だからこそバリバールは、例えばイスラム原理主義を、西欧が確立し、世界中に普及した普遍的人権の概念に背を向けて特殊性に固執する態度と見なすことに反対しているのである。
〔バリバールが示唆したいのは〕ある種のイスラム教への言及の仕方にも人権の要求と人権の普遍化があり、それに内在する矛盾は、普遍的なものの我有化、つまり西欧の権力がその要素のなかに横取りした解釈の独占という、別の矛盾に対する対応でしかないという事実である。世界のイデオロギーの舞台は、普遍主義と特殊主義の対立の舞台ではまったくない。それはむしろ、虚構の普遍性どうし、普遍性への敵意どうしの対立の舞台であり、普遍主義自体のなかの対立の舞台であろう。(Balibar 1998=2000, 110)
この指摘は、テロを区別の横断として捉えるかそいれとも棄却として把握するかという分岐こそが重要であるとの、われわれの論点に正確に対応している。