これはすなわち、システムは閉じられている限りにおいて現実に「開かれた」効果を及ぼしうるということである。ルーマンの「システムの閉鎖性」テーゼは、ポスト・ハイアラーキカルな状況において明らかになった、「主体」の問題構成の隘路──開かれているように見えるものが実は閉じられている、したがってそれはさらに開かれねばならない……という身ぶりの、無限の反復──に対する批判として構想されたものだと考えねばならない。したがってこのテーゼを「開放性を考慮していない」というように批判するのは、倒錯以外の何ものでもない。