31:01


 
法学・経済学とラテン語。

学部学科は変わらず理学部物理でしょうね。
コスト・パフォーマンス考えると それ以外の選択は考えにくいです。

2011-09-26 01:25:13


 
『社会学事典』(2010)・・・は中古でも二万円するんですね。ダメかー。
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/462108254X/datum-22


ならば『社会学文献事典*』(1998)は・・・と思ったらこれも二万円ですか。うわー。
* これは文献の選択が あちこち異様な感じがするんですけど。
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4335550758/datum-22


がんばってもう一万円追加して『社会学事典』買ってください!!

2011-09-26 00:49:22


 
頭の悪そうな質問ありがとうございます。
そっち方面はぜんぜん勉強してないのでよく知らないです。

2011-09-26 00:34:25


大学時代の、主として哲学・美学・社会学などを専攻しておられる みなさんとのやりとりのあたりに。
ほぼ毎日、「その言葉使わないで言い換えるとどう言えますか」って言ってた気がします。


我々の言葉も御多分に漏れず、その欠点欠点をもっている。
世の紛議の動機は、大部分が言葉遣いに発している。(モンテーニュ『随想録』*)


* 孫引き出典:http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4787707086/datum-22

2011-09-22 00:23:05


「研究」しているわけではないないので、「両立」に苦労したことはありません。(論理的に考えて)

それはさておき、
「日曜社会学(というウェブサイト)を運営してきたなかで 苦労したこと」についていうと...
あんまり思いつきませんが、
たとえば 私の「身元が不確か」みたいなことを理由に 研究会企画とかに協力してくれないひとが(たまに)いるのは困りますね。

まぁ滅多にいませんけども。

2011-09-15 18:55:30


はじめてこの文字列を見たのは、おそらく 中沢新一『チベットのモーツァルト』*。なので、「それ以来」が質問に対する答えです。
* http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4061595911/datum-22

以下は蛇足的個人史。
この本の刊行は1983年だけど、私が読んだのはもう少し後、高校3年〜大学1年のときだと思います。彼が時代の寵児になったその頃に、その名前に結びついて たくさんの翻訳が出ました*。訳書『エスノメソドロジー』**も、その時期(1987)に・それらの一つとして・ほかならぬ せりか書房***から出版されたのです。そんなわけで「エスノメソドロジー」は、私の中では、「文化人類学、エスノグラフィー、記号論、山口昌男、中沢新一、カルロス・カスタネダ、南方熊楠、バフチン、クリステヴァ、『チベット死者の書』(以下略)」などと「同じ箱」──【図書館や本屋で見かけたら いちおう斜めには読むが、腰をすえて検討したりはしないもの】──に配置されたのでありました****。
* ex. 『サーカス―アクロバットと動物芸の記号論』(せりか)
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/B000J8FRRE/datum-22
ex. 『衣裳のフォークロア』(せりか)
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4796702636/datum-22
** http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4796701494/datum-22
*** 『チベットのモーツァルト』の版元。
**** 人類学そのほかを揶揄する意図はありません。あくまでハナシは「理学部学部生にとっての」ですので。念のため。


その位置は、論文集『ルーマン──来るべき知』(1990)*に掲載されていた西阪論文を読んで変わります。ただし、
ひょっとすると真面目に勉強したほうがよいのかもしれないが、
なんとも不可解で・どうにも取り付くシマがない
という印象でした。
#ちなみにそのころはまだ社会学のことは ほとんど知らない。ゴフマンとか読んだ程度。
#むしろこのあたりから やや本格的に気になり始めたんだと思う。
その後1993年──サドナウ『鍵盤をかける手』**──くらいまでに出た日本語で読める書籍***はすべて出版時に読んでたはずだけど、この印象は変わりませんでした。
* http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4326600713/datum-22
** http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4788504375/datum-22 この翻訳も音楽人類学のひとたちによるもの
*** ご参考:http://emca.jp/learnmore.php#a31


1997年に ルーマン・フォーラムをはじめて、あらためてマートンそのほか社会学の古典を 少しだけ真面目に読むようになり、そこではじめて EM が登場しなければならなかった事情というのが徐々にわかって来た気がします。それとともに──単にそれがもたらす個々の知見が、というだけでなく──学問論的な意味でも エラく重要なものなのではないか、という気もしてきました。でも、そうすると、
ふつうに売られている本を、
ふつうの──私と同じ程度の──読解力のある読書人が読んで、
その意義が ふつうには ほとんど わからないのだとすれば、
これは深刻にまずいことなのではないか
ということに思い至って、そこで青ざめたところで、のちに『ワードマップ エスノメソドロジー』*とかへと至る わたくしの地味な活動が始まったわけであります。
* http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4788510626/emca-22


まぁ、啓蒙の努力は まだまだまったく足りないと思いますけどもねぇ(誰かが)。

2011-09-14 22:42:49


なんでしょ。

大きいんですかねぇ(何かが

2011-09-14 21:46:46


最初の就職のときはしてません。そこやめて、しばらく時間給のお仕事してたときは何度か職探し&面接とかしましたよ。「就職活動」という言葉に そういうの含めて考えておられるのかどうかわかりませんが。


「うちの職務内容に あなたの学歴が見合わない」とか言われて断られたり(嘲

2011-09-14 20:43:30


自分が読みたい本を出版するために
他人に勉強してもらう方法。

2011-09-13 21:40:22


ひとを憎むには記憶力のよさが必要であるように思います。
幸いにして私は記憶力がひどく悪いので、学者に限らず憎んでる人はおりません。

覚えてられない。

2011-09-07 20:14:40


特にない。
西麻布の某クラブでお仕事の日に、事務所のスリッパ履いたまま参上しちゃった♪ くらいかな。

2011-09-06 18:31:20


いつもココロに営業を

進化は人のためならず

当たらずともトートロジ

儀礼ごといってんじゃねぇ

俺がやらなきゃ誰かやる

お前のはノレーマソ

そこでエスノメソドロジーですよ

2011-09-06 18:26:59