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加藤尚武の回想を引いておこう。加藤はある日「……学生運動の先輩にあたるLと出会った。『丸山真男がとっつかまって殴られているから、見に行かないか』」と誘われる。そこで二人は「うっすらと軽蔑の微笑を浮かべたまま沈黙している」丸山を「大学闘争を妨害した」と「告発」している「人前でアジった経験の無さそうな新米の」学生活動家が、まともに抗議しきれないでいるシーンにでくわす。Lは「ブン殴るんだ、さあ殴ろうじゃないか」と扇動し始める。

砂川闘争で鍛えたLの声は大数室のすみずみまで響きわたった。
ざわめきが起こったが、殴りかかるものはいない。再び沈滞しそうになるのを食い止めようと司会役の活動家が丸山に発言を強制した。丸山は歯を食いしばるようにして「私は諸君を軽蔑する」と吐き出したなり、なおも沈黙を続けたが、その間「殴ってしまえ」というLのヤジは効果的に鳴り響いた。丸山の顔が歪んだ。恐怖に対して軽蔑による自負でおのれを取り戻そうとするのだが、顔面の筋肉は軽蔑の微笑に達するよりも前に、恐怖にずり堕ちてしまう。軽蔑を取り戻す努力をいつまでもやめたくないために、彼の顔は果てしなく、果てしなく醜く歪んでいった。(加藤 1986)

 丸山はこの種の場でも常に冷静さを失わなかったとの別の証言もあるようだ。しかし「醜く歪んで」云々という加藤の記述が事実通りであったとしても、それを丸山が「堕ちた」証だと見なすべきではないだろう。発話に効力を与えてくれるのもまたこの身体的次元だからである。

 さらに、この種の「批判」もまた決して新しいものではないのではないかとの疑念も生じてくる。ドストエフスキーが描く、再臨のキリストが大審問官に対して行った(キスによる)「批判」のうちに、その原型を見いだすことも可能だろう。この点によっても示唆されているように、われわれは〈68年〉をターニングポイントetc.として過大評価すべきではない。それはあくまで近代社会に潜んでいた問題を露わにした、(何回めかの)イベントにすぎないのである。